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345.特別な知識や技術がなくても、ほんの少しの疑問と行動力があれば、お金が稼げる。

1.故郷ののどかな風景「水車小屋」から生まれたスピード写真


 最近、街を歩けば「○○分仕上げ」という短時間で写真を現像・焼付けをしてくれる写真屋の看板が多くなった。
少しぐらい費用がかかってもすぐに見てみたいという心理を思わず煽り立ててしまう。
撮り終った写真はできるだけ早く見てみたい。
これは何も友達と撮った記念写真であっても、仕事で必要として撮った写真スナップでも同じこと。もう、昔のフイルムカメラが一切見受けられなくなった。最近急激に伸びているスマホやパソコンからのプリントアウトなども自宅でもできる時代だけど、やはり一枚に美しくプリントされた写真はすぐに欲しい。

しかし、写真の原点は、転写から、フィルムカメラから始まった。実は、このフイルムの現像から焼付けまでの行程を分で行うシステムを開発したのは西本貫一さんという日本人だということはあまり知られていない。

西本さんは戦争中に中国大陸で左手を負傷、1938年故郷の和歌山県に戻った。
当時、一家の跡取り息子で農業を営む一家だった。
当時の農家は今とは比べものにならないほどの重労働、負傷した左手をかばいながら家業に専念していたが、このハンディでは家業を継ぐことはできなかった。

その後、針灸師、病院の守衛といった職を転々。

そんな時、友人の紹介で写真を修業することとなる。
そして、その努力は実り、写真館を経営するところまでにいたるがそれも空襲で焼失してしまったという。

だが、西本さんはそれでも諦めず、終戦と同時に「西本スタジオ」として写真館を再スタートする。

終戦直後の日本各地には、アメリカ兵が進駐軍として駐屯し、アメリカに住む家族に自分の元気な姿を見せるために大量の写真を撮っていた。

西本さんの住む和歌山でも数少ない写真館のひとつである西本さんのスタジオには、そのため当時、現像の注文が殺到していたという。

そして、2日間でプリントを渡すスピード焼付サービスを行っていた西本スタジオは大繁盛。
しかし当時は電力事情も悪く、たびたび停電が起こったり、印画紙を水洗いするモータ式の水洗機が思うように動かなかったり、かなり不安定のため苦戦していたという。

どうにか安定したシステムづくりができないだろうか—。

そんな時、ふと苦しかったあの農業を思い出した。
あの時も形は違えど苦しかった時期だった。
でも子供の頃から育ったあの故郷ののどかな風景は忘れられない。
悩んでいた西本さんは目をつぶり故郷を思い浮かべた。

すると、懐かしい水車を思い出す。

当時、農家では、稲の脱穀や、粉を挽くための動力に水車はかかせなかった。その故郷の水車が西本さんにヒントを与えた。

それは、その水車から、電力に頼らず印画紙を水洗いする発想だ。

日頃、あまりにも見慣れた身近な風景のなかにこの悩みに対する重要な発想が隠されていた。西本さんは、それをヒントに1951年。
世界で初めての動力源に水を使用する「自動印画水洗機」を開発。

この機械は全国の写真館から注文が殺到し、1956年に日本全国の大型現像機械の70%以上のシェアを誇る、ノーリツ鋼機の基礎となる発明となった。
さらに、街なかの小さなDPEショップでも置けるミニ・ラボの開発に乗り出し、1976年にQSS(クイック・サービス・システム)を完成。
当時、ロサンゼルスに現地法人を設立、フランス、ドイツ、イタリア、オーストラリアなどにも進出し、驚いたことに、全世界の%を獲得するまでに成長してしまった。

西本さんの時代は戦争という不遇の時を迎え、当時、過酷な重労働といわれていて農業をハンディをもちながら、やむ得ず転業し、さらに再出発し、まるで180度異なる事業ではあるが過去の体験や経験、そして故郷の思い出がヒントを与え、世界中に広がった実例のひとつ。

今は、スマホの時代になりましたが、まだまだ素敵なアイデアがありそうですね。

アイデアって、無限な気がする。


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2.歩いて歩いてナンボの発明の世界



株式会社ナビット代表 福井 泰代

特別な知識や技術がなくても、ほんの少しの疑問と行動力があれば、お金が稼げる。
アイデアひとつから生まれた、ちょっとした工夫が企業だけではなく、公共機関をも相手にした事業へと展開することもできる。

これは、身の回りの不満や問題を積極的に探し、それを解決すると思わぬ商品となった例ともいえる。

アイデア主婦、福井泰代さん、神奈川県出身。発明学会会員。
「発明家は動いてナンボ。自分の足で稼いでいく」が信条の彼女が「地下鉄乗り換え便利マップ」を思いついたのは、1995年の夏のこと。


それは、ある困った体験から生まれた。

当時、赤ちゃんだった長男を乗せて外出中のときのこと、地下鉄の階段をベビーカーを持って上がれず、乗り換えのたびにエスカレーターを探した。
でも、広いホームでは、真ん中にエスカレーターがあったり、一番端にエスカレーターのある駅もある。
福井さんは、子供を抱いて右往左往しているうちにすっかりクタクタ。
これはベビーカーを持ってお母さんにしかわからない大変さだ。

これは誰もが四苦八苦している問題だが、何も改善さていないのが現実。
そんな時、「前もって駅のどのあたりの階段やエスカレーターがあるかわかれば便利なのに、そうすれば最初から近い車両を選んで乗れるのに—。」

