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読書レビュー「晴天の迷いクジラ」窪 美澄

初版 2014年7月 新潮文庫

あらすじ
デザイン会社に勤める由人は、失恋と激務でうつを発症した。社長の野乃花は、潰れゆく会社とともに人生を終わらせる決意をした。死を選ぶ前にと、湾に迷い込んだクジラを見に南の半島へ向かった二人は、道中、女子高生の正子を拾う。母との関係で心を壊した彼女もまた、生きることを止めようとしていた――。どれほどもがいても好転しない人生に絶望し、死を願う三人がたどり着いた風景は──。命のありようを迫力の筆致で描き出す長編小説。
(新潮社HPより)

物語は自殺しようとしている人どうしが
いまわの際で出会って、すったもんだして、ギリギリで自殺踏みとどまって
さて、どうやって生きる希望を見出していくのか・・・
というパターンの話です。
僕は今まで死のうと思ったことは1度もないので、
この手の話の主人公には、まず共感はできないのだけれど、
映画や小説としては、なんか気になるんです。
この手の話に惹かれるのは、
自殺しようとしている人に何ができるのか?
絶望の淵から、どうしたら生きる希望を持てるようになるのか?
この難問に対するヒントを得たいからです。
昨今のご時世柄、主体的であるか客観的であるかの違いはあるにせよ、
誰しもがこの難問に、けっこう身近に直面しているのではないでしょうか。
今まで観てきた作品の中では、これといって、目の覚めるようなヒントは得られませんでしたが。
本作では、かなりいいヒントが得られたかもです。
まず、感じた一つめのヒントは
ゆるさとか、いい加減さとか、ガサツさって、けっこう大事だな~
ということ。
女子高生の正子は幼い頃から体温日記をつける事を母親に義務づけられています。
正子の姉が生後間もなく風邪をこじらせて亡くなり、
そのことで母親はちょっと病的に神経質になっているわけです。
高校生になっても門限は5時、その他行く場所、接触するものなどに、いちいち干渉され、監視される。
父親には「みんな正子のためを思ってやってることだから、わかってやりなさい」と言われ、もちろんそれは正子もわかっているから、反抗せず素直に受け入れています。
そかし、そのことが緩やかに正子の首を絞めていきます。
転校も多かったことから友達も作らない正子でしたが、半ば強引ないきさつで、友達になる忍の存在がいいんですね~。ガサツで乱暴なんだけど、とってもチャーミングな女の子として描かれています。
たびたび遊びに行くようになった忍の家は、足の踏み場もないようなゴミ屋敷で、チリ一つ落ちていない家に育った正子とは、表面的にはかみ合わない事のほうが多いけど、正子は不思議な居心地の良さを感じるようになっていきます。
窒息しかけていた正子は、忍のガサツさによって救われるんですね。
しかしそれもつかの間、母にみつかって、忍の家にいく事を禁じられ
その間にもともと持病を持っていた忍が○○でしまい。
いよいよ不登校、引きこもり、リストカットという道を進んでいくのですが。
こうなってくるともう、「疲れたら逃げてもイイんだよ」とか「自分の思うように生きなよ」
とか言っても届かないでしょう。
そこで、もう一つの重要なヒントとして感じたのが時間です。
自殺する人には、‟魔が差す“時間があるのだと聞いたことがありますが。
ふっと、誘われるときがあるそうで。
本作では、まさに練炭自殺しようとしていた野乃花に遭遇した由人は
とっさの口から出まかせで、クジラを見に行こうと誘います。
その他、破れかぶれに脅迫まがいの言葉を並べ立てたりして。
それに野乃花が根負けして。
野乃花の‟魔が差した“時間を、なんとか先延ばしにできたわけです。
そんな二人が道中で正子を拾い、3人でどっかの田舎(おそらく九州)の小さな入り江に座礁したクジラを見に行く、というのがクライマックスなのですが。
方向感覚を失って座礁したクジラはほとんど動かず、何も起きず。
野次馬たちがほとんどいなくなっても、クジラを見る以外に予定のない3人は、ただいつまでもクジラを見ています。
そんな様子を見かねた地元役場の青年、雅晴に声をかけらた成り行きから、
3人は疑似家族を装い、この雅晴とおばあちゃんの暮らす家に居候することとなります。
ばあちゃんはいかにも田舎の人懐っこいばあちゃんで、季節は夏の晴天、
予定もない3人は来る日も来る日も、ぼんやりクジラを見たり、雅晴の家の家事を手伝ったりしながら、平凡な家族を装って過ごしていく・・・。
と、このくだりが見事ですね~。
なんか自然に死ぬタイミングを逸しちゃっていて、3人とも今までに感じた事がないような、
むしろ不思議な居心地の良さにつつまれていき・・。
雅晴の家族も実はいろいろあって、
ばあちゃんや雅晴の言葉に思わず目頭熱くなるシーンもあるんだけど・・
結局は、あの、ゆるやかな時間がすべてだったんだと僕は思うのです。
日に日に弱っていくクジラが、時おり潮を吹いたりして、必死に生きようとする姿に
自分を投影して、生きる希望を見出す。なんてオチかな~と思ってたら、
大学教授のクジラ博士に「クジラと人間を重ねちゃだめだ」なんて言わせて、
そこも切り口ちょっと違っていて、斬新でよかったですね~。
前半から中盤過ぎまでは、3人の主人公たちの生い立ちが描かれ、家族間の、家族だからこその、その間にねじれ絡まった情念のようなもの描写は、重苦しくも、圧倒的なリアリティで迫ってくるものがありました。
あと性の描写の生々しさ!
もはや笑っちゃったけど・・。
そんな前、中盤の息苦しさを、後半のゆるさ、温かさ、ガサツさ、で一気に回収する怒涛の筆力。
読後感は爽快でした。

え?で?結局、得られたヒントは何だったのですと?
適度なガサツさとゆるやかな時間
を持てるかどうか・・・です。
いや、苦しい時こそ、強引にでも作っていこう・・
ということでしょうか・・。

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