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呪文の役割を現代的に考える~トロブリアンド諸島の呪文を題材に

 呪文というと、現代日本人は次のようなものを思い浮かべる。

 少し古いものだと、

エロイムエッサイム、エロイムエッサイム、我は求め訴えたり!

とか。最近だとファンタジーによくありそうな、

炎の精霊よ、我にその力を示せ!

とか、そんな感じである。

 しかしこのような呪文はおそらく、「かなり高度に発展した形態」だと思われる。より原始的な形態の呪文は、「イメージトレーニング」に近い形だったのではなかろうか。言うまでもないが、イメージトレーニング(以下、イメトレと言う)は、スポーツ選手などが実戦の前に体を動かさずに頭の中で、自分がうまくやっている姿をイメージする行為のことだ。

 少なくとも、トロブリアンド諸島で行われる、ある儀式で唱えられえる呪文は、そのイメトレ的な性格を示している。今マリノフスキの「西太平洋の遠洋航海者」を読んでいるのだが、面白かったのでこの本を題材を使って少し何か書いてみたくなったのである(※1)。

トロブリアンド諸島のある呪文

 トロブリアンド諸島では付近の海域を巻き込んだ交易が盛んだったが(今どうなっているかは不明)、その交易自体と、交易に使うカヌーの建造などの準備段階で、様々な呪術が行われる。航海の前の儀式の一つに、カヌーにヤワラプ(むしろ)をかけるというものがある。呪文や儀式は地域差があるようだがその海域ではどこもだいたい同様の形式に従っている。トロブリアンド諸島最大の島であるボヨワ島のシナケタでは、儀式を取り仕切る「トリワガ」(カヌーの所有者。「トリ」が主、「ワガ」がカヌーの意味)が、次のような呪文を唱える。

「~私は山を足蹴にするだろう。山は動く。山はくずれる。山は儀式の活動を始める。山は喝采する。山は倒れる。山は平伏する!
 私の呪文は、ドブーの山の頂までとどくだろう。
 私の呪文は、私のカヌーのなかまで突き通るだろう。私のカヌーの胴体は沈み、私のカヌーの浮きは水の下にもぐるだろう。
 私の名声は雷のようであり、私の足音は、空飛ぶ魔女の吼え声のようである。」(p230~231)

 この儀式の呪文は実際はもっと長いもので、以上は終わりの部分のみを抜粋したものだ。ドブーは交易相手の島の名前である。

 この呪文は、端的に言えば「自分の速さと成功をたたえる」(p231)ものだ。(マリノフスキはそれ以上解説していないが、カヌーに関するくだりは船一般に関する知識がない人には多分わかりにくい。速く進むカヌーは一定程度まで胴体が海面下に沈む、すなわちきちんと喫水することが前提となっている。)要するに、航海と交易がうまくいって成功している様子を呪文で表現している。

 一言断っておくと、マリノフスキ自身はイメトレなどとは一言も言っていない。まずは事実を客観的に報告するのが民族学者の仕事だと、マリノフスキは随所で一歩引いた姿勢を示し、軽々しく解釈を加えないよう注意を払っている。呪術や交易の起源についても言及していない。

思ったこと

 ここからは僕の感想になるが、上の呪文の内容はイメトレそのままだ。航海と交易の成功を強く念じる行為が、そのまま呪術として形式化されたのだろうと推測することは、決して無理なことではないと思われる。

 伝統的な魔術のパターンによって分類すると、上の呪術は「類感魔術(共感魔術)」になるだろう。似た者同士は影響しあうという発想に基づく魔術だ。この場合、呪文によって表現された行為やカヌーの様子が、現実の世界にも影響を及ぼす(実際に実現される)ことが期待されている。こう考えると類感魔術がそもそもイメトレを起源にしているといっても十分筋は通る(証明はできないが)。

 さて、魔術においてイメトレが重要であるという考え方は、最近のファンタジーでもしばしば登場する。つい最近読んだ「異世界転生もの」の某漫画でも、主人公が「魔法は成功した時の形をイメージすることが大事」という趣旨の発言をしていた。このような呪文は「かなり高度に発展した形」と冒頭で述べたが、それは次のような理由による。

 トロブリアンド諸島の呪文では、呪文に登場するもの、すなわち呪文が影響を及ぼそうとする対象は、すべて具体的な物(カヌー)や事(自分の行為や名声)であった。これは原始的な社会でも想像できる物事である。もともと、「ある行為を成功させたいという強い思い」が呪術の起源であるとすれば、「成功させたい」「実現したい」と思うものは、呪術を行う人が想像できる範囲のものでしかない。このような行為が何世代にもわたって繰り返された結果、呪術を行うこと、呪文を唱えることは効果がある、という考えが社会の常識になる。

 しかし、「炎の精霊に祈って炎を出現させる」という行為は、かなり抽象的な考え方を前提にしており、「呪術には効果がある」という常識だけでは説明できない。まず、炎を司る精霊の存在が信じられている必要がある。そして精霊は、人の祈りを聞き届けてくれるものだという信仰が必要である。これらの条件がすべてそろって初めて、

 炎の精霊よ、我にその力を示せ!

 という呪文が成立できる。そういう意味で、このような呪文は「かなり高度に発展した形態」だと言える。

その他

 以上述べてきた「交易」とは、「クラ」のことである。クラは、ニューギニアの東方の海域で行われる独特の交易のことで、クラ交易とも言われ、結構有名である。いくつもの島や村落をつなぐ一定の経路に沿って、貝で作られた首飾りと腕輪を中心とした交易が、永久に繰り返される。

 このクラは、市場経済とは異なる経済システムの実例として、いろんな本に登場する。たとえば、

・柄谷行人「世界史の構造」岩波現代文庫

・カール・ポランニー「経済の文明史」ちくま学芸文庫

とか。

 直接クラが出ては来ないが、田中洋「ブランド戦略論」(有斐閣、2010年)では冒頭で「価値交換」や「贈与」など、原始未開社会での交換について言及し、上の柄谷の著書を参考文献として挙げている。最近のブランド戦略の文献にもつながって来るのは少し意外だが、実際、現代の経済学とかマーケティング戦略とかも、元を辿っていくと民族学にもつながって来ることがある。

 マリノフスキの同著には、社会組織と労働意欲の関係について、現代にも通じる面白い考察がある。(第5章2節だが、気が向いたらそれについても何か書きたい。)

 ご興味のある人はマリノフスキを読んでみてください。


※1:トロブリアンド諸島に関する記述は、次の文献による。

B. マリノフスキ 著、増田義郎 訳「西太平洋の遠洋航海者 メラネシアのニュー・ギニア諸島における、住民たちの事業と冒険の報告」講談社学術文庫
原題は、Argonauts of the Western Pacific(1922)

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