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古今亭志ん朝の口調で読む芥川龍之介「鼻」(5)。~他人の不幸が大好き

人並み外れて長く垂れ下がった「鼻」を持った僧侶・内供ないぐ
顛末を描いた芥川龍之介の小説を、二代目古今亭志ん朝の口調で綴る
6回目は、念願かなってようやく鼻が短くなった内供に、
予想外に訪れた新たな悩みについてのお話。

人間の奥底にあるがあぶり出されます。
 
■戻りたくないあの日
 しかし、人間、不安というものは隠せませんな。内供も、その日は一日中、鼻がまた長くなりはしないかという不安と闘っておりまして。そこで内供は誦経ずぎょうするときも、食事をするときも、暇さえあれば、この手を出してね、そっと鼻の先にさわって見たりする。するってぇと、鼻は行儀ぎょうぎよく唇の上に納まっておりまして、格別それより下へぶら下って来る気配もない。
 そこで一晩寝て、あくる朝、烏カァで目がさめるってぇと、まずは一番に、自分の鼻を撫でて見た。鼻は依然として短い。内供はそこで、いい心持ちになりましてね、しばらく前に法華経を書き写す修業を積んだときのように、のびのびとした朝を迎えることができた。

■好転の先の暗転
 ところが二、三日経ったころ、折からの用事で、内供が池の尾の寺を訪れることがありまして、するってぇと、寺を訪れていた侍が、前よりもよほどおかしそうな顔をして、話もろくにせずに、じろじろと内供の鼻ばかり眺めている。それだけじゃありません。内供の鼻を粥の中へ落した事のある中童子なんぞは、これが講堂の外で内供とすれ違ったときに、はじめは下を向いておかしさをこらえていたんですが、とうとうこらえ兼ねたと見えて、一気にぷっと吹き出しちまった。
 用を言いつかった下法師しもほうし(身分の低い僧)たちでさえ、面と向っている間だけは、おとなしく控えていたんですが、内供が後ろを向いた途端に、くすくす笑い出したなんて出来事は、一度や二度ではなかったそうで。

■不可解な不快
 内供はもちろんこれに気づいていたんですが「ははぁ、これはきっと自分の顔が変わりだしたせいだな」と思っていたんですな。
 それでもこの内供、どうにも自分に説明がつかない。もちろん中童子や下法師が笑う理由は、顔の様子が変わったからと思えないでもなかったんですが、同じ笑うにしても、鼻が長かったときとは、ど~も違う、違うのが分かる。もちろん、見慣れた長い鼻より、見慣れない短い鼻の方が滑稽こっけいに見える。と、こう言ってしまえば、それまでなんですが、その笑い方に何かがある気がして仕方がない。

「以前は、あんな風に遠慮もなく笑ったことはなかったんだがな」。

 なんてんでね。唱えかけた経文をやめて、内供は禿はげ頭を傾けながら、時々こう呟つぶやいていたんだそうでね。それどころか、この内供、かたわらに掛けてあった普賢菩薩の絵をぼんやりと眺めながら、鼻が長かった四、五日前のころを思い出して、まるで今はすっかり卑しくなり下がった人間が、輝いていた昔を忍んでいるみたいに、ふさぎ込んでしまう始末でね。
 それでも残念ながらこの悩みを晴らす答えを見つける、なんてことはできなかったようですな。

■静かなる陰謀
 昔から、人間の心には互に矛盾した二つの感情があるんだそうで、もちろん誰だって他人の不幸に同情しない者はおりません。ところが、その人がその不幸を、どうにかして切りぬけてしまったと聞くと、今度は「何だ、そうなの」なんてね、何となく物足りないような心もちがしてくる。
 もう少し正直に言いますというと、もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいような気にさえなってくる。それどころか、いつの間にか、そこはかとなく、ある敵意をその人に対して抱くことさえあるんだそうで。

理由が分からないながらも、内供が何となく嫌な気持ちになったのは、池の尾にいる僧たちの態度に、どこか悪意を感じたからのようでしてね。            

                                                    *

【二代目 古今亭志ん朝さんについて】
昭和の落語界の重鎮、かの六代目三遊亭圓生をして
「将来、三遊亭圓朝を継ぐとしたら、この人です」と言わしめた
早逝(63歳で没)の噺家。
私が最も大好きな噺家で、高校の落研時代、何度も“志ん朝落語”を
覚えて演じていた。高3の“襲名披露興行”でも、
志ん朝さんの「鰻の幇間たいこ」を演った。
 
このnoteでは、私の脳裏に刻み込まれた、
粋で鯔背な江戸っ子がそこにいるような
志ん朝さんの語りを、ただ自己陶酔しながら書いている。

【4回目までのバックナンバー】
同じ志ん朝さんの口調で、「鼻」の冒頭から綴っています。







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