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芸術の御利益を心理学的に考える

1. 主題―この記事の狙い

 自分が創作する側であれ、あるいは消費する側であれ、物語、絵画、演劇などの何かを表現する行為を、なぜ人間は求めるのだろうか。何かをするからには何かを得ようとしているはずである。言い換えれば、芸術活動の御利益―効用、働き、機能―とは何だろうか。

 その答え自体は、実は100年以上も前の芸術論(※)で明らかになっているようだが、心理学の側面からそれを補強してくれそうな材料を見付けたので、まとめておく。ほとんど自分のためのメモのようなものだが、同じ関心を持つ人の役に立つかもしれない。

 その材料によると、端的に言えば、芸術活動は個人の心を安定させ、それを通じて社会全体をも安定させる効果がある、と言えそうだ。

 引用は、特に断りがない限り次の本に基づく。

著者:ダニエル・ゴールマン
翻訳:土屋京子
タイトル:EQ こころの知能指数
講談社+α文庫
文庫の初版発行:1998年(最初の翻訳は1996年、原書発行は1995年)

 材料として取り上げるのは、この本で紹介されている、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を治療する心理療法の例2点である。

※100年以上前の芸術論=フィードラ―『芸術活動の根源』[1887]、ハリソン『古代芸術と祭式』[1913]、コリングウッド『芸術の原理』[1938]など。

2. 準備―基本的な用語

(1) EQ

 この本のタイトルにもある「EQ」とは、emotional intelligence quotientの略で「心の知能指数」である。一昔前日本でもブームになった概念であり、今でも重要視されている。手短に言えば、IQ(知能指数)が高くても道を踏み外したり失敗したりする人が多数おり、逆にIQが低いのに大成功する人もいる。後者はたいてい自他の心を扱うことに長けている。人間にとって重要なのは、IQの高さよりむしろ心を上手に扱う能力ではないか、という問題意識を背景として生まれた概念だ。

それは、知能テストで測定されるIQとは質の異なる頭の良さだ。自分の本当の気持ちを自覚し尊重して、心から納得できる決断を下す能力。衝動を自制し、不安や怒りのようなストレスのもとになる感情を制御する能力。目標の追求に挫折したときでも楽観を捨てず、自分自身を励ます能力。他人の気持ちを感じとる共感能力。集団の中で調和を保ち、協力しあう社会的能力。
p3

(2) emotion―感情

EQのE、すなわちemotionの一般的な意味と語源は次の通り。

emotion
1.〔生理的な変化として現れる強い〕感情
2.〔感情によって引き起こされる〕興奮
3.〔知性と対照される感情的な〕感性
4.《emotions》喜怒哀楽
英辞郎on the WEB
emotionは「強い感情」を意味し、語源はex(外)とmovere(動く)に由来
英語の語源学習サイト 読む語源学

 なお、exもmovereもラテン語である。さて「EQ こころの知能指数」には、感情の本質を鋭く突いた一文がある。

感情はすべて本質的には行動を起こそうとする衝動であり、進化の過程で脳に刻みつけられた反射的な行動指針だ。
p27

なお「情動」の意味は、次の通り。

一時的で急激な感情をとくに情動という。人間でいえば、喜び、悲しみ、怒り、恐怖、不安というような激しい感情の動きのことである。(後略)
日本大百科全書(ニッポニカ)「情動」

 こころの知能とは、この感情や情動を制御する能力でもある。(「感情」と「情動」の違いについてはややこしい議論があるようだが、この記事の目的にとっては脱線することになるので、これ以上深入りしない。)

 一つだけ感想を書いておきたい。「ex(外)とmovere(動く)」を組み合わせた言葉で、「感情」という概念を表わすことにしよう、と思い付いた昔の人は、素晴らしい哲学者だったに違いない。古い英語の語彙に当時、「感情」にあたる語があって、それがemotionに置き換わったのか、それとも感情にあたる語がなくて(すなわち概念自体存在しなくて)、ラテン語と共にもたらされた新しい概念にemotionをあてることにしたのか、その辺の経緯は分からない。しかし少なくとも、この昔の人は人間の心の動きを明瞭に感じ取っていて、行動に結び付く何者か(それがすなわち感情なのだが)が人間の内面にあることに気付いていた。おおかたの現代人よりも、よほど鋭敏な感受性や知性をもっていたのではあるまいか。


