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命を奪う所で、やりたくない人が多いと思うんですけど、それを代わりにやってくださっている方がいるから、おいしいご飯を食べられる。

■獣をさばく「命の授業」

愛知県豊田市足助地区で猟師として活動する
清水潤子さんは、猟師仲間が獲った
猪などの解体も行う
(先月の『いいいじゅー!!』)。

冒頭の言葉は、そうした獣を解体する作業を
清水さんが希望者に見せる「命の授業」に、
お子さんと共に参加されたお母さんから
発せられた。

私は食肉卸の会社の仕事で、
吊り下げられた多くの枝肉
(肉用家畜をと殺し、頭や尾、四肢などを
切り取って内臓を取り除いた後の肉)を
見たとき、これこそ現代人が忘れては
ならない光景だと感じた。

東京の品川駅・港南口近くにある
食肉市場では、夜遅く家畜たちの鳴き声が
響くと、某大手企業の打合せで耳にした。

■命を奪って生きる

清水さんは、ガンで余命3か月と宣告された後、
それを理解してくれた男性と結婚したの機に
農業に従事し、田畑を荒らす獣たちの状況を
知って、猟師になった。
その後、食肉処理業の免許を取り、
いまも病魔と闘う自身の命と
獣たちの命を重ねて、
改めて人の命の重たさと向き合う。
      
前述の品川の食肉市場は、
日本を代表する一流企業のオフィスと
目と鼻の先にある。私は、
この立地こそが、私たちの日常生活の
構造を表していているなと
いつも思う。

「命をもらって生きている」。
これは農林水産省のWEBサイトにある言葉だ。
もっと直接的に言えば、私たちは
大地に、大海に生きる多くの
動植物の命を奪うことで、
日々生き延びるための食べ物を得ている。

だから、食べ物を軽視し、粗末に扱う多くの
出来事を狂っているとしか思えないのだ。
先日書いた「畏れ」の意識など
微塵もない。

日本人を含めた人間は、
食物は命である事を
忘れてしまっている。




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