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それぞれの未来へ② #22

このエッセイは、2017年、約4か月にわたり韓国の有機農家さん3軒で農業体験取材を行い、現地から発信していたものです。2018年以降に書いた関連エッセイも含めて、少しずつnoteに転載しています(一部加筆、修正あり)。

2019/06/06(①のつづき)

 「韓国で農業体験をするなら、ぜひここにも行ってみてほしい」と福山さんに勧められ、初夏と秋に2度お世話になった全羅北道長水チャンス郡の農園「백화골 푸른밥상ー100flowers farm」にも大きな変化があった。私が滞在した2017年11月を最後に、なんと農園を引き払い、翌年の春、慶尚南道の慶州キョンジュ近郊へと引っ越していたのである。

 ソウルでの会社員生活を経て帰農し10数年。国内外のボランティアの力を借りながら、美しい農園を作り上げた조계환(ジョ・ケファン)さんと、その妻・박정선(パク・ジョンソン)は、最後に会った時、何度もこう話していた。「minaさん、僕たちには変化が必要なんです」と。彼らは今、新しい土地で外国人ボランティアを受け入れながら、有機農業を教える農業学校を開いているという。この春からはまた家族会員を募って、毎週季節の野菜を送る「직거리(直取引)」を再開したそうだ。

【追記】
 この文章を書いた9か月後の2020年3月。パンデミックの混乱の最中、私のパートナーである韓国人夫の癌が発覚。入院・手術を経て自宅での療養が始まった。それを機に、私たちは2020年4月から「백화골 푸른밥상ー100flowers farm」の家族会員になり、毎年5〜11月の間、週1回、採れたての有機野菜を直送してもらっている。

 また、2022年3月、家族全員コロナに初感染した後、KTXに乗って彼らの新しい農園を訪れた。その時のことは、WEBマガジン『Stay Salty』に不定期連載中のエッセイに書き残している。(下記リンクをクリック→各写真を1回押すとタイトルが出てきます→vol.6「小さな変化が必要な時」2022年11月17日)

 私にとって人生の大きな転機となった韓国農業体験取材。その実現を後押ししてくれた友人、福山耕太さんの今についても触れておきたい。彼は2017年冬、奈良でのスローフードツアーを終えた直後、妻である沙知さんと共に、5年ほど暮らしたソウルから長崎県の離島・対馬に移住。沙知さんのお腹にいた赤ちゃんも無事誕生し、3人家族になった。

 対馬の北部に位置する比田勝港は、釜山港から船で約1時間ということもあり、対馬は韓国人に大人気の日本旅行先だ。日本語はもちろん、韓国語・中国語・英語が堪能な福山さんは、比田勝港から歩いてすぐの古民家を素敵にリノベーションし、現在「Tsushima White House」というゲストハウスを運営。世界中からやって来る旅人をもてなしている。

 私は2017年7月、韓国農業体験取材を終えた後、釜山から船に乗って対馬を訪れた。まだオープンする前のTsushima White Houseでお世話になり、福山さん夫妻と一緒に、生まれて初めてのシュノーケリングを体験したり、釣れたての魚の刺身を味わったりした。

▲長崎県対馬、比田勝の海

 対馬から船で福岡に渡るため、比田勝港から対馬南部に位置する厳原港へと向かう路線バスの中では、たくさんの韓国人旅行客を目にした。厳原エリアのある食堂では、韓国語のわからない店員さんに、うどんの大盛りを注文しようとして苦戦する韓国人夫婦がいて、通訳を買って出たりもした。

 昔ながらの食堂、パン屋、温泉。青い空、透き通る海、白い砂浜…。まるで昭和にタイムスリップしたかのような懐かしい風景の中で、日本語と韓国語が自然に混ざりあい、どちらの国とも言い難い不思議な空気が漂っている対馬。

 3年前の「スローフードツアーin奈良」に参加していた韓国のメンバーは、今年2月と4月に対馬旅行を企画し、移住者である福山さんの案内により、地元のお茶農家さんを尋ねたり、郷土料理を習ったりしたそうだ。

 ニュースではしきりに「日韓関係が悪化」と伝えられる昨今だが、民間の交流は今も昔もこうして行われていて、お互いに興味や関心を持ち、尊敬しあい、刺激を受けあっている人たちが両国に多く存在しているのである。

▲対馬の郷土料理「ろくべえ」。小麦粉ではなくサツマイモを粉にしたもので作られた麺料理だ

【追記】
 2023年6月、福島さん一家から突然連絡があり、ソウルで6年ぶりの再会を果たした。その時のことは、WEBマガジン『Stay Salty』に掲載中のエッセイに書き残している。(vol.11「『会いたい』という勇気」2023年8月5日