3. 「パーディー」のゲーム(事例1)

 1987年、カリフォルニア州のクリーブランド小学校で凄惨な事件が起きた。20代の青年パトリック・パーディーは、自身過去に同校に在籍していたが、ある日この小学校に侵入し、休み時間の校庭で銃を乱射した。当時校庭では数百人の小学生が遊んでおり、パーディーはそこで7分間銃を乱射した。5人の子供が死亡し、29人が負傷し、パーディー自身も自分の頭を銃で撃って自殺した。

 言うまでもなく、この事件は生徒や教師の心に深い傷を残した。ちょっとしたことがきっかけで、事件の記憶がよみがえってパニックになることもあった。例えば、教師が「聖パトリックの祭日」と言っただけで生徒がその事件を思い出し、教室中が恐怖の感情でざわめいたという。また、救急車のサイレンの音にも過剰に反応したりする(乱射事件直後に聴いたサイレンの音を思い出してしまう)など、さまざまな症状が見られた。いずれも「PTSD(心的外傷後ストレス障害)の典型的症状」(p358)だそうだ。

 事件の数ヶ月後、クリーブランド小学校の生徒たちは自然発生的に「パーディー」と呼ばれる遊びを始めたという。その遊びでは、パーディーという名の悪者がサブマシンガン(もちろんおもちゃ)で子供たちを殺し、最後に自分自身を撃って自殺する、というものだ。ただし時には、子供たちがパーディーを殺す、という結末になることもある。

 この遊びを悪趣味だと思う人もいるかもしれないが、これが実はPTSDを克服するための、事実上の治療になっている、と考えられている。

 子供の場合、「パーディー」のようなゲームを通じて心的外傷が自然治癒するケースもある。ゲームをくり返すことによって、ショッキングな事件を安全な遊びとして再体験しているのだ。ゲームによって治癒にいたる道筋は二通りある。ひとつは、不安感の少ない状況でショッキングな記憶を再現することによって記憶に対する恐怖感を減少させ、記憶に正常な反応を結びつけること。もうひとつは、想像の世界で悲劇に現実とは違う明るい結末を与えること。たとえば、「パーディー」のゲームの中で子供たちが逆にパーディーを殺してしまうという展開だ。筋書きを変更することによって、悲劇の際の無力感を克服するのである。
p372
太字はわたくし

 サンフランシスコ在住の児童精神科医レール博士によると、大人に比べて「子供は空想や遊びなどを通じてショッキングな体験を何度も思い出したり考えたりするので心的麻痺を起こしにくい」(p373)とのことだ。心的麻痺とは、ショッキングな経験をしたときに、その記憶を意識から遮断してしまうことである。さらに同博士によると、「自発的に事件を再現するおかげで子供たちは事件の強烈な記憶を抑圧することがなく、したがってフラッシュバックとして記憶が爆発することもないらしい。」(p373)

 興味深いのは、ショックの大きさによって、このような再現ゲームの所要回数が異なるという点だ。「歯医者で怖い目にあった」という程度のショックであれば、再現ゲームは1、2回で済む。しかしパーディーの事件のように非常に大きなショックの場合には、何度も繰り返さないと心の安定には至らない(p373―374)。

