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小倉ヒラク『アジア発酵紀行』

☆mediopos3295  2023.11.25

「発酵はアナーキーだ」

酵母は「人間の常識の通用しない
小さくて強力なアナーキスト」だからだ

小倉ヒラクは「発酵デザイナー」として
知られざるローカル発酵食の現場を巡り
やがて日本の辺境でアジアのアナーキーさに再会する

そしてそこで継承されてきている発酵文化の源流は
アジアの国々にあるのではないかとルーツを確かめるべく
発酵を巡るアジア辺境への旅に出る

日本で甘酒や味噌をつくる
カビを使った「米」の発酵の素(スターター)は
「糀」という漢字で表される
それに対して漢字の本家中国では
「麦」を使った「麹」である

小倉ヒラクがルーツを求めたのは
「糀」文化の兄弟であり
当初それは雲南の地にあるのではないかと
チベットから雲南の「茶馬古道」をめぐるが
それはゴールではなく「むしろスタート」となる

「雲南から北東インド世界へと続く
知られざる民族カオス地帯」
「ヒマラヤの麓に、様々な少数民族の織りなす
アナーキー発酵文化が集積する「アジア発酵街道」」があり
内戦中のインドの東の最果てであるマニプル州へ

そこでは「雲南からインドへとやってきたメイテイ族」が
「いまだ見たことのないびっくり仰天の発酵食品や、
日本では失われてしまった古代の麹カルチャー」を
「森のなかでひっそりと継承」していた・・・

この旅を通じ小倉ヒラクは
茶と麹の発酵文化が被っていることに気づく
「茶の道はすなわち発酵の道」なのである

そのなかでも「コルカタ以東の内陸インドは、
水田を中心に米と魚を食べ、湿潤なだけに
食べ物が腐りやすい日本と近しい環境」にある
そんな共通点もあり
「米でつくった麹で酒を醸し、
正月に甘酒を振る舞う共通文化が、
インドと日本で生まれることになった」

「食」の豊かさについて考えるとき
「発酵」は重要な鍵となる

それは辺境の地において
その地で得られるものを使って
生き延びていくための知恵でもあり
その知恵ゆえに育てられ継承されている文化でもある

ようやく第二の脳としてとらえられはじめている「腸」で
重要な働きをしている細菌たちと共生するためにも
「発酵」によってつくられる食物は欠かすことができない

そしてなになり小倉ヒラクが
「発酵はアナーキーだ」というように
「現代文明の価値観を覆す」ためにも重要な鍵ともなるだろう

たかが「発酵」というなかれ
古くから伝えられているものを活かす新たな知恵も
「発酵」しなければ生まれることはないのだから

■小倉ヒラク『アジア発酵紀行』(文藝春秋 2023/11)

(「まえがき」より)

「発酵はアナーキーだ。
 微生物という目に見えない自然がつくり出す、人間の予想もつかない働き。酵母は光合成も酸素の呼吸も必要とせずに、人を酔わせるアルコールやかぐわしい香りを生み出す。栄養が豊富にあれば一日で数億倍以上に増殖する。人間の常識の通用しない小さくて強力なアナーキストである。
 発酵はサバイバルの知恵でもある。微生物の働きを利用して、人類は長い歴史を生き延びてきた。とりわけ外界から隔絶された過酷な環境ほど、発酵のもたらす物質の保存作用や化学変化のコントロールが生存のキーポイントになってきた。
 隔絶された環境で培われたサバイバル技術が、数百年の時間軸で蓄積することで、現代文明の価値観を覆すアナーキーな域に昇華する。僕はそこに人類の文化のしたたかさを見る。」

「発酵に関わる仕事をすると決めてから、東京農大の先生たちの調査を手伝って地方に行くことが多くなった。最初は醤油や味噌、日本酒などスタンダードな醸造蔵を訪れていたが、大学での勉強が終わって自分で仕事をするようになってからは、大学の研究予算がつかないような地方の知られざるローカル発酵食の現場を巡るようになった。20代前半のバックパッカー旅の要領で辺境へ辺境へと行くうち、人口数百人の離島や人里離れた山村に、奇想天外な発酵文化がひっそりと継承されていることを知った。現地で手作りしている人にその成り立ちを聞いてみたところ、海の外のアジアの国々とのつながりが出てくることに驚くことがたびたびあった。山の中の発酵茶が、東南アジアの茶の起原を。島の織物が、ミクロネシアの染色技術の起原を宿している。
 現代生活から隔絶された日本の辺境で、かつて僕を魅了したアジアのアナーキーさに再び出会ったのだ。僻地で生まれたサバイバルの知恵が、その土地ならではの価値の多様性を生み出していく。そしてそれははるか生みの向こうの文化とつながっている————。
 ある日、奄美の島海を眺めている時、僕はアジアの発酵を巡る旅に出ることを決めた。日本の発酵食品のルーツと、自分の裡に流れるアナーキーさの源流をつきとめるために。」

