見出し画像

ビビンバの懐の深さ

 韓国の市場が好きだ。中でもソウル市内中心部にあり、東大門から歩いて行ける広蔵市場(クァンジャンシジャン)は、日本からソウルを訪れるたびに必ず立ち寄っていた、大好きな場所だ。

 食材から衣類まで何でもそろうこの在来市場には、今や日本の焼肉店ではお目にかかれなくなってしまった牛のレバ刺しやユッケが食べられる専門店も集まっている。そんな貴重な生肉を目当てに行くこともあるけれど、私がこの市場で必ず食べるもの。それは、빈대떡(ピンデトック)と보리밥비빔밥(麦飯ビビンバ)だ。

 빈대떡(ピンデトック)とは緑豆の粉に野菜や肉を入れて焼いた韓国式お好み焼きのことで、たっぷりの油で揚げるように焼いてあり、マッコリと一緒に味わうと最高にうまい。

 でもそれは「今日は飲むぞー!」という気分の時にぴったりの一品なので、酒断ちして半年以上経つ私には、今や目の毒。ピンデトックは何も悪くないのに「マッコリのないピンデトックなんて…」と思ってしまうのは、私がただの酒好きだったということかもしれない。

帰国後 337

 一方、보리밥비빔밥(麦飯ビビンバ)はなんと健康的な食べ物なのだろう。その名の通り、麦飯の中にいろんな野菜の和え物「ナムル」を入れて、ゴマ油やコチュジャンと一緒に混ぜ合わせていただくのだが、混ぜるというひと手間のおかげで、スプーン1本で簡単に食べられ、一食でたくさんの野菜が味わえる料理に早変わりしてしまう。

 目の前に山盛りになって並ぶ、野菜ナムルの存在感。そのナムルの向こう側で、呼び込みや接客をするアジュンマ(おばさん)の一挙一動。市場のあちこちで飛び交う韓国語。汁を茹でる鍋からもくもくと立ち上がる湯けむり。ニンニクやゴマ油の香ばしい香り。

 それらを全部含めて味わうのが、広蔵市場の보리밥비빔밥(麦飯ビビンバ)なのだ。

画像3

 その昔、韓国語を勉強し始めた頃に見た韓国ドラマ『私の名前はキムサムスン』の中でも、ビビンバに魅せられたことがあった。それは、キム・ソナが演じる主人公、キム・サムスンが、夜の台所で冷蔵庫からおかずやコチュジャンを取り出し、ご飯と一緒にステンレス製のボールの中に入れて混ぜ合わせ、もくもくと口に運ぶシーンだった。

 少し太めの30歳、独身パティシエであるキム・サムスンが、何やらむしゃくしゃした気持ちを抱えていた日の夜だった、と記憶している。そんな時、彼女が作ったのがビビンバだったのだ。

 日本だと、そんな夜はお茶漬けやカップラーメンをすするだろうか。とにかく、ものの1分で完成した彼女の即席ビビンバは、他のどんな韓国料理よりもおいしそうに見えた。そして、冷蔵庫の残り物とご飯を全部混ぜるだけで、あっという間に心と胃袋を満たせる一品ができてしまうという、ビビンバの、その懐の深さに驚いたのだった。

 韓国に住むようになって3年目。広蔵市場には用がなければ行かなくなってしまったけれど、市場で食べたビビンバを思い出し、家で作って食べる機会がぐんと増えた。

 「今日はビビンバにしよう」と一からナムルをこしらえるというより、キム・サムスンのように、冷蔵庫に残り物や野菜が余っていたらビビンバにして食べてしまう、と言った方が正しいかもしれない。

 時間がない。おかずがない。あまり食欲がない。そんな時も、ビビンバは救世主だ。今日がまさにそんな日で、私は冷蔵庫にある野菜とツナ缶を使い、即席ランチを作った。

 ニラ、タマネギ、ツナ缶、ゴマ、ニンニク、醤油、梅エキス、ゴマ油、コチュジャンを入れてよく混ぜただけのビビンバだ。その横に、昨夜作った豆モヤシスープを並べていっちょあがり。

 みなさんも、困った時はぜひビビンバを。おいしいコチュジャンと少しのゴマ油さえあれば、野菜やご飯と一緒によく混ぜるだけで、あっという間に特製ビビンバの出来上がりだ。

画像1


▼この記事を書いた翌日、韓国ドラマ『私の名前はキムサムスン』に登場した即席ビビンバのことを「ヤンプンビビンパ」と呼ぶのだと知った。詳しくは、南うさぎさんのnote『美味しい韓国ドラマ』へ。なんとビビンバのレシピ動画付き!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?