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ピカソは本当に偉いのか? (西岡 文彦)

(注:本稿は、2015年に初投稿したものの再録です)

 知人のレビューをみて興味を持ちました。

 「ピカソの絵って、どこがスゴイの?」、初めてピカソを観た多くの人が抱く疑問です。私もその一人でした。

 著者の西岡文彦氏は、本書で、「ピカソとその作品にまつわる素朴な疑問」に答えていきます。
 たとえば、ピカソの作品が高い値段で取引される理由。
 それは「画商の戦略的活用」にあったと言います。

(p28より引用) ピカソの成功の秘密は、19世紀後半に急成長した画商というビジネスの可能性を正確に見抜き、自分の作品の市場評価の確立と向上にあたって、彼らが果たす役割というものをとことん知り抜いていた点にありました。

 とはいえ、その前には環境の変化、すなわち「画商」の介在による「絵画ビジネス」の興隆がありました。
 絵画彫刻のスポンサーが教会・王侯貴族から新興富裕階級に移りつつあるとき、前衛絵画として「印象派」が登場し、急激に評価を高めた彼らの作品は市場において高値で取引されるようになっていたのです。

(p33より引用) ピカソの画家としての幸運は、まさにこの20世紀初頭という時期に新進画家としての評価を確立して、印象派に続く前衛のスター作家を求めていたマーケットの要請に、完璧に応えてみせた点にありました。
 そういう意味でピカソは、絵画史上に初めて登場した「最初から投機目的で買われる絵画」というものを象徴する存在といえます。

 ピカソは、自らの画家としての類まれな才能に加え、まさに商人としての感覚をもって世の時流をも味方につけました。

(p45より引用) 絵画ビジネスに関して抜群の才覚を持っていたピカソは、その時々の市場の状況に呼応して自身の作風を変幻自在に転換してみせています。
 画風を目まぐるしく変えたことから「カメレオン」の異名もとっていますが、その作風の変遷をつぶさに眺めてみますと、それぞれの時期に彼の絵を扱った画商の顧客の趣味を忠実に反映していることがわかります。・・・
 こうした柔軟にして周到な戦略は、ピカソが持って生まれた破格の天分と、父親が施した英才教育による絵画技術の所産であり、同時に、彼の持ち合わせていた機を見るにおそろしく敏な商才の賜物といえるでしょう。

 この「時流」という点では、絵画が置かれたポジションの変化もピカソにとって追い風だったようです。
 教会美術・王侯美術の時代の絵画は「写実」を重んじた “実用的機能” を課されていました。それが、市民の時代になり、技術的にも「写真」の登場により、その地位が大きく変動することになったのです。

(p125より引用) 写実的な描写において絵画が絶対に太刀打ちできない写真という技術の出現により、画家たちはカメラという機械に駆逐されることのない、より人間的な絵画を模索する必要に迫られたのです。・・・
 ・・・印象派が「タッチ」つまりは筆触を強調することで、絵画を写実から解放したのに対して、後期印象派はこのタッチを各人が独特に工夫することで、個性の表明としての「スタイル」つまりは様式というものを確立したわけです。

 この「スタイル」が画壇の中で芸術的な意味での主義・主張になっていくのですが、この流れに、ピカソの「キュビズム」がまさに “はまった” のでした。

 さて、本書を読み通しての感想ですが、著者は、門外漢としての私に、美術界の歴史やからくり等に関する様々な興味深い知識を教えてくれました。

 その中で、最後にひとつ、特になるほどと感じた指摘を書きとめておきます。ピカソに代表される “前衛芸術”に対する「進化論」の影響についてです。

(p166より引用) じつは、そうした破壊的な衝撃を備えた「前衛」という立場に、さらに強力な根拠を与えたものに、登場したばかりのダーウィンの進化論がありました。・・・
 それは、変化というものが、生存を賭けた闘いにおいては正義と同義であると主張するに等しい論理だったからです。そして、美術もまた、適者生存の原理に従い、変化しないことには未来に向けてその生存を確保できないと考えられるようになったのです。

 革新を追求した “前衛芸術” は「美を生き残らせる」ために論理必然的に登場したものだとの捉える考え方。過去の「美」についての常識を覆す “前衛芸術”の論理に、「進化論」が “科学的な根拠”を与えたとの主張です。

 これは、なかなか興味深い指摘ですね。



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