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あきらめることにも慣れられる、開き直りの極意(オススメはしないです)

小学校3年でYちゃんという友だちが出来てから、ずいぶん変わった。

日直で前に出るだけで、何か性別への不安と恥ずかしさに涙を流していた日々から一転、授業でも積極的に発言するようになった。太宰の『人間失格』と同じことだった。

恥ずかしがって笑われるくらいなら、自分から笑わせにいこう。

という、よくあるケースだった。けれども、当時は
(我ながら大発明だ)
と思っていた。

選ばない、感じない、嫌なことは最低限に

中学への不安は募った。まず制服がある。これがスカートだ。もちろん嫌だ。受験も考えた。でも、制服がない中学は近くになかったし、勉強するのも億劫だった。将来のことなんて考えたくなかった。

それで、また「選ばない」という選択肢を選んだ。

ありがたさ、なのかどうかは分からないけれど、義務教育だから、受験なんてしてもしなくても、選ばなくても、自動的に上がる中学は決まってる。

そんな風に、選んだ。「選ばないことを選んだ」

そのときには、もうスカートをはくことにも、怒りを感じなかった。仕方ないというよりは、何も感じないようにしようとしていた。事務的に、嫌なことを最低限にしようという気持ちに近いような気がする。

最初で最後の選択肢、スカート

小学校6年のころ、髪の毛が伸びていた。卒業式に「タイトスカートのスーツ」というのがかっこよく思えた。もちろん、母が言ったから、そんな気がしただけで。

革靴をスーツに合わせて買ってもらえることになって靴屋に行ったけれど、すでに26cmだった足に合うローファーは当時あまり無かった。男物でよかったはずなのだけれど、靴屋のおばちゃんが女物にこだわったんだと記憶してる。
「足の指をこうね、丸めれば入るでしょ」
と、そのおばちゃんは言った。

爪先を丸めて履くことになった。

スカートを自分からはくと言ったのは、一生の中でもたぶんこの時1回きりだ。スカートをはいている姿を写真に撮られて、嫌な気持ちになったからだ。写真に写っている人間は、調えられた髪型も服装も、本当におぞましい生き物に見えたから。

その後30有余年、中学高校の制服以外にスカートを身につけたことはない。最初のお試しで嫌だと思ったから、人生では最低限に抑えている。成功だ。

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