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人生のランナーを辞めて、ハイカーになった

「人間はときに自分に鞭を打ってでも頑張らないといけない」

中学1年生の頃、所属していた運動部の部長からもらった手紙にこう書かれていた。

小さい頃から、勉強や自由研究、学校行事など、人一倍努力してきた自負があった私はこの手紙にショックを受けた。まるで、私が努力をしていない人間だと言われたような気がしたのだ。
さらに、今となって思えば、この言葉にあれだけのショックを受けたのは、この手紙をもらった時期が、中学受験に晴れて合格し、憧れの中学校に入学し、自分の努力がようやく認められたとわずかばかりの自己肯定感を得られた直後だったからこそ、ようやく形成されつつあった自己肯定感が打ち砕かれてしまったためだと思う。

あれから20年、事あるごとにこの言葉を思い出して、自分に鞭を打って頑張ってきた。

加えて、私自身も、人生は努力をして困難を乗り越えて高い目標を達成していかなければならないものだと思って生きてきたし、小さい頃から、中学受験、高校受験、大学受験と、次々と目標を持たされ、「一生懸命頑張りましょう」「努力は実る」などと教育されてきて、無理をしてでも頑張って生きる、ということ以外に選択肢があるなんて知る由もなかったのだ。

そうやって生きてきた人間が社会人になったら。

言うまでもなく、無理をしてでも働くこと以外に生き方を知らないし、これまでの学生時代とは違って、社会人としての責任までも伴うようになるのだから、無理をする生き方には拍車がかかる。

そんな働き方をしていた私は、退職が近いような年配の先輩方から「そんな働き方をしていたら体を壊すよ」と何度も心配された。

しかし、若くて健康が当たり前だった当時の私は全く聞く耳を持てなかった。それどころか、「そんな生ぬるい働き方をしてきたから出世できなかったんだよ」などとむしろ批判的に捉えさえしていた。

それに、これまで一生懸命全力で頑張ることだけを求められて生きてきたのに、突然、無理をするな、と言われても、どうすればいいのか分からなかった。

先輩方の心配をよそに、そんな働き方を続けて数年が経った頃、頻繁に体調不良に見舞われるようになった。
いつもなら風邪であれば2〜3日で治るのに、高熱が下がらなくなり、結局、原因が分からないまま入院までして、完治するのに2週間もかかってしまった。
そのわずか3ヶ月後には、いつもなら膀胱炎も2〜3日で治るのに、腎盂腎炎にまでなってしまい、またしても完治するまでに2週間もかかってしまった。

そして、さらに3ヶ月後。

腹痛と下痢がはじまった。病院へ行ったら、「胃腸風邪が流行っているし胃腸風邪だね」と言われて薬を出された。薬を飲んで休んでいれば2〜3日もすれば治ると思っていた。

ところが、全く下痢が止まらない。4日以上も下痢が続くなんてことはこれまでなかったし、何かがおかしい気がする…と心のどこかで思いながらも、当時はまだ20代だったこともあり、そこまで心配にはならなかった。

腹痛も下痢も止まらなかったが、何日か休んだ後、どうしても休めない仕事があったため、下痢止めを電車の中でも飲みながらなんとか通勤した。

職場に着いて、やはりトイレへ行ったが、そこで目にしたのは赤い下痢だった。明らかに血というほどの赤色ではなかったが、私は「やっぱり」と思った。心のどこかでただの胃腸風邪なんかじゃない、何かがおかしいと思っていたから、やっぱり胃腸風邪なんかじゃなかったんだ、と妙に納得した気持ちになった。

と、同時に、言いようのない不安にドッと襲われて泣き出しそうになったが、もう私がやらなければいけない仕事の時間が迫っていたため、「仕事しなきゃ!」と自分に言い聞かせて、急いで頭の中の不安を振り払って、泣くのを我慢して、便器の蓋を下ろして流した。

何事もなかったかのようにトイレから戻って、私は、やらなければならない仕事へと向かった。その仕事をしている間、頭の中ではさっきの「赤い下痢」がぐるぐると回って、全く集中できなかった。そして、その仕事を終えたら、私は早退した。

