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『マニュアル』

『マニュアル』【超短編小説 087】

就職活動も終盤。内定をもらっている企業のうちの一社に絞らなければならない。大学を卒業したら僕はその会社の社員になるのだ。

どの会社を選ぶかは、僕の人生にとって大切な一歩となる重大な選択だ。
僕は父に相談した。僕は進路のことや、大切な選択をせまられたときは必ず父に相談する。

男手一つで育ててくれた父は、まじめで少し融通が利かない人だが、頑固では無い。そしていつも真剣に僕のことを考えてくれた。

そんな父が僕に言ってくれた言葉は
「マニュアルがしっかりしている会社を選びなさい」だった。

父の手には『失敗しない新卒の会社選び』という本が握られていた。
机の上には『新社会人に伝えたい10のこと』『父親の心得12条~社会人になる君へ~』といった種類の本が数冊積んであった。どの本にもたくさんの付箋がつけられていた。

思い起こせば、父の傍らにはいつも本(教養本)が置いてあった。
子供のころ悪いことをして怒られる時も『男の子の正しい怒りかた』という本を父は持っていた。

『5歳までの脳の育て方』
『自己肯定感を高める子育て』
『中学生の父親がやるべきチェックリスト』
『好かれる父親になる』
『30代にやっておくべきこと100』
『40代からの思考50』
『50代で見つけるべきもの20』
本棚には教養本がぎっしりと並んでいた。

父と母が仲が悪くなって夜な夜な話し合いをしている部屋をのぞいた時
父の膝の上には『円満家庭内別居のすすめ』『仲良し夫婦になる15の約束』
『専業主婦の本音20パターン』という本がのっていたのを覚えている。
次の朝、母は家を出て行った。僕の小学校卒業の10日前のことだった。


「マニュアルがしっかりしている会社を選びなさい」

父の言葉に対して僕は「ありがとうございます。よく考えて決定したら報告します。」と言って部屋を出た。

今までならば、父の言葉で自分の選ぶべき方向が決まり気持ちが軽くなったのだが、どうしてだろう今日はなんだか心が重い。
父が発する言葉は、本当の父の言葉なのだろうか?そんな疑問が生まれた。
2階に上る階段がいつもより高く感じて足を上げるのも辛い。
本で得た知識ではなく父の本音を聞きたい。初めてそう思った。

自分の部屋に戻り机の引き出しから母の写真を取り出ししばらく眺めた。
『入学式」の看板の前で笑顔で僕を抱きしめる母。

今なら母が家を出て行った気持ちが分かる気がする。

結局、僕はすべての内定を断り無期限でバックパッカーになることに決めた。

出発の日、空港まで父が車で送ってくれた。
出国ゲートの前で寂しそうな顔の父に一冊の本を手渡された。

『海外旅行で人生を変える10の技』

厄介な人だよ。と思ったがなんだか笑えてきたので、
そのまま笑顔で「行ってきます。」と言って本を握った手を振りながら僕は旅立った。

《最後まで読んで下さり有難うございます。》


僕の行動原理はネガティブなものが多く、だからアウトプットする物も暗いものが多いいです。それでも「いいね」やコメントを頂けるだけで幸せです。力になります。本当に有難うございます。