バスドラム

練習と片付けを終えて外に出てみると、すっかり日も落ち、辺りは夕闇に包まれていた。
「さっさと帰ろ。」
誰に言うでもなくそう口にすると、清志はゆっくりと歩き始めた。
「おーい、清志くん。」
すると、後ろから清志のことを呼ぶ声が。
振り返ると、笑顔で手を振りながらこちらに駆け寄る人が一人。それは、清志よりも後に入った、大学生の真壁 玲央(まかべ れお)だった。
「玲央さん、どうしたんですか?」
「清志くん、このあと時間ある?」
「はい、ありますけど。」
「じゃあファミレスでも行かない?」
「はい、是非。」
年齢が近いこともあり、清志自身、以前から玲央のことを気にしてはいたが、なかなか話す機会がなかったので、これは清志にとって願ってもない機会だった。
しかしそこで一つのことに気づく。
「あでも、お金もってきてないんで一旦取りに帰ってもいいですか?」 
練習終わり、お腹がすいてついつい買い食いをしてしまっていた清志は、それではお小遣いがもたなくなると、最近は学校が終わって一度家に帰ると、財布などは家に置いて練習に向かっていた。
「いやいや、それくらい俺が出すから。」
玲央は笑いながらそう答えた。
「いやでも……」
「大丈夫大丈夫、俺だって大学生だよ。バイトくらいしてるし、ね。」
「じゃあ、ご馳走になります。」
「うんうん。」
玲央は嬉しそうに笑った。

二人は目の前に並んだ料理を口に運びながら、会話に花を咲かせた。
「そもそも清志くんはなんで太鼓を始めたの?」
「僕は、そうですね。夏祭りで皆さんの演奏を見て、それで心を掴まれて。そのときは特に部活とかも入ってなかったんでやってみようかな、って。」
清志は相当にかいつまんでこれまでの経緯を話した。
「なるほどね。確かに、竜さんたちの演奏には心動かす何かがあるよね。」
「はい、そうなんですよ!」
清志は身を乗り出してそう答えた。
「うんうん、落ち着いて。」
玲央はまるで赤子をあやすかのように清志をなだめた。
「あ、すみません。」
清志は急に照れくさくなった。
「大丈夫大丈夫。」
玲央はまた笑ってそう答えた。
「玲央さんは、なんで始められたんですか?」
「俺はね、実は高校の時からバンド活動してるのよ。」
「え、そうなんですね。かっこいい。」
「いやいや、バンド活動してるだけだから。」
玲央は照れくさそうに笑う。
「で、バンドではずっとドラムをやってるんだけどさ、最近自分のドラム技術に悩んでて、それでそのときにここのことを知ったのよ。」
「そうだったんですね。」
「うん。まあだから、自分の演奏の幅を広げるためにもいいかなと思って、それで門を叩いてみたってわけ。」
「へえ。いや、なんか自分には全然ない発想だったので思わず感心しちゃって。」
「いやいや、そんな大した発想じゃないから。」
「ドラムって、なんかいっぱいありますよね。」
「いっぱい?」
「あ、はい。あの、叩く部分が。」
「ああ、そうね。色々あるね。」
「いや、なんか僕からするといっぱいありすぎて分からなくて。」
「まあ確かにね。例えば……」
そう言いながら玲央はスマホでなにやら調べ、画面を清志に見せた。
「おお、やっぱりいっぱいある。」
「これがスネアドラム。」
「スネア、あ、なんか聞いたことあります。」
「これがクラッシュシンバルに、こっちのがハイハットシンバル。」
「シンバルだけでもそんなにあるんですね。」
「それで、この前から見て一番ドンと構えてるのが、バスドラム。」
「バスドラム。」
「このバスドラムが一番大事なんじゃないかと俺は思うのよ。」
「ほお。それは、なんでですか?」
「やっぱりここが基準になるからね。」
「基準、ですか。」
「うん!」
玲央は今までとは違う、でも今までもどれよりもいい笑顔を浮かべていた。
「玲央さんって、やっぱりドラムが大好きなんですね。」
「そう、かな。」
玲央は照れくさそうに答えた。
「よし、じゃあそろそろ帰ろうか。」
「はい。」
「いや、清志くんと話せて楽しかったよ。また行こう!」
「はい、是非お願いします!」
清志はお会計をする玲央の背中を見ながら、改めて、色々な人と出会えたあの場所に感謝するのだった。

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