(「第Ⅰ部 茶馬古道の旅へ/第一章 発酵からアジア文化の起源をたどる」より)

「米に花が咲くと書いて、糀。
 甘酒や味噌をつくる、カビを使った米の発酵の素(スターター)である。この「糀」という漢字は日本でできた漢字で、漢字の本家中国では通じない。中国では米ではなく麦をあしらった「麹」の字が発酵の素を指す。この漢字の違いをもって、日本の食文化の独自性は「米の発酵」であるとされている。
 しかし本当にそうなのだろうか? 日本は大陸から切り離された孤児なのではなく、海の向こうにも「糀」文化の兄弟がいるのではないだろうか?」

「発酵の起原と多様性は大陸アジアにあり、そして日本は多様な発酵が落っこちてくる文化の穴である。そしてその穴に落ちる玉のなかで着目してみたいのが「カビの発酵」なのだ。」

「今回の旅で僕が見つけたいのは「麹」ではなく「糀」の起原。
 かつて大陸から伝わったであろう、米からつくられたソフトな甘酒やどぶろくを醸す発酵の素。何度も中国や韓国に足を運んだが、いまだ見つけることは適わない。文献でしか見かけない幻の米の麹。文化が画一化されるなかで、もはや失われてしまったのではないかとすら思ってしまうが、乾燥した平野の漢民族文化圏「ではない」、温暖湿潤で山から流れる清水に恵まれた稲作地帯。そこにまだ見ぬ日本の「糀」のルーツが残っているのではないだろうか?」

「第Ⅰ部の旅の行程は、日本から雲南省の省都クンミン(昆明)へ入り、そこから雲南北西部の高知、チベット世界の入口であるシャングリラ(香格里拉)へ。さらに雲南西部を長江(揚子江)伝いに南下、発酵茶のメッカであるミャンマー国境のシーサンパンナ(西双版納)でゴール。標高3000m以上の寒冷なチベット高地から、海抜0mの東南アジアの熱帯へと激しいアップダウンを繰り返すダイナミックな道のりだ。
 (・・・)
 僕たちが向かうのは「茶馬古道」と呼ばれる、1000年以上の歴史を持つ古の貿易路。「茶」
と名がつくように、東南アジアとヒマラヤの高山のあいだで茶の交易に使われてきた「茶のシルクロード」だ。ゴールのシーサンパンナは、世界最古の茶の一つに算えられる、プーアル(普洱)茶の原産地だ。プーアル茶は、日本人になじみ部会緑茶や紅茶とは違う原理でつくられる、沿革輸送を前提として発達した保存食の粋である。」

(「第Ⅱ部 幻の糀村/幕間 ヒマラヤが運ぶ発酵文化」より)

「ヒマラヤ高地はまだゴールではなかった。茶のふるさとは訊ねることができたが、本丸である「糀」のふるさとにはまだたどり着いていない。」

「第Ⅱ部の旅の舞台は雲南から北東インド世界へと続く知られざる民族カオス地帯。ここにはアジア中の精神性と味覚と微生物が、ぬか床のように醸され湧き立っている。」

(「あとがき」より)

「アジアのアナーキー発酵を探しに行ったら、まさか文字どおりの無政府(アナーキー)地帯に辿り着いてしまうとは思いもよらなかった。
 政府の秩序も、カーストの秩序も届かないインド最果ての村で、僕はかつて生き別れたかもしれない「糀」の一族と出会い、糀を介して共感の縁を結んだ。そこで改めて感じたのは、共通の食文化があるところには、共通の精神性があるということだ。日本とメイテイに共通の酒や甘酒の文化は、同じく日本とメイテイに共通の先祖崇拝の信仰と結びついていた。身近な食にこそ、文化の起原が宿っているのである。」

