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初めての"友だち"Yちゃんのこと

女の子の友だちができた

育った地域ではお金持ちの部類に入る子なのに、とてもあっけらかんとしていて元気いっぱいの子が話しかけてくれたのをきっかけに、小学校3年生になってはじめて仲が良いと言える友だちができた。毎日のように遊んだ。

Yちゃんだ。

Yちゃんとは、色んな所行ったけれど、ちょっと遠くの科学博物館に2人だけで行ったことがある。2人だけで。電車とバスを乗り継いで。

その頃からか、誰かと一緒にいると、自分がしっかりしなくちゃ、何かあったら守らなくちゃのような、そこまで強くないけれど、なんとなくそんな気持ちになった。

それは今も同じような気がする。相手が女性であっても男性であっても、遅くなれば送って行かなくちゃ、荷物持ってあげなくちゃと、そんなことを反射的に、感じるというか行動してしまうというか、パシリっぽいと言われる、そんな風になった。

初めて「こんにちは」が言えた日

Yちゃんのお母さんは専業主婦で、自分にはとても珍しかった。でも、全然気取らなくて、「ピロシキ」という食べ物を知ったのもYちゃんのお母さんが作ってくれたからだ。

初めてYちゃんの家に遊びに行ったときのことをとてもよく覚えてる。

保育園のころから「あいさつさえできない恥ずかしがり屋」だったから、初めて会う人がどんな人なのか、ドキドキした。

でも、ドアを開けてくれたYちゃんのお母さんをみたら、すらっと「こんにちは」と言えた。

ものすごく嬉しかった。初めてあいさつが出来た日だった。

Yちゃんのお母さんはもう覚えてないかもしれないけど。とても安心して「こんにちは」と言えた。自分を自分のまま受け容れてくれそうな、そういう雰囲気だったんだと思う。

Yちゃんのお父さんは、自宅でお仕事だったから、ときどき遊んでいるところへやってきて、手品を見せてくれた。世界中を旅行して手品のタネを集めたりしてるおじさんだった。

でも。

Yちゃんは、4年生になると「塾」に通ってしまって、ほとんど遊ぶことがなくなっていった。


母は、ことあるごとに、自身が小さい頃にどんなに貧乏だったかを話した。食べる物がなかった、着る物がなかった、貧乏の中でも貧乏だった。そんな話だった。

"お金持ち"のうちのYちゃんと遊んでいるころから、もう母は夜遅くまで残業するようになっていて、なんだか貧乏じゃないといけないような気がした。恵まれた自分をありがたく思わなければいけない罪悪感を感じた。

そして、ボクは髪の毛を伸ばしはじめた。

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