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管見妄語 大いなる暗愚 (藤原 正彦)

(注:本記事は2010年に初投稿したものの再録です)

 藤原正彦氏の最近のエッセイ集です。
 週刊新潮のコラムに連載されたものの再録なので、テーマも時事問題から藤原氏の身近なできごとまで多種多彩です。

 特に、昨今の政治ネタを取り上げたコラムは、まさに藤原節が満開ですね。
 そのなかからひとつ、例の「事業仕分け」に関するくだりです。

(p109より引用) ある民主党議員がスーパーコンピュータについて「なぜ一位を目指さなくてはいけないのですか。二位ではいけないのですか」と質問、いや詰問したのには驚かされた。この感覚では科学研究を語る資格さえないからだ。世界中の科学者で世界一を目指さない人はいない。・・・
 技術でもみな世界一を目指し努力しやっと上位に残れる。初めから二位狙いでは十位にもなれないだろう。

 藤原氏の意見の開陳は、まだまだ続きます。

(p110より引用) 費用対効果は科学研究を考える上でのタブーである。・・・民間ではできないから国がするのだ。そのような壮大な無駄遣いをする国でのみ研究者が生息でき、科学研究の豊かな土壌や広い裾野が形成される。それがあって初めて画期的発見や革新的技術が生み出されて行く。

 科学研究をどう位置づけるかの議論も大変重要ですが、ここでの藤原氏の考え方のなかでひとつ注目すべき視点があると思います。
 それは、「民間ではできないから国がするのだ」という指摘です。確かにそのとおり。民間でできることは、費用対効果とリスク等のバランスを考えつつ民間でやればいい、民間のパワーを越えた施策こそ「国」が長期的・俯瞰的展望をもって取り組むべきだとの主張です。
 それはそうですが、根本的な問題は「国の長期的・戦略的展望は信じられるか」というところにありますね。

 さて、本書、目次を辿ると「第1章 歴史に何を学んだか」「第2章 日本の底力」「第3章 政治家の役割」「第4章 人間の本質は変わらない」「第5章 文化の力」と並んでいます。見るからに藤原氏の辛口のコメントとユーモア?のオンパレードの感があります。

 が、そういった中からちょっと毛色の変ったところで、特に私の印象に残ったくだりをひとつ書き留めておきます。
 「落ちこんだ時には」というタイトルのコラムから。

(p30より引用) 私は学生達に日頃からこう言っていた。
「君達は今後、落ちこむこと、挫折すること、深い失意に沈むこと、などが必ずある。何度もある。そんな時にはほめ言葉を思い出すんだ。これまでに先生、親、権威ある人などからほめられたことがあるでしょ、それを思い出すんだ・・・」

 落ち込むのにはいろいろな理由・事情があるものですが、そのなかのひとつには「自信喪失」があります。
 「くよくよしない、プラス思考で」と言いますが、そう簡単にはいきません。思考の切り替えのためにも「きっかけ」が必要です。「ほめる」ことはその瞬間の喜びや自信になりますが、さらには、後日になって元気を取り戻す活性剤にもなるのです。

 私もこの歳になってくると、いろいろと想い、考え、反省することがあります。今この瞬間だけではなく、後になってじわりと周りの方々のためになるような「今日の立ち居振る舞い」に心掛けたいと思いますね。
 今はまだ全く出来ていませんが・・・、何とかして、是非とも。



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