「アジアの発酵文化は海や平野から隔てられた山間地でその多様性を花開かせる(・・・)。雲南省北部では、嶮しい山々に阻まれて、各少数民族が隔離された状態で集落をつくっていた。焼酎づくりを訊ねたリス族の同楽村のように、山のすぐ向こう側に見える村に行くのに1000m以上の山道を下って、また1000、以上登って丸一日以上かかってしまう。そうなると、山の中でとれる限られた食材を徹底的に加工・保存しなければならない。ここで漬物やチーズなどの保存食の知恵が育まれる。そして、山の中の厳しい暮らしには楽しみも欠かせない。すると穀物を醸した酒の文化が発達していく。ヒンドゥーやイスラムのように戒律によって社会的ポジションを与えられるのではなく、拡大家族の民族の絆で連帯する少数民族たちにとって、酒は連帯のために欠かせないものだったのだろう。」

「ネパールのカーストには、「マトゥワリ」という階級の大カテゴリーが存在する。(・・・)このマトゥワリとはもとは「酒飲み」という意味である。(・・・)
 マトゥワリが伝統的に飲んでいた酒は、本書で見てきた「穀物の麹をベースに醸す酒」であるはずだ。チベットや雲南であれば白酒、ネパールであればチャーンやトゥンバ(キビのどぶろく)、マニプルでいえば米を使うワユゥやチャックナム(赤米のどぶろく)だ。民族によってディテールは違えど、麹をベースにした酒という点では共通だ。
 この「麹の酒」は、日本、韓国、中国はじめ東アジア特有の発酵文化である。その東端が極東インドやネパールである。」

「旅に出る前は、先生たちが指し示した「糀」の起原だと思っていた雲南の地は、実はゴールではなかった。むしろスタートだと言えるだる。イスラムやインド世界とマトゥワリたちが混じり合う複雑発酵エリアが広大に拡がっている。これこそが、東アジアの豪族たちが活躍した茶馬古道の舞台であり、山間地のなかで育まれた保存食と祭りの酒のガラパゴス発酵が集うアジアの発酵無政府地帯だ。最後に訪れたマニプルは、シーサンパンナからヒマラヤ山脈へ登り、そしてベンガル湾へと半円形を描いて下っていく発酵無政府地帯のちょうどおへそに位置している。雲南からインドへとやってきたメイテイ族が、東と西の発酵文化のミッシングリンクを埋める重要な存在だったのだ。
 旅の地図を振り返ってみると、茶と麹の発酵文化が被っていることにも気づいた。中国は当然として、ネパール東部にはイラム、イラムに接するインド国境側にはダージリン、そしてマニプルの北にはアッサムという茶の大産地がある。湿潤な気候がカビを育てるのにちょうどよく、かつ茶を流通させる茶馬古道のルートに少数民族の集落が多いこともあるのだろう。茶の道はすなわち発酵の道である。
 そんななかでも、コルカタ以東の内陸インドは、水田を中心に米と魚を食べ、湿潤なだけに食べ物が腐りやすい日本と近しい環境だ。そこで米や魚や豆を発酵させ、さらにメイテイのようなマトゥワリの民の系譜は麹をつくって酒を醸す。すると米と主食として納豆になれずしにどぶろく、あるいはお茶! という僕たちのよく知るコンビネーションに北東インドでもお目にかかれることになるのだ。
 温暖湿潤な気候に水田、そして先祖崇拝の信仰、この条件が重なることで、米でつくった麹で酒を醸し、正月に甘酒を振る舞う共通文化が、インドと日本で生まれることになった。発酵を生業にする日本人の僕もまた、麹の民マトゥワリの末裔なのである。」

□目次

まえがき

第Ⅰ部 茶馬古道の旅へ

第一章 発酵からアジア文化の起源をたどる
第二章 リス族とフリーダムアジア麹
第三章 アジアのローカル豪族を訪ねて
第四章 国境の発酵カルチャー
第五章 マーパンと茶の国際シンジゲート

第Ⅱ部 幻の糀村

幕間 ヒマラヤが運ぶ発酵文化
第六章 混沌のヒマラヤの発酵カルチャー
第七章 インドの菩提酛お粥

あとがき
参考文献一覧

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