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122「夫婦善哉」織田作之助


164グラム。粋な表紙なのではあるが、とにかく又吉直樹氏ばかり顔認証する。何度写真をとっても蝶子と柳吉は顔としては認められないのは、不憫ではあるまいか。

大阪の大きなお店の若旦那の柳吉が北新地の芸者蝶子に入れあげて勘当される。勘当されたまま家にはいられないから、ちょっとほとぼり冷まして戻ってくるつもりで「かけおちしよか」と蝶子をさそって熱海で遊んでいたら、関東大震災。命からがら避難列車で関西に戻ってしまう。

 関東大震災のせいで、柳吉の打算のたまものだった駆け落ちごっこが2日でおわるスピード感がじわじわ面白い。
 被災地には居られないから仕方なく関西に戻ったが、帰る場所もないのでそのまま蝶子と貧乏所帯を持つ流れになり、柳吉にしてみれば、いつの間にか完全に外堀が埋まってることにびっくりしたろう。

 震災がなく、ことが柳吉の筋書き通りだったらどんなだったのだろう。手持ちのお金(店の売り上げの使い込み)がなくなるまで熱海の温泉で豪遊し、そのあともしばらく東京でなんとか時間稼ぎをしてるかもしれないが、頃合いを見計らって蝶子の前から姿を消して大阪の店を継いだろう。蝶子はそのまま東京で新天地を見つけて一人で生きるか、お茶屋にわびをいれてまた勤めに出るかして、なにもかも収まったろう。

 柳吉はずっと、とにかく店に戻ろう戻ろうとしている。蝶子を好きなのは間違いなかろうが、わざわざ「店を捨てて惚れた女を選ぶ」というような重みのある選択を自分でしたいタイプではない。
 ちょっとした「若旦那大冒険」で駆け落ちごっこなどしていたつもりだったのに、いつの間にか蝶子のおもうままに、小さい店を持たされておでんやの主人なんかしていることに、急にはっと気づいて、ぞっとしている。
 家に帰れば父の言いなり、駆け落ちすれば蝶子のいいなり。どうしていいかわからなくなると、散財する。
 店の金を使い込む、もしくは蝶子の金を使い込む、という形でしか反抗心を示せないところがこのぐにゃぐにゃしたボンボンの厄介なところだ。

 蝶子は、駆け落ちまでして所帯を持ったのだから立派に暮らしていこうと宴会のコンパニオンをやったり、カフェをやったり、おでん屋やったり、とにかく使えるだけの知恵を出して必死にやっていこうとするが、爪に火をともすように溜めた金を、何回使い込まれても柳吉を見限らない。
 その代わり、持ち出した金を散財してしょぼくれて帰ってくる柳吉を折檻することに喜びを覚える始末で、それはそれで幸せになりようがないやっかいな性格だ。

 二人そろってうまいものが好きで、喧嘩のあとで顔を寄せ合って夫婦善哉なんか食べる様子は、仲良し夫婦みたいである。それでも、ひと皮向けば考えていることはびっくりするほどバラバラだ。
  男のほうは、なんとか修羅場をさけながらしれっと実家に戻りたいなあと思っているし、女の方はダメな男を支える立派な女の役回りをやっていたい。 
  絶対にまじりあわない男女、絶対に幸せにならない男女、が「うまいもの」と「折檻」のふたつによってなんとなくその時々うまく収まって仲良さげに暮らしているという、希望のような絶望のような、変な風景である。
 わざわざ小さい椀ふたつに入れてもってくる夫婦善哉という食べ物が、かわいらしいような、胸やけのするような、不気味なような、ほっとするような、非常に憎い道具立てだ。それに織田作之助がかく「なんか馬鹿なひとたち」というのも、困ったことにかわいくて好きにならざるを得ない。

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