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『逆光記』〜六曜社地下店のカウンターに立つ〜

 昭和の喫茶店の雰囲気を体験することができるイベントをしたい。対話をする。本を読む。音楽を聞く。これが昭和喫茶のイメージである。そんな話を聞いていた。初めて『逆光』チームとお会いして、京都は北大路にある喫茶翡翠にて、京都で『逆光』を広めるために何をしようかという話をしていたときのことだ。そのイベントをまさか、京都における喫茶の名店、六曜社珈琲店で実現するとは、『逆光』チームの誰もが予想だにしなかった。おそらく、このイベントに実現に関していちばんびっくりしているのは、うちのボス・須藤蓮だろう。

 4月13日の夕方、少々椅子の配置を変え、『逆光』グッズの物販コーナーと、古本・中古レコード販売コーナーを設けた、一夜限りの六曜社がオープンした。『逆光』チームが店内に散らばる。グッズを販売するみーこ(木越明さん)、古本販売担当の文江(富山えり子さん)、うろちょろしている晃(蓮さん)、5時間で100杯の珈琲を淹れることになるマスターの董平さん、そして、地下店にてレコードをひたすら回し続けるのは、何を隠そう、このぼくである。

 ぼくは日常的に六曜社に寄っては珈琲を飲んだりしているけれど、まさか六曜社のカウンターの中に立つ機会が来ようなんて、もちろん考えたことはないし、立ってみたいとも思ったことがなかった。そう考えることが恐れ多かった。しかし、そのぼくが六曜社地下店マスターの立ち位置にいる。レコードを回しながらお客とお話しして、「違和感がない」だとか、「お店やってそう」だとか、「修さーーん(六曜社地下店のマスターは奥野修さん)!」だとか、どんなに背伸びをしても届きそうにはない言葉をたくさんいただき、心地よいようで、どこかくすぐったかった。

 とあるお客に「よく『逆光』のInstagramで見ます!」なんて言われ、ぼくもとうとう有名人になったのかと調子に乗り、「サインでもしましょうか?」と言おうとした(していない)のも束の間、「パネルの方ですよね?」なんて言われて、ぼくの膨れ上がった気持ちはしぼんでしまった。パネル作成という、華やかさとは程遠いパネル作成で声をかけられた屈辱感(?)と、それでも認識していただいていることの嬉しさが混在した変な涙が出てきそうで、危なかった。

 イベントには、喫茶店という場所にとっては溢れてしまうほどたくさんのお客が来てくださって、しかもお客同士、それぞれの場所で会話が生まれてゆく。誰かが弾いてくれるといいなと思って持って行ったぼくのギターとウクレレこそただのインテリアでしかなかったけれど、出店してくださった古本とレコードの物販も売れに売れて、素晴らしいイベントであったように思う。ふらっと入ってきた六曜社の常連さんが「3ヶ月に1回くらいこんなイベントをやればいいのに」と言い残して帰られたらしい。やはり素晴らしいイベントであった。

 帰り際、マスターの董平さんに「ナイスDJ!」と言われた。この言葉をどう受け取れないいのだろうか。労いの言葉なのか、それとも、六曜社珈琲店への内定と捉えるか、それはもちろん後者の方である…こうやって調子に乗るのは良くないことだとはわかっている。ただ、すごく気持ちの良いイベントであった。その思い出話をするときくらいは、少しだけ調子に乗ったりしてもお許しをいただきたい。

 上映が終わるまで、六曜社珈琲店の灰皿は『逆光』のままだし、地下店に貼られたパネル(ぼくが作りました)は撤去されない。六曜社で『逆光』と共にひと息ついて、誠光社で開催中の「ONOMICHI」写真展を堪能した後、出町座で『逆光』を観る。こんな休日はいかがですか?



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