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短編小説 信(のぶ)ちゃんへの手紙(『老いの恋文』第1部)

「好き」という気持ちを精一杯こめた少女の熱いまなざし。
それをしっかりと受けとめられない少年。
じれったいまでに純粋な恋ごころ。
お互いにあと一歩が踏み出せないまま、二人は時代に流されていく。

 信ちゃん。こう呼ばせて下さい。
信ちゃん、私はあなたに謝らなくてはなりません。
 
 高校2年の時、私はあなたと同じクラスでした。あなたはクラス1、いや学年1の美少女でした。男子生徒の憧れの的でした。しかし、県有数の進学校で、各町から集まってきたプライド高き秀才たちは、あなたに言い寄ったりはしませんでした。遠くから眺めているだけでした。そんなあなたが、こともあろうに、私に、熱い視線を送ってくれていたなんて。
 人に言われる前から気づいていました。私の席の右隣の列の3つ後ろがあなたの席でした。最後尾でした。その自分の席で、なぜか、いまだに理由はわからないのですが、あなたは椅子には座らずに、椅子の横に立って、私の斜め後ろから視線を送っていたのでしたね。もちろん授業中ではなく、始業前や、休憩時間でのことですが。私はすぐ後ろの席の男子生徒と仲が良かったので、後ろを振り向くことがたびたびあったのです。その時、あなたの視線を感じました。初めは、勘違いだろうと思いました。しかし何度かそういうことがあると、さすがに、もしかして見られているのかなと思うようになりました。私の前の席の男子生徒も気づいていたのでしょう、にやにや笑いながら、私に向かって小声で「見てるよ。」と言うのです。私は軽く体をあなたの方に向けただけで、あなたの顔も見なかったし、その男子生徒にも「うん、知ってる。」と、小さく答えただけでした。その時に、あなたに見られていることを確信しました。その男子生徒はその後も、あなたのそういう様子を見るたびに、「いいなあ。」とか、「〇〇に恨まれるよ」とか言って、私を冷やかしました。〇〇とは、あなたのことが好きだと言ってはばからない同じクラスの男子のことです。あなたの態度は、おそらくクラスの誰もが気づいていたでしょう。それぐらいに、目立っていたし、不自然な行為でした。椅子にも座らずに、何も喋らずに、じっと私の方を見ているんですからね。一体何をしているんだろうと、みんな不思議がっていたことでしょう。
 普通に考えれば、私の前の席の男子生徒が言うように、私に好意を寄せてくれていると考えるのが自然でしょう。しかし私はあなたの好意(?)を無視しました。何の反応も示しませんでした。その頃の私は、自分に全く自信が持てませんでした。あなたの好意を素直に受け入れる余裕、というより、資格がないと思っていたのです。自分はもっと勉強しなくてはならない、成長しなくてはならない、自分に自信が持てるようにならなくてはならない。そうならなければ、あなたのような素敵な女性の好意を受け入れる資格はないと考えていたのです。言ってみれば自分中心に、自分のことだけを考えていたのです。いつになったら自信が持てるようになるのか。大学に入れば少しは持てるようになるのか、全く見当もつきませんでした。私はあなたより、自分自身のことを優先したのです。それがあなたにとって、女性であるあなたにとって、どれだけ失礼なことか、考えもしませんでした。考える力がなかったというのが正確だと思います。あなたの勇気に私は思いが至りませんでした。人に悟られることを覚悟の上で、私のことを見つめてくれた、それは17歳の女性としては、とても勇気のいることだったと思います。その勇気に私は何も応えられなかった。本当に申し訳なく思っています。

 信ちゃん。謝るにはあまりにも遅くなってしまいました。あれからもう50年も経ってしまいました。お互いに随分変わってしまったことでしょうね。50年の間ずっと、謝りたいと思ってきました。それだけは信じてください。信ちゃん。あなたのまなざしは50年間ずっと私の心の中でまぶしく輝き続けていました。やっとあなたのまなざしを受け止める自信がついたのでしょうか、こうやってあの時のことを振り返る余裕はできました。
 それにしても信ちゃん。あなたは、なぜあの時立っていたのですか。座っていたのでは具合の悪い理由があったのですか。それが私にはいまだにわかりません。50年経っても女心のわからない男だとお笑いください。お会いして教えていただければと思っています。


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