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あらゆる悩みや失望が、所詮は取るに足らないものだと思わせてしまう、ある一人の男の清廉な日々、映画「PERFECT DAYS」。

■愛おしき「平山」の日々

住処がある朽ちかけたアパートを出るとき
平山は、常に変わることなく空を見上げて
そして、微笑む。出勤時に例外なく微笑む
ことができる者が果たして現世に存在する
のだろうか。
道端を掃く箒の音で目覚めて
身を起こし布団をたたみ、苗木に霧を吹き
日々清掃する現場である公共トイレの鍵を
The TokyoToiletと書かれたユニフォームの
ポケットに一つひとつ掴み押し込んでゆく
車を出す前に必ず缶コーヒーをひと口飲み
走り出せば気分に合わせカセットテープを
選びその朝のBGMを決める。ある日の朝は
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド歌う
「Pale Blue Eyes」が選ばれ、その旋律には
Sometimes I feel so happy  時々うれしくて
Sometimes I feel so sad   時々悲しくなると
まるで悲喜こもごもの人生を表わすような
歌詞が重ねられてゆくその歌を聴きながら
担当のトイレに着けば清掃道具一式を抱え
丹念に便器を拭く、そして拭き、また拭く
ネジのある隅はブラシで拭き、そして拭く
それはまるでアーティストの如くまばゆく
クラフトマンの如く入念で入魂で入信した
かのように無心で無垢で無私の空気が漂う
昼は決められたベンチでサンドウィッチと
パック牛乳を飲み、フィルムカメラで1枚
木漏れ日を必ず撮影し、ファイリングする
浅草地下街の飲み屋で酎ハイを寡黙に飲み
時に小粋なママのいるスナックノヴに入る
のが贅沢と言えば贅沢なライフスタイルは
古本屋の百円コーナーで買い求めた文庫を
小さな電気スタンドの灯りの下で読み耽り
一日を終え、また箒の音が聞こえる迄眠る

■涙頬つたう「平山」の生

恐らくこの平山正木という男はこの習慣を
永遠に繰り返してゆくのだろうが、それが
全ての人間に課された宿命に見える一方で
その繰り返しこそが至福であるかのような
彼の柔らかな微笑みが、何とも豊かに映し
だされ「どうだこれが人間だ」と言うべき
メッセージに私の頬に訳もなく涙がつたう

部屋に照明以外の電気器具がなく、食べた
のはつまみの小皿とサンドウィッチのみで
風呂なし銭湯通い、Spotifyをレコード店と
間違うほどのある種デジタル難民でもある
我が身を振り返りもせず黙々と生きる彼と
「住む世界が違う」妹と姪が関わるのだが
どちらの世界が尊いかは、言わずもがなだ   

        *

エンドロールを見ながら、私は笑っていた
笑いの対象は他ならぬこの自分自身だった

「PERFECT DAYS」は、否応なしにこう問う

お前は日々例外なく笑顔で家を出ているか
お前は文句一つ言わず愉しめる時を持つか
お前は一体何が不足していると言いたいか
お前はインターネットなしで満ち足りるか
お前はどれほどまでに友人を必要とするか

お前がほしいのは、金か、それとも幸福か




何作も映画館で観たヴィム・ヴェンダース
胸打たれるのは、この「PERFECT DAYS」だ








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