普通の主婦なら、そこで終り。
ただ思うだけで終ってしまうのが常だが、福井さんは違った。
つまり、それを何とか商品に出来ないかと考えた。そこで早速行動。

ご主人が休みの土・日曜日になんと2人の子供達を預け、駅の調査を開始。その行動とは、まず駅に降りるたびにエスカレーターや乗り換えに近い車両をチェックし、案内板の情報を書き写し、次の駅に向かいメモを取りまくったという。それから約半年間かけて手描きの『地下鉄のりかえマップ』が完成。
実は彼女が「発明」というものに興味をもったきっかけは、友人のアドバイスからだ。
福井さんは当時、7歳、4歳の2児のお母さん。
アイデアの発端は、下の赤ちゃんが生まれた時に始めた育児用品の発明だった。それは、すぐ落ちてしまう「おしゃぶり」を落ちないようにヒモをつけたおしゃぶりを我が子のために作り、おしゃぶりを耳にかける「モーモーおしゃぶり」をつくり、それを友人に見せたところ、「特許を申請したら?」と勧められたのが発端。

それがきっかけとなり、発明に興味をもったという。
そして、出版社約社に企画書を送ったが、まるで反能なし。
福井さんは自信をもって売込んだが、ある企業からは、「こんな企画書を送りつけてきて迷惑—。」といわれたりもしたという。
しかし何とか形にしたい。

福井さんは頭に浮かんだ「便利マップ」を形にすることを決意し、実際に行動したのは、発想した翌年の年の2月。

「全然、音沙汰なしだったら、これはダメと諦めていたでしょうね—。」と半ば、諦めていた時、一社だけFXで連絡があった。

その企業はアルバイト情報誌、アルバイト探しの学生に便利と目をつけたらしい。年6月にやっと契約成立。
まずは半年間使ってみることになり、契約金として30万円もらった。

さらに編集者のアドバイスに従って改良を続け、同年、「図示表記の特許」に出願。以降、形になり世に出ると、福井さんのマップの有用性が認められ、依頼が相次ぐようになった。

ある手帳の会社に行った時、「個人とは取引できない」と言われ、思いきって、年に有限会社アイデアママを設立。現在、設立してから4年目。
しかし苦労もある。

「会社にして最初の半年はつらかったです。営業に出てもなかなか話を聞いてもらえなかったり、何度も『やめたい』、帰りの電車の中でよく泣いたりしましたが『やめよう』と思ったことは一度もなかった—。ここでやめても再就職は限られているし、それなら、もう少し頑張ってみよう。」と思ったという。

その後は、営団地下鉄と取り引きするまでに2年。
JRとの取り引きは3年かかった。

粘り強く交渉を重ねた結果、『のりかえ便利マップ』は他の電鉄関係にも広がり、駅でピックアップできる名刺大のMAP。
これは地道な努力の証明ともいえる。
さらに、年3月には『ぴあ』『トラベルジャーナル』とそれぞれ5契約を結び、いまでは、パソコン用の乗り換えソフトも商品化。
システム手帳ではロイヤルティ契約、パソコンソフトなども契約を結んでいる。


(写真の出典:株式会社ナビットのホームページ)より


(写真の出典:株式会社ナビットのホームページ)より



福井さんのアイデアは、雑誌やさまざまな媒体で活用され、デザイン処理にも工夫され、色の塗り分けや図の示し方などがさらに洗練され、次々に変化し、人からアドバイスを受け、修正に修正を加えながら形になり、今では各社から依頼が殺到。

アイデアはひとつの形にとどまらない。

発明家には、アイデアを自分自身で熟成させていく人と、外からの意見を積極的に取り入れて完成させるタイプがある。
福井さんの場合は後者にあてはまる。

最初に持ち込んだ「便利マップ」は電車を図示していなかったため、情報を盛り込みすぎてスマートでなく見にくかったが、担当編集者からのアドバイスにより、奮起した福井さんは見やすさにポイントを置いて改良した。

電車の車両の数は一定のため、これを図で示すことにし、中の情報も階段、、エスカレーターの位置を乗降側のドアに絞り込み、さらにその情報を色分けすることでわかりやすさを増していった。このように次々と新しいデザイン、バージョンが生まれていった。

このアイデアは、図示表記の特許権だが、この表現は、著作権でも保護されていることはここでいうまでもない。

>【福井 泰代さん プロフィール】

神奈川県生まれ。成城大学を卒業後、キヤノン販売に入社。パソコンインストラクター兼販売員として働く。
出産を機に退社し、在宅の編集プロダク ションライターとなる。
95年、おしゃぶりにゴムを通して耳にかけ、落とさないよう工夫した「モーモーおしゃぶり」で特許を取得。
96年、『電車&地下鉄 のりかえ便利MAP』のアイデアを考案。
97年、(有)アイデアママを設立、2000年2月、株式会社に改組。
2001年1月(株)ナビットに社名を変 更。

福井 泰代さん


福井 泰代 出版社名:二見書房


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※本内容は、発明、アイデア、著作権を中心とした「創作アイデア」のためのヒント集となっています。
どうか、みなさまの仕事や生活、趣味やさまざまな商品開発などのお役に立つことを主眼としています。ぜひ、楽しみながらお読みください。
私たち著作権協会では専門的なことはその方々にお任せして、さらに大切な「アイデア」「発想」などのヒントとなる内容にする予定です。
何度も言いますが「アイデア(内容)」は、著作権では保護できません。著作権が保護するものは「表現(創作したもの)」の世界です。
しかし、どちらもアイデア(ひらめき)があって、形になるものですから、著作権の世界でもこのアイデアという表現、創作の世界にもあるものです。
本内容は、全国の都道府県、市町村、学校、NPО団体、中小企業、noteの皆様、クリエイター、個人の方々を対象としているものです。また、全国の職員研修での講演先のみなさまにもおすすめしています。
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