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読んでない本の書評80「失われた時を求めて --スワン家のほうへ フランスコミック版」

424グラム。フランスのコミック、バンドデシネ。日本でお馴染みの漫画に比べるとフルカラーで明らかにいい紙を使ってるせいもあってずしっと重い。そして高い(税別2500円)。

 プルーストといえば、全巻並んでいる背表紙をみたこともあるし、手に取って目次にじっくり目を通したこともあるし、プチット・マドレーヌのシーンを読んだこともあるし、マドレーヌが手に入ったときにわざわざ紅茶に浸してああかこうかと食べてみたことすらある。
 したがって、もうほとんど「読んだ」と言っても過言ではあるまい、という見解にたって早幾年。フランスコミック版があまりに美しいので買ってしまった。

 本当に19世紀のコンブレーに居た人が描いたのではないかと思われるほど精緻な描きこみで、好きな絵本を舐めるように隅々まで読んだよろこびを思い出す。目の前にふわっと広がる幻燈のような思い出を次々と語っていく語りの手法が、絵画化にとてもあっている。コマのひとつずつが独立して美しいので「ところであの人の話しはどうなったの?」というようなストーリーの揺らぎ方があっても、言葉だけをたよりに一人で世界観を組み立てていくときよりははるかに混乱ないまま前へ進めて、流れるように楽しい。

 19世紀フランスの社交界の風俗という、ちょっと想像し難しい世界を手に取るように細かく見ることができるというおもしろさの他にも、めちゃめちゃ笑える「よく居るタイプの人」を、見も蓋もない表現力で描き出してしまっているところはプルースト独自の面白さだろう。
 わたしが好きなのは女中のフランソワーズだ。家庭用医学書を読んでは「神がこんなにひどい試練を人間に与えたもうとは」と涙を流すほどやさしいのに、そこに書かれた通りの病状の人が目の前にいると、「上品ぶって大げさなんだよ」と罵倒をはじめる。有能だけど意地が悪い。いるいる、そういう人ネットでよく見るね。っていうか、自分の中にもいるね、そのフランソワーズ。悪口の面白い小説はだいたいおもしろいのだ。

 あまりにも幻想的な文章とマドレーヌのシーンが有名すぎるせいで、あたりさわりのない綺麗な雰囲気だけが延々と続いているししおどしみたいな小説だろうと思い込んでいたのだけど、誰が誰をいびり倒して追い出したとか、狭い社会にはびこるスノビズムの話やら、隠れた同性愛の話やら、むしろ現代に普通に通用する問題を辛辣に次々とぶつけてこられるのにびっくりする。

 帯に「20世紀最高、最大の小説 そのエッセンスを一冊で!」となっておりあの長大な『失われた時を求めて』全七編が一冊になっているかのようなな誤解を招くが、あくまで一編「スワン家のほうへ」のコミック版である。なぜわざわざこんなややこしい帯をつけるのかというところだけが唯一合点がいかないながら、ぜひ続きも読みたい。

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