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小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 12 原本

陸奥介は、文室将軍との初めての面会を無事に終えて、その帰りしな、鎮守府の門を出るまでに、兵達の鍛練を目撃した。

まず彼の関心を引いたのは、兵の中に短軀(たんく)の者が少なからずおり、また、一見して、元から大男であるような者達はほんのわずかである、と思われたことである。

けれども、皆、一様に厚い胸板を誇り、脛(すね)などは固い固い丸太のようであって、何よりも、彼らの眼光は、長官宜しく非常に研ぎ澄まされてあったのである。


後(のち)になって、陸奥介は、以下のことどもを耳にしたのである。


あの兵達は、朝に出立すれば、領内のほとんどの場所にその日のうちに到り着く。

雪山でない限り、どんな山の頂上にも一気に駆け上(のぼ)り、その足で余裕のうちに麓に舞い戻る。

必要とあらば、厳寒の川の中に、氷が浮かぶのもものとせず、果敢に飛び込んで行く。

その怪力は、京の大市(おおいち)で働く猛者など、容易(たやす)く打ち倒してしまうであろうにちがいない。

そして、非常に興味深いことには、自ら規律違反を自覚したならば、進んで上官の譴責(けんせき)を請い願うのが専らである。



陸奥介が、国府で国司としての務めを始めてから、どのくらい日が経った頃のことであろうか、ある悲報が南の方から国府に伝わって来た。

明国の前任者であるあの橘氏が、相模国から伊豆国、もしくは、駿河国に抜ける途中で、山賊に襲われて落命したとのことである。

続く風聞によると、兎に角、彼は、京への帰途を急いでいたらしい。

そのためか、彼の従者に対する配慮は等閑(なおざり)で、一行が白河の関を下野国に抜ける辺りから、脱落者がすでに出ていたということである。

それでも、元がちぐはぐな寄せ集めにしては、なんとか前国司の一行の体面を維持しつつ、相模国府にまで至ったとのことである。

それから、その地の官人による忠言を省みることなく、彼は、雨模様を押し切り、一行を箱根の山の中に向かわせたそうである。

結句、彼らは、山賊に襲われて、彼、すなわち橘氏の死骸のみが山中に取り残されていたそうである。それも、人が遺骸を発見した頃には、大分山犬に“やられた”ためか、骨が剥(む)き出ていたとも。

それまで彼に付き従っていた者どもは、雲散霧消。

橘氏が後生大事に寝ても覚めても懐で温めていた砂金の類いは、一粒とて地に残ってはいなかったそうな。


橘氏に関する伝え聞きで、陸奥介が最も心に響いたとされたのは、彼には、京でその帰りを一日千秋の思いで待ち焦がれたであろう老母があったことであった。

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