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考えるよろこび (江藤 淳)

(注:本稿は、2013年に初投稿したものの再録です)

 最近見た新聞の「書評欄」で紹介されていたので手にとってみました。

 1960年代末ごろの講演録ですからかなり前のものですね、しかしながら流石に江藤淳氏、小気味よい語り口でなかなか興味深い指摘が数多くありました。

 まずは、本書の表題にもなっている「考えるよろこび」とのタイトルの講演から。
 この中では、江藤氏は“ソクラテス”を取り上げて「フィロソフィア(知恵を愛する)」の姿勢の素晴らしさを語っています。

(p35より引用) 集団が一番暴力を発揮するのは、どういうときでしょうか。それは元来人間のいやしい心根を自由に解放させるような集団が、俗耳に入りやすい観念、それを正確に実現することが不可能であるような観念を、旗印に掲げたときです。だから戦争中、わたくしどもは「東洋永遠の平和」を実現するために戦う、とこう言ったものです。・・・「東洋永遠の平和」のためにといわれると、わたくしどもはみんなふるいたった。わたくしどもはそのときものになったんです。もっとも激烈に精神的になったつもりでいながら、その実ものになった。

 ソクラテスは、中傷から裁判にかけられ死刑判決を受けました。彼は自らの裁判も客観的にみていました。彼を陥れた人々も自分たちの正義を唱えるひとつの「党派」と考えました。そして、「党派」を超える「国家の精神」を尊重するために、ソクラテスは「国家の法」に従ったのです。
 彼は、自由な精神をもち、ひとつの「党派」に拠るものにはならなかったのです。

(p36より引用) 力には精神はない、力はものでしかないということを、ソクラテスは自分が完全に負けることによって示そうとした。これこそソクラテスにとってフィロソフィアということだったのです。考えるよろこびを尽くすということだったのです。

 その他に、本書で江藤氏が称えている人物としては“勝海舟”がいます。
 「転換期の指導者像―勝海舟について」と「二つのナショナリズム―国家理性と民族感情」というふたつの講演の中で、海舟の普遍的・鳥瞰的思考について言及しています。

 江戸末期から明治初期にかけての海舟は「国家理性」を代表する論客であり実務上の大立者でした。そして、海舟といえば、当然並び立って登場するのが西郷隆盛。彼は「民族感情」の代表者でした。
 この二人を材料に興味深いテーマで語ったのが「二つのナショナリズム―国家理性と民族感情」という講演です。

(p87より引用) 有名な西郷隆盛と勝海舟の江戸城明け渡しの談判などは、象徴的な意味を持っていたということができるでしょう。・・・一言にしていえば、それは勝によって象徴される国家理性と、西郷が象徴する民族感情とが、この話し合いを通じて融合したということです。

 この「民族感情」について、江藤氏は非常に重要で鋭い指摘をしています。

(p88より引用) 民族感情というものは、だいたいいつでもこういうものです。「反体制的」民族感情というものが、つねにそれ自体革新的な意義を持っているということはない。それは爆発すればたしかに体制をこわします。しかしこわしたあとにできあがるもののかたちを、かならずしも保証しているわけではないのです。

 幕末から明治初期にかけては、民族意識の高揚という大きなエネルギーが様々なベクトルをもって放射され、維新において、江戸幕府に代わるひとつの「政府」の成立に至りました。

(p89より引用) 歴史というものはまことに皮肉なもので、明治政府がひとたび日本の正統政府として国家理性を代表する立場におちつくと、今度はこれに対する民族感情の反撥が生れる。

 この民族感情の反発は、「佐賀の乱」に代表される廃藩置県以後の士族の叛乱であり、西郷を担いだ「征韓論」であり、「自由民権運動」といった反政府運動でした。

(p90より引用) それと同時に、条約改正という問題をめぐって、国家理性と民族感情の分裂が、典型的なかたちで展開されるようになるのであります。

 こういった「国家理性」と「民族感情」という“二つのナショナリズム”の存在とその交錯は、今の時代においても様々な政治シーンの背景として通底しています。しかし、いずれの“ナショナリズム”も一国の中に閉じ、その中のみでの影響力の行使に止まることは、もはやできません。

(p107より引用) 開国的なナショナリズム、窓を世界に開きながらあやまりなく自己実現をして行くということは、われわれがよほど多角的にものを見る修練を積み、またよほどの責任をとる覚悟で国際情勢や国内の状態を把握しないと、身につくものではない。外国からの圧力が、いつでもこの日本という国を取り囲んでいる。・・・そのことをわれわれはつねに自覚している必要があると思います。

 この講演は1968年に行われたものですが、氏の指摘はそれから半世紀近く経った現在においても生き続けています。

 さて、最後に、本書で紹介された江藤氏の6つの講演のなかで最も印象に残ったフレーズを書き留めておきます。
 「大学と近代―慶応義塾塾生のために」というタイトルの講演から“革命家”について触れたくだりです。

(p175より引用) 革命家というのは革命を成就させた瞬間に権力者にならなければならない。この権力者は世の中を治めて行かなくてはならない。いままでの不平分子を全部引っ張っていって、なるほどと所を得さしめなければならない責務がある。それとひきかえに破壊活動を許されるというのが革命の最低の論理でもあり、倫理でもあるはずであります。

「革命」「創造」の本質ですね。



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