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本屋は出会いの場

第1章 本屋のたのしみ (5)

 もうひとつ、「本は人である」というたとえも、よくされる。本の所持が禁止されている近未来を舞台にした、最も有名なSF作品においても、主人公のモンターグは次のように言う。

「(……)そこではじめて本のうしろには、かならず人間がいるって気がついたんだ。本を書くためには、ものを考えなくちゃならない。考えたことを紙に書き写すには長い時間がかかる。ところが、ぼくはいままでそんなことはぜんぜん考えていなかった」

レイ・ブラッドベリ『華氏451度〔新訳版〕』(早川書房、二〇一四)八八頁

 本には、著者や編集者など、その本をつくった人が必ずいる。その本が物語であれば、そこには登場人物がいる。そして世界のどこかに、自分以外にも同じ本を読んでいる読者がいる。どんな本でも、その本の向こうに、さまざまな人の存在をみることができる。

 話し合える人や、わかり合える人が少ない環境に身をおかれたときは、本が先生となり、友達にもなる。本の中には、あらゆる国の、あらゆるタイプの人がいて、生きている人だけでなく、死んでしまった人にも会える。この本をつくった人はどんな人だろう、この本を読んだ他の誰かはどんなことを考えただろう、とつくり手や読者を想像する。本ほど簡単に、自分の好きなペースで、多様な人に出会えるものはない。

 だから本屋は、人と出会える場所でもある。出会いはアクシデントだ。たまたま教室で席が隣だった人と一生の友達になったり、同じ職場につとめていた人と結婚して一緒に子どもを育てたりするのは、珍しいことではない。限られた一期一会の中で、たまたま出会った人との間で、生活が変わっていく。同じように、ふらっと入った本屋で、たまたま目に入って、何の気なしに手に取った本を買い、部屋の隅に積んだまましばらく忘れていて、ふと気が向いて読んでみたことが、人生を大きく動かすようなことがある。

 見知らぬ土地で、たまたま同じ宿に、ことばの通じる人がいたから、話しかけてみる。ひとりでふらりと入った居酒屋で、隣の人とたまたま話して、少し盛り上がったから、連絡先を伝えてみる。慣れなければ勇気のいることだけれど、相手が本なら簡単だ。背表紙や表紙を見て、気になったら少し立ち読みをしてみる。自分がページをめくったときだけ、その人はあらわれる。

 だから本屋は、教室であり、職場であり、宿であり、居酒屋である。駅でもあり、広場でもあり、SNSでもある。いろいろな人と、偶然に隣り合わせる。機会があればゆっくり話でもしてみるのもいいな、という本を見つけたら、いつ読むかわからなくてもとりあえず、気軽に買って帰ることができる。

※『これからの本屋読本』(NHK出版)P20-22より転載


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