それが私が当時の職場に出勤した最後の日となった。

早退してすぐに胃腸風邪と診断された病院へ行ったが、「もううちでは診れないから大きい病院に行ってほしい」と言われた。

世界がまるで違って見えた。
寒い2月の日だったから、余計に、世界が私に冷たくなったように感じた。

それから、地元の総合病院へ行ったが、最初はやはり、細菌性か、ウイルス性の腸炎だと言われ、出された薬を飲んだが、いっこうに腹痛も下痢も止まらなかった。過敏性腸症候群かもしれない、とも言われたが、また追加された薬を飲んでも治らない。
それどころか、「赤い下痢」はただの真っ赤な血に変わっていった。食べ物も喉を通らなくなり、みるみるうちに痩せていき、ベッドから起き上がるのがやっとになった。

当たり前のようにこれからも人生は続いていくと思っていた。
いや、そんなことすら考えたことなんてなかった。
私にとって、人生は続くのが当たり前だった。

しかし、このとき、そんな私の中にも、たしかに「死」が存在しているということを思い知らされ、当たり前のように人生が続いてきたことがどれだけ幸せなことでどれだけ恵まれていたのか、そして、私の人生も有限であるということを痛感させられた。

これまではキャリアを築くことが人生の大きな目的だったのに、高い目標を達成していかねばと思っていたのに、もしかしたら人生が終わってしまうかもしれないという恐怖を前にしたとき、私が思ったのはもっともっと単純なことだった。

また美味しいご飯が食べたい。
また美しい景色が見たい。
これからも、ただただ、夫や両親と一緒に生きていきたい。

これまでは何とも思っていなかった当たり前のありふれた日常が戻ることを、そして、これからもそんな日々が続いていくことを心から祈った。そのとき、キャリアとか目標とかそういうのはどうでも良かった。

結局、私は「赤い下痢」を目の当たりにしてから、2週間後に、3つめの病院で潰瘍性大腸炎だと診断された。潰瘍性大腸炎は難病だ。現代の医療では一生治らないことになっている。
それでも、私は夫と抱き合って喜んだ。

私の人生がまだ続く!

そして、私は退職した。

私は、これまでの人生、「辞めること」ができなかった。

中学の部活動も顧問は暴力教師で、部員同士のトラブルも絶えず、炎天下の中で水も飲まずに運動場を走らされたり、それはそれは辛く、辞めたくてたまらなかった。高校だって、部屋には覗き窓があって監視されながら勉強をさせられる寮に入ることを強いられ、成績の良い生徒しか相手にしない教師たちに、東大以外は大学ではないかのような価値観の教育をされ、私にとっては、街行く人の誰でも良いから変わりたいと願ったほど辛い毎日だった。仕事だって、体を壊すほど無理して働いていたけど、本当にやりたい仕事ではなく、人生を無駄にしていると思わない日はなかった。

それでも、中学の部活動も、高校も辞めなかったし、仕事も病気になるまで辞めなかったのは、辞めることは逃げることで恥ずかしいことだと思い込んでいたからだ。負けず嫌いの完璧主義だった私にとって、逃げることほど恥ずかしいことはなかったのだ。

でも、人生は有限だと思い知らされたとき、勝ち負けとか、逃げるとか、人からどう思われるかなんてもうそんなことは心の底からどうでも良いと思った。
ただ、ただ、生きていきたい。
大切な人と、美味しいものを食べて、美しい景色を見て。
人生は、意外とシンプルなんだな、と気付かされた。
幸せは高い壁をボロボロになりながらよじ登った先にあるものではなく、ありふれた日常に転がっていて、それに気付くことができるかどうかなのだと、ようやく気付かされたのだ。