 再現ゲームがなぜPTSD治療に有効なのか。まずPTSDのメカニズムを確認しておく。

学習によって刻み込まれた恐怖が引き起こす症状―その最も強烈なものがPTSDだ―は、扁桃核を中心とする大脳辺縁系の神経回路の変化が原因だ。なかでもカギとなるのがカテコールアミン(中略)の脳内分泌を調節する青斑と呼ばれる部位の変化だ。カテコールアミンは肉体に非常事態への対応を促すと同時に、記憶を特別に強く脳に焼きつける働きをする。PTSDではこのシステムが亢進状態になり、実際にはほとんど危険がないのに心的外傷のもとになった事件をどこかで思い出させるような状況に出会うと脳内化学物質が以上に多く分泌されてしまうのである。(中略)
 不安、恐怖、過剰な警戒心、興奮しやすさ、攻撃・逃避反応の起こりやすさ、強烈な情動記憶の焼きつけなどの症状を呈するPTSDの根底にあるのは、これらの神経回路の変化なのだ。
p365―366
太字はわたくし

 要するに、強烈な経験をしてしまうと、神経回路にある一定の動きのパターンができてしまい、そのパターンにかすった経験は、たいしたものでなくても過剰に反応してしまうということだ。とすれば、このパターンを変更することができれば、PTSDが治るというわけだ。上述の再現ゲームは、この神経回路の動きのパターンをなぞりながら、過去の記憶を現在の安全な状況に結び付けることで、その動きのパターン自体を修正することに寄与しているようだ。

 そしてこの再現ゲームには、効果的な形式がある。ここでいう「効果的」とは、大脳辺縁系に影響を与えやすい、という意味である。それが芸術である。

情動の脳は、象徴的な意味やフロイトが「一次過程」と呼ぶ無意識的な思考様式を非常に受け入れやすくできている。つまり、隠喩、物語、神話、美術などのメッセージに呼応しやすいのだ。芸術を利用する方法は、心的外傷を受けた子供の治療によく使われる。恐怖の瞬間のことを他の方法では話そうとしない子供が芸術を媒体として口を開きはじめるケースは少なくない。
p374
太字はわたくし

 さらに、ロサンゼルスの児童精神科医でPTSD児の治療の専門家、スペンサー・イースによれば、「ショッキングな光景にそれとなく言及するメッセージはPTSD児の芸術的表現にほとんど例外なく見られるという。」(p374―375)また、「イースは治療の糸口として、子供たちにまず絵を描かせてみることにしている。(中略)絵を描くという行為はそれ自体が心的外傷を克服する過程の第一歩であり、心理療法として非常に有効だ。」(p375)という。

4. ハーマン博士の治療法(事例2)

 二つ目に取り上げる事例は、ハーバード大学の精神科医、ジュディス・ハーマン博士による、心的外傷を克服する方法だ。一言で言えば、恐ろしい事件を詳細に語ることでその傷を癒すものだ。

ハーマン博士は、心的外傷から回復するまでには三つのステップがあると言う。
第一のステップは、安心感を得ること。
第二のステップは、事件を詳細に思い出し、事件がもたらした喪失を嘆き悲しむこと。
そして
最後のステップは、普通の人生を再建すること。
この三つのステップは、生物学的に見ても理屈に合う。三つのステップの順序は、人生が非常事態の連続ではないことを情動の脳が再び学習する過程を反映しているように思われる。
p376
太字・改行はわたくし

 ここで、少しだけ脱線する。ただしとても意味がある脱線である。この治療のプロセスは、ジョーゼフ・キャンベルが「ヒーローズ・ジャーニー」(英雄の旅)として提唱した、物語の原型と同じ構造をしているのである!
 キャンベルはアメリカの神話学者で、世界中の神話を研究し、そこには共通の原型があると考えるに至った。この原型に沿った物語は人々の感動を呼び起こし、時代を超えて受け継がれる。その原型とは次のようなものである。

<ヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)の原型>
第一幕 出立、離別
 (1)日常の世界
 (2)冒険への誘い
 (3)冒険への拒絶
 (4)賢者との出会い
 (5)第一関門突破
第二幕 試練、通過儀礼
 (1)試練、仲間、敵対者
 (2)最も危険な場所への接近
 (3)最大の試練
 (4)報酬
第三幕 帰還
 (1)帰路
 (2)復活
 (3)宝を持って帰還
次の資料をもとに筆者作成。
クリストファー・ボグラー『神話の法則 ライターズ・ジャーニー 夢を語る技術』
ストーリーアーツ&サイエンス研究所株式会社[2002]p41

