Fake Religious 6

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「限定された場所」で

「権力が集中化」した時

 そこは ”宗教” になる。

 それは、ダンスの世界でも

 まったく同じ





(動画を拝借します。)



ダンスの「村社会」での独自ルール

③「例外なく、男に権力が集中する」



この「権力」を

純粋な「ダンス力のみ」で持っている人間は

誰一人としていない。

なぜなら

「ダンス」だけは、誤魔化しがきかないからである。






「権力」の持ち方について

一番多いのは「レッスンを持つこと」である。

自分のレッスンを持つことで”教祖”になる権利を得て

生徒=”信者”が多ければ多いほど

ステータスとなる。

これは学校の部活動の顧問もまったく同じである。

先生と生徒という立場。

これが一番「洗脳しやすい」






この「レッスン」については

現役ダンサーがやる場合と

教え専門のダンサーがやる場合と

2通りある。

ダンス界はスポーツ界とは異なり

プレイヤーとコーチ

と、はっきりと役割分担がなされておらず

「巧いダンサーが教えたら生徒は巧くなる」

というわけのわからない迷信が蔓延っているため

後者は圧倒的少数である。


どの業界も同じだけど

人に教えるのが上手い人間というのは

自分自身は伝説の名プレイヤーではなかった人間が多く

本当に天才肌の人間はまずいない。

最初から「下手くそ」で「不器用」だった人間が圧倒的に多い。

だからこそ

「下手な人間はこういうところでつまづきやすい」

「不器用でも、この部分さえしっかり押さえておけば巧くはなれる」

という底辺の目線や心理状況の理解ができ

自分自身が過去に出来なくて散々苦労しているので

技術の説明についてはものすごくかみ砕いてできることが多い。

だから本当であれば

飛び抜けて巧い天才肌のダンサーと

飛び抜けて人に教えることが上手いダンサーは

絶対イコールにならない。

しかし、ダンス界では

その事実をうやむやにし「権力保持」の道具として

「レッスンを持つ」ことが通例となっている。

本当に生徒のことを考え生徒を伸ばしたいのならば

「教えるのが上手いダンサー」しか出来ないはずである。



また、レッスンを持つこと以外での「権力保持」の手法としては

「政治力」がある。

これは何かしらのイベントの主催者となることで権力を握る手法で

コンペの主催が最たるものとなる。

この手法は20年ぐらい前からある手法で

昔はコンペ自体の開催が少なく、限定されていたため

コンペ自体が価値あるものとなっていた。

しかし

昨今では「誰でもコンペが開催できる」ようになっており

コンペがここ10年で急増したことが、

結果的にダンスの質の著しく低下させる事態に陥っている。

ハッキリ言って

今の「自称ダンサー」の「ムーブのみのダンスまがい」は

「ダンスにすらなっていない」ので

自分からすれば観る価値すらないものだと思っている。

おそらく「ダンス」と「ムーブ」の違いすら

理解出来ていないんだと思う。

こういう事態に陥った背景には

「バトルコンペの増加」が最大の要因だと昔から思っている。


ムーブしかできない「自称ダンサー」は

「音」と「ムーブ」がシンクロした時に

よく「音ハメできた」という。

この発言自体が、「いかにダンスを知らないか」を

よく物語っている。

ダンスであれば「音」ではなく「音楽」となるはずだし

第一ハメるという概念はない。

何故ならば

ダンスは「連続性のあるもの」であり

その「連続性のあるなかでの緩急」と捉えるからである。

なのでピンポイントである一点の「音」だけ捉えている時点で

ダンスにはなっていない。

これは若手・ベテラン・大御所問わず、である。

また、ダンスの基礎中の基礎は「ダンスを魅せること」である。

至極「当たり前のこと」

そもそも「ダンスになっていない」のに

「ダンスで魅せる」ことは不可能である。

ましてや、その「ダンスになっていないムーブ」で「バトル」など

滑稽すぎて話にならない。

さらに

「ダンス」で「バトル」の概念を持つのはブレイクダンスのみである。

ヒップホップに関しては「ラップ」と「ブレイクダンス」という構成要素に

バトルという概念を含んでいるというだけで

ヒップホップそのものの概念に「バトル」は存在しないはずである。

この「バトル」の意味としては

元々は「相手をこき下ろすため」「自分の強さの証明」という意味がある。

それが昨今では「技を競う」という意味が加わり

社交ダンスのような「競技ダンス」としての意味合いを持つようになっている。

「バトル」の解釈そのものがぐちゃぐちゃになっているのが昨今である。


「ダンスにすらなっていない」「ムーブ」での「バトル」

そこに重きを置けばおくほど

「ダンス」の質はどんどん低下の一途をたどる。

コンペはバトル以外にも存在するが

直近10年で明らかに「ダンス」の質自体は低下している。

それは

「ダンス」すら出来ない人間がコンペを開催しているからである。

本質をきちんと捉えることなく

「目先の政治力」に目がくらみ、「虚無の権力」を握ろうとする

「自称:ダンサー」が増えた証でもある。

また、「政治力」だけ欲しいのであれば

別に自分自身が現役ダンサーである必要はない。

プロのイベンターとしてなら、

自分のダンスに拘る必要はなくなる。

もっとも、

「自分自身が本物のダンサー」であれば

コンペなど、開催する必要がないはずである。





拙い文章お読みいただきありがとうございました。




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