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答えのない蝶々の一生~冬に生まれたモンシロチョウ~

こんにちは、こんばんは、スターです。


実は、三日前の夜、リビングに急に白い蝶々が出現したんです。

どこから?!😲!!!??

子供たちと私はびっくりです。

ヒラヒラと天上周辺を飛び回り、壁の上の方に止まって休んだり、また飛んだり…。


虫というところで、女四人で大騒ぎしながら、

外に出そうと、窓を全開にして、虫取り網を持ち出して、長女が静かに網に入れて、そのまま無事外へ。


って!
蝶にとって外寒いよね?でも昼間外から入ってきたんだよね?????

??????????

謎を残しつ蝶々は冬の寒空のどこかへ消えました。


謎の蝶の出現から一夜明けて、翌日の夕方のこと。

三女が、
「外の階段の所に昨日のちょうちょいるよ!動かないよ!」

行ってみると、羽を合わせて足を地面につけたまま固まっている蝶が。


昨日の蝶だ!そしてやっぱり寒さで固まってっる…。
てか、死んでる…?

そこら辺の葉っぱを蝶の足元に持っていくと、ちょこちょこと、乗っかってきて、(お、生きてる!!)そのまま、寄せ植えの鉢の花と葉の間に乗せてあげました。

羽や触覚のようなものの形状を調べると、その蝶は、モンシロチョウでした。

こんな冬にモンシロチョウ?????


これはもしや…。

お正月に実家からもらってきた野菜についていたのかもしれないサナギが、

エアコンで温まったリビングで羽化したのか????

たしかにキッチンとリビングの仕切りはない部屋だけど、

もらった白菜とか大根の中に紛れてた…??

玄関の土間?

冷蔵庫じゃサナギも死ぬだろう…。


というわけで、謎のモンシロチョウは、
我が家の玄関に置いた寄せ植えの鉢の上で、

冬眠というか、仮死状態になっているというか、動きません。

モンシロチョウの成虫は基本冬眠はせず、
冬眠する蝶であっても、サナギのまま冬眠して、越冬するらしいです。


でもうちの蝶は、
リビングの暖かさで春と間違えて羽化してしまうという、人生が始まってしまった蝶なんですよね。

蝶は、卵、幼虫、サナギ、成虫、の4ステージで、成長していく、
完全変態をする昆虫らしいです。

そう考えると、幼虫からこの世での生活は始まっていたと考えれば、

こんな異常な成虫としての蝶人生が始まったことに絶望してしまっても、


幼虫、サナギ時代は元気に過ごせていたと考えれば、成虫の悲しい人生もそんなに悲観しなくて済むのかも…。

と、考えたり。

飛べない蝶の寝床になっている鉢植えを、外に出して、自然の生き物たちに、動かなくなった体を食べられた方が、自然の摂理に則った生き方ができるのかも…。

と、考えたり。

春の虫のモンシロチョウを一晩冬の寒空に放り出してしたら、飛べないくらい弱ってしまったので、

もう一度、蝶を乗せた鉢植えを、せめて寒さから守ろうと、中(玄関)に入れてあげたりしたり…。

もともとは人間の手違いで生まれる季節を間違えて成虫になってしまったわけで…。

云々云々…。


そんな中、

三女は、蝶を起こして?鉢植えに咲く花の花弁の部分を、蝶の口元に持っていくと、

足で必死に花びらをつかみながら、口からストローを出して、蜜を吸うのです!


かわいい…。なんて健気でかわいいんだ…。

そんな時間を過ごした後、蝶はまた静かに冬眠に入りました。


それを見た三女が、蝶が死んでしまった!、と、泣き始めてしまい、それが止まらなくなって、お風呂に入ってからも止まらなくて、かれこれ40分は泣いていました。

蝶を想って、目を真っ赤にしながら泣いている彼女を見て、

私は再び蝶の一生をについて思い馳せてみる…。


⋆⋆⋆

動かなくなった蝶を見て、悲しくなって、一時間近く泣いている彼女を見て、考える。

蝶にとって最善の策は何だったのか。
中途半端なやさしさは蝶を傷つてしまうのか。

でも、うちのリビングで生まれた、

季節を間違えて羽化してしまって、
一晩寒空で過ごす羽目になり、

微かな息をし続けているその蝶を、寒さの中において、死ぬを待つのは「違う」と思った。


でも、それも「エゴ」なのだろうか。
「自我」なのだろうか。

分からないけど、

三女はそれに気づいたのかもしれない。

自分たちが蝶に「してあげた」と思って届けたやさしさと、
その末に蝶が目の前で動かなくなってしまったことの矛盾に。

無性に悲しくなってしまったんだろう。


でも思う。

この世界に命を宿した者の宿命について。

蝶だって、一人で生まれたわけでも、蝶しかいない世界で生きていくわけではなかったことを。

周りにいる私たちが、何をしてもしなくても、蝶の運命は蝶の元に訪れるべきものだったのだ。

この世に生まれた瞬間のキセキを想う。

虫も、鳥も、動物も、花も、草も、木も、人間も。生命の行く末はいつも平等なのかもしれない。

1つの個体ではこの世を生きられない。

そんな生物全てに、無情なほどに、

誰のせいでも何のせいでもない世界が、この世には広がっているのかもしれない。


蝶に、この世の摂理を想う。


おわり。


追伸。
蝶は動けないですが、昨日、羽をパタパタとしていたと、三女が言っていました。鉢植えの上にいます。そして、三女がたまに砂糖水で湿らせたティッシュを持っていくと、口からストローを出して飲みます。終わるとストローをしまって、また動かなくなります。



ありがとうございました。
合掌。
@スター@



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