「注意する日」にわかったこと。

昨日は「注意する日」だとわかっていて良かった。気を付けようと思ってなかったら、つい嫌なことを言ってしまうところだった。

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人って無意識に、「この人にはこれくらい言ってもいいだろう」とか。慣れていると何も考えずに “クセ” で文句を言ってしまったり(聞いてくれるから)、頭の中をそのまま無遠慮に態度や言葉に出したりする。

それはもともとの性格もあるだろうけど、性格というよりも「慣れ」からくる部分が大きいんだろうなぁ。

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自分が信頼している人から何かを言われたとき、私はその人のことが好きだから、その言葉を理解しようとするし、前向きな方向に持って行きたいと考える。嫌われたくないし、自分が大事にしたい人からは好かれたい。

だから好きな人の態度に疑問を持つことがあっても、まぁ仕方ないと思って、他の人とのバランスがくずれないように調整したり、相手の話に一生懸命とりあったりする。

自分が信頼する人の言葉は「もっともらしく」聞こえるし、何かを言われたら真剣に考える。

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昨日は「注意する日」。良くも悪くも普段より感情が敏感になっていたみたいで、自分が信頼している人であっても、少し乱暴なコミュニケーションは私が全く受け入れられない。

うっかり余計なことを言いそうだったから、「エッ!?」と思うことも聞くだけ聞いて黙っておいた。そしたら、相手が言ってることの論点が話す度にズレていることに気づく。

そして、もっともらしく聞こえることも、私には “言いやすいからただ言葉にしているだけ” で考えて発言しているわけではない。ということに気づいてしまって。

あーーーーーーー。
あーーーーーーー。

これは間違いなく、「慣れ」による甘えだ。

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黙っていた効果で冷静になれて。「この人から好かれたい」という執着を手放そうと決めたら、私の脳も「この人のことは好きだから、一生懸命にならなきゃ!」という雰囲気で勘違いしてたんだ、とわかりました。

好きだからと、なんでもかんでも真面目に取り合うと相手の良くないところも助長させる。自分も疲れる。

目標へ向かうための「何とかしよう」はいいけど、その場をおさめるために、私がバランスをとって「何とかしよう」とするのはやめることにした。

何とかなったとしても、それはまた違う場面で同じようなことが起こる。何とかしようとすればするほど悪化する

手放すと、色んなことが見えてくる。

「注意する日」も、悪くなかったです。

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読んでくれて、ありがとう。

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