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足先の恐怖。

お久しぶりです。クマ吉でっす!
どうせ仕事でGWの休みがパァになることは分かっていたので、ブログだけでもと短い夏休みを先取りしていました。(サボってました。)

今回のタイトル、"足先の恐怖"と言う事なんですが。ホラーというよりは人間心理なのかな?と思います。

多くの人にあるあるの、布団を足先に被せていないと不安感がある。もしくは恐怖がある。現象を僕なりに考えました。

なんとなく?それとも過去の記憶?

過去の経験から、トラウマを発症してしまった方は沢山います。暴力を振るわれた事があり、それがトラウマと化してしまったら、近くで他人が何かの理由で手を上げたとしても、無意識に"叩かれる!"と錯覚し、体を守る姿勢をとったり、ビックリしてしまったり。
また、高所恐怖症も似た現象により発症する事が多々あります。
それ以外にも数え切れないほどのトラウマが存在しています。
ちなみに僕も観覧車は勿論、