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君をずっと忘れない

 小さな子どもを育てていると、「絵に描いたような幸せってこういうことか」と思う瞬間もあれば、「一歩間違えば地獄絵図やな」と逃げ出したくなる瞬間もある。

 一番辛いのは、自分や夫の体調が悪い時に、息子が泣き叫んでどうしようもない時だ。2歳前で、まだ感情をうまく言葉にできず、親の手を借りないと何もできない子どもの立場としては、「泣く」ということも立派な自己表現の1つなのだが、こちらのコンディションが悪いと「こっちが泣きたいよ」という気分になってしまう。

 きのうがまさにそんな日だった。私も夫も疲れがピークに達していて、「今日はゆっくり休みたいな」という気分だったのに、そんな日に限って息子がぐずったり、大泣きを繰り返したのだ。

 先に夫がギブアップしてしまったので、残された私は「やすみたい」という5文字を飲み込んで、「よし」と腹をくくるしか道がなかった。怪獣のように泣き叫ぶ息子をどうにかなだめすかし、お風呂に入れてご飯を食べさせ、絵本を読んで、大好きなアンパンマンの寝間着を着せ、「おねんねしたら夢の中で大好きなキリンに会えるよ」と嘘八百を並べたてて、やっと寝かしつけたのだった。

 ほっとして寝室を出ると、リビングでテレビの画面をぼんやりと見つめる夫の姿があった。彼はギブアップした後、1人で外の風に当たったり、別室にこもって映画を観たり、息子と顔を合わせないように過ごしていた。私もその方が良いと思った。

 どんなに愛するわが子でも、親のコンディションが悪ければ、自分の精神を追いつめてくる存在に変わる瞬間がある。それは出産後、私たちが身をもって感じてきたことだったし、最悪の地獄絵図になることを回避するには「しばし離れること」が一番だと学んできた。

 おそらく、ギブアップしたこと———愛する子どものはずなのに、一瞬でも憎らしい存在に見えてしまい受け入れ難かったことについて、自ら傷ついているように見えた夫は、珍しく目に力がなかった。そして突然、私の名前を呼んでこう言ったのだ。

「もし俺が先に死んだら、日本に帰って暮らそうと思う?」と。

 そんな日のことを一度も考えたことがなかったわけではないけれど、「そんな日なんて永遠に来なければいい」と願いながら暮らしてきたので、私は咄嗟(とっさ)にこう言った。

 「そんなこと、その時にならないとわからないよ。だいたい、誰がいつ死ぬかなんて誰にもわからないことなんだから。私はこうやって毎日生きていること自体、奇跡だと思ってるの。だから、死んだ後のことを考えるより、今生きている間にやりたいこと、いっぱい考えて一緒にやっていこう」と。

 その後、生死について語り合ったことなんて忘れてしまったかのように、くだらない会話を交わし、彼は映画の続きを観て、私は一編の詩を書いて眠りについた。息子は布団を蹴飛ばし、大の字になって寝息をたてていた。

 そして今朝。「きのうのようにはなるまい」と、朝から夕食の下ごしらえをし、昼食用にキンパ(韓国の海苔巻き)を作って、近くの公園で食べようと準備していたところ、スマートフォンの小さな画面に突然の訃報が届いた。おもわず声をあげて泣いてしまった。

 残された家族、特にまだ生まれて1歳にもならない子どもを残して逝かなければならなかった...それほどまでに彼女を追い詰めてしまったものって何?同じ日本人とはいえ全く違う世界で生きてきた、テレビの中でしか知らない人だけれど、幼い子どもを育てている同世代の女性として、あまりにも受け入れるのが難しかった。私はその後、どうやって海苔巻きを巻いたのか、あまり覚えていない。

 今年はきっと、誰にとっても辛いことや耐えねばならないことの多い年だろう。わが家もそうであるし、生きながらこんなにも「死」が隣り合わせであることを実感しているのは、初めての経験だ。

 だからやっぱり思うのだ。今日をこのように迎えられて、笑ったり泣いたり、怒ったり落ち込んだり、そうやって普通にできていること自体が奇跡なのだと。こんな私にだって「ここで人生が終わっても良いかな」と思ったことがこれまで何度かある。子どもを抱いて、橋の上からぼんやりと下を見つめてしまったこともあった。それでも今、生きている。何かに生かされている。

 昨夜はなぜか、20歳で旅立った旧友のことを思い出し、一編の詩を書いた。その人が亡くなった時、同級生が私に言ってくれたひと言がある。あれから20年近く経った今でも、誰かの訃報に触れるたびに、私はその言葉に慰められる気がするのだった。

「あいつのことをずっと忘れないでいる。それが大事なんじゃないかと思うよ」。

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君のまなざし

母の目は大きな二重なのに
私の目は小さく左右バラバラ
嫌い、きらい、大キライ

女友達が何気なく
「あなたの目ってこうだよね」と
左右バラバラの真似をした
嫌い、きらい、大キライ

でもその昔ひとりだけ
「君の目がいい」と言ってくれた人がいた
左右バラバラのその奥の
瞳をじっと見つめながら

靴箱にはいつも、ひと粒のチョコレート
自転車の前かごには、時々クッキーの箱
初めて触れた私の手には
小さなキャンディーをひとつ、ふたつ

甘いお菓子と一緒に
ほほえみをたくさんくれた人

いつかまた会えたら
「あの時はありがとう」って
言うつもりだったのに

「あの時はごめんね」って
言いたかったのに

私の目はいまだに
小さく左右バラバラだけど
あの頃よりは少しだけ
いいかもって思えるようになったんだよ

私も君のまっすぐな
瞳が大好きだったんだよ

「君のまなざし」2020.9.26

写真・詩/Kim Mina

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