 ちなみにスターウォーズは、キャンベルの理論をもとにシナリオを作ったらしい。

 さて第一ステップでは、患者が自分の症状がPTSDせいであることを精神科医に解説してもらったり(これだけでも症状が軽くなることがあるらしい)、周囲の人の力を借りたりして自分が現状に対処できるという自信を持たせるなどして、一定の安心感を持ってもらう。その後第二ステップに進む。第二ステップは、「とりもどした安心感の中で事件を再構築し物語って見る作業」(p377)であり、詳しくは次の通りである。

セラピストは、恐ろしい事件をホラー映画のようにできるだけ生々しく、いまわしい事実まで詳細に再現して話すよう患者に促す。見たり聞いたり肌にふれたりしたことだけでなく、それに対する患者自身の反応―恐怖、嫌悪、吐き気、等々―も思い出して話すよううながす。この作業の目的は、記憶の全てを言葉に置きかえることだ。それまで関連に気づいていなかったため意識にのぼらなかったような記憶まですべて把握しようとする試みだ。からだに感じた事実や感情を言葉にしてみることで、記憶に対する大脳新皮質のコントロールが強まる。大脳新皮質では記憶がもたらす反応を理解しやすく管理しやすい形に処理することができる。(中略)情動の再学習が達成される。(中略)「たえまない恐怖」のかわりに「安心感」のもとで恐ろしい記憶を再現することが可能なのだ、と情動の脳が理解しはじめる。
p378―379
太字はわたくし

 一見、何らかの対象をただなぞっているようでいて、実はなぞりながら新たな発見をしている。これはデザイナーが「手で考える」とか「書くことで考える」という行為であり、実務の世界で良く言われる「走りながら考える」という行為だ。いわゆる創造(creation)である。ともすれば、人が何かを言葉なり図や絵などで表現する際、それはまず頭の中に何らかの概念があり、それを言葉や絵に置き換えているだけだ、と考えがちである。しかし事実は全く違うのである。言葉や絵で表現することで、当初は気付いていなかった新たな概念に気付くことがある。その新発見をもとにしてさらに表現を進める。すると一連の作業が終わったころには、当初思い描いていた概念とは異なった、より一層高い境地に達していることがある。このようなことは何も芸術家でなくても、文章を書いたりパワーポイントで資料を作ったりする実務家も、日常広く経験することである。

 さらに推論を進めれば、物語るという行為は、何も自身の創作による必要は、おそらくないのだろう。他人が作ったものでも良いのである。他人が作った作品が自身の感情を如実に物語っていれば、その作品を消費することで自身の感情も浄化されるのである。それがカタルシスだ。

5. おわりに

 取り上げた二つの事例はいずれも、負の感情を克服したいという欲求に応える方法であった。芸術活動がこれに効果があることはわかったから、悲劇や悲劇的なトーンの絵画の社会的な役割は明らかになった。

 では正の感情、あるいは必ずしも負とは言い切れいないような感情一般についてはどうだろう。例えば幸せな日常の光景を描いた創作物もあり得る。芸術作品には、悲劇ではないものも数多くあるのだ。これらの社会的役割は何だろうか。

 結論を先取りして手短に言えば、それは今すぐには実現できない欲求を満たす、代償的な手段である。2(2)で見たように、感情とは行動を起こそうとする衝動であり、外に(ex)動こうとする(movere)ものである。実現できない欲求は解消されないまま心にわだかまる。創作すること、または創作されたものを消費することは、このわだかまる感情にはけ口を与えて、心に平安を取り戻す。これは正負どちらの感情にもあてはまる。

 この辺の理屈は、1の註釈に挙げたハリソンの『古代芸術と祭式』に詳しいのだが、フィードラーやコリングウッドの理論も合わせて、またいずれどこかで整理しておきたい。

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