退職した年には、夫とキャンプや旅行にたくさん出かけた。
富士山の麓でキャンプをしたときには、朝起きると目の前にドーンと富士山があって、その富士山は夕方には真っ赤に染まって、夜にはキラキラと星が瞬いて、そんな美しい景色を見ながら食べるご飯はとても美味しかった。
車中泊での東北一周旅行に出かけたときには、東北の美味しいご飯をお腹いっぱい食べて、九州生まれの私にとっては初めて見る景色をたくさん見て。
お腹いっぱいご飯を食べられて、美しい景色を見られて、あぁ、生きてて良かった、と私は何度も何度も心の底からそう思った。人生は私が思っていた以上に素晴らしくて、美しいもので、そして、幸せはとてもシンプルなものだと知った。

そして、退職してから1年後には息子が生まれた。
息子の笑い声が家に響き渡るだけで心が満たされて幸せな気持ちにさせられる。息子の寝顔を見ていると、世界は私に優しくなって、微笑みかけているようにすら思われる。
息子が生まれてからは、美味しいご飯を食べなくても、美しい景色を見なくても、ただ、ただ、息子がそこにいるだけで幸せを感じるようになった。
私にとって幸せはもっともっとシンプルなものになった。

病気、退職、出産を経験し、子育て中の今になって思うのは、そもそも、何かを辞めることは逃げることなのだろうか、ということだ。
今いる場所から見れば逃げているように見えるかもしれない。
でも、例えば、部活動を転部したり、高校を転校したり、仕事を転職したりすれば、行った先から見れば、飛び込んで来ていることになる。
辞めることは、新たに何かをはじめることだ。
転部したり、転校したり、転職したりせずに、ただ辞めるにしても、それでも、これまでとは違う新しい生活がはじまるということに変わりない。
物事を最後までやり抜くことが大事だとされる一方で、辞めることは悪いことだとされがちだが、人それぞれに合う合わないがあり、そして、それはやってみないと分からないものだ。やってみて合わなかったら、それを無理して続けるのではなく、自分に合う方へと方向転換する、これもまた大事なことだと思う。そこそこ人生経験を積んだ今、特に若いうちは失敗や挫折を恐れず、どんどんいろんなことに挑戦して、自分に合うものを見つけていくべきだとすら思う。
だから、辞めることは逃げることでもなければ、恥でもないと、今ならはっきりとそう言える。

人生はマラソンに喩えられることがある。
仮に、人生がマラソンだとしても、短距離走のように常に全力疾走で走ることなんてできないのだから、常に精一杯、全力で頑張って生きることもできないのだ。そんなことをしてしまえば、私のように体が悲鳴をあげて壊れてしまう。

先日、おもちゃで夢中になって遊んでいる息子を眺めながら、ふと、人生はマラソンですらないのではないか、と思った。マラソンなら立ち止まることも許されないのではないか。
私は息子が生まれてから自営の夫の仕事を手伝ってはいるものの、自分のキャリアはいったんお休みして、大半の時間を息子と過ごしている。これって人生の休息だなぁと思ったのだ。
そして、マラソンじゃないなら、人生は何だろうと少し考え、私は「人生はハイキングだな」と思った。上り坂もあれば、下り坂もある。途中、眺めの良いところでゆっくりとお弁当を食べる時間もある。のんびりと平な道を歩いたり、綺麗な花を立ち止まって見たり。
人生だって、立ち止まって、景色をゆっくりと眺めたり、お腹を満たしたり、ポカポカ陽気にウトウトしたり、そんな時間が必要なのだと思ったのだ。

今まさに私は、眺めの良いところで、ポカポカ陽気の下、家族とゆっくりお昼ご飯を食べているような感じだ。私のこれまでの人生は上り坂続きだったから、眺めも良いのかもしれない。

「人間はときに自分に鞭を打ってでも頑張らないといけない」というのは、たしかに、そういうときも必要なのかもしれない。私もそうした結果、得られたものもわずかにあった。

でも、自分で自分に鞭を打たずとも、勝手に鞭で打たれてしまうのが人生だ。
だから、自分に鞭を打って頑張ることよりも、自分に飴をあげて自分を労ることの方がより大事だと思う。

私も、眺めの良いところで、ポカポカ陽気の下、家族とゆっくりお昼ご飯を食べて、飴でも舐めながらしばらく休憩したら、またゆっくりゆっくりと人生を散策しようと思う。














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