 最後に、私の「これから」についても少し触れておきたい。乳飲み子を抱える今は、ベランダでニラを育てる(勝手に育ってくれる)のが精一杯で、週末農園を借りて畑を耕すことすら夢のまた夢。しばらくは農業体験取材を続けることもできず、本にまとめる計画もお蔵入りかな…と、この1年、なんだか諦めモードになっていた。

 しかし、実は身近に「農あるくらし」を実践している大先輩がいるのである。それは夫の両親だ。1970年代にソウルから忠清南道へ移り住んで帰農し、鹿や乳牛を育てながら3人の子どもを育て上げ、数年前からはリンゴ農園を営んでいるお義父さん、お義母さん。お米はもちろん、季節の野菜を何種類も育てている。

 朝は鶏の産みたて卵を拾い、テンジャン(味噌)・カンジャン(醤油)、コチュジャン(唐辛子味噌)、片栗粉まで何でも手作り。初夏には梅エキスを作り、秋には庭に実ったブドウでジュースを作り、干し柿を作る。ゴマ油の代わりに、自家製エゴマの種を絞ったエゴマ油でナムル(和え物)を作る。アロニアも粉末にして毎朝スプーンで1杯ずつ飲んでいる。肉や魚以外、口にする多くのものが自家製なのだ。

  妊娠中は体調に考慮して数か月に一度しか会いに行けなかったけれど、これからはできる限り足繁く通い、少しずつ手伝いながら、韓国の農家の暮らしを学ばせてもらえたらと思っている。

▲出産1か月前、りんごの収穫を体験させてもらった時のひとこま

【追記】
 これを書いた半年後、2020年の初めにパンデミックが始まってから2022年3月にコロナ感染するまで、わが家では必要以上の外出を控える生活を続けていた。日本の実家には丸3年、義実家にも数か月に一度しか行けなくなり、農作業はほとんどできずじまいだった。

 「食・農・芸術・韓国を通して人を描く半農半ライターとして生きたい」という思いを行動に移した先に、こういう未来が待っているとは想像もしていなかったけれど、次々と開いていく扉を一つずつ進んだ先に、今の暮らしが待っていた。

 また、このホームページで文章を発信し始めたことにより、日韓に住む「農あるくらし」に関心がある方や、まさに実践しているという方から、少しずつ連絡をいただくようにもなった。韓国在住日本人の中には週末農園や屋上菜園、ベランダ菜園を楽しんでいるという方も多く、その様子をSNSで発信しているみなさんと、ネット上、あるいは実際に会ってお話しするなど、少しずつ交流も始まっている。

 つい最近も嬉しい出会いがあった。2年ほど前から仕事の休みを利用して韓国で農業体験をしている、という同世代の女性が、韓国訪問の際に「会いたいです」と声をかけてくれたのだ。彼女との出会いについては、またつづりたいと思う。

【追記】
 この同世代の女性とは、韓国田舎料理研究をされている島田梢さん。彼女は現在、埼玉県小川町で発酵の知恵を活かした調味料やお惣菜を作る「Paryo」を主宰している。島田さんとの出会い等については、2023年4月から始めた音声配信の中でお話ししている(下記の記事を参照)。

 今年1月に書き始め、息子が寝た隙に少しずつ書いては止まり、書いては止まりを繰り返してきたこの文章。最後まで書けないなら、もういっそのこと全部消してしまおうかと思っていた矢先、同志のような女性に出会い、初心を思い出させてもらった。その勢いに乗り、壊れかけていたパソコンを買い替え、書く環境を整えたら、また書ける気がしてきた。

 農業体験をして得たことについて、実はまだ全部書ききれていない。あえて書かなかったこともあるし、書けなかったこともある。また、韓国に移住し毎日家事や子育てをする中で、過去の体験が発酵し、今やっと言葉になりかけていることもたくさんある。焦らずゆっくりと、時間をかけて土を作るように。これからも自分なりのスピードで、それらの言葉を紡いでいけたらと思う。

 何事も放棄するのは簡単だ。どんな形でも続けることが大事だからと、何度も自分を励まして、今日やっとここまでたどり着いた。思えばそれも、日本や韓国の農家さんたちから学ばせてもらったことの1つなのである。

▲リンゴの花。2019年5月、義両親の農園で


▲エッセイ『韓国で農業体験 〜有機農家さんと暮らして〜』 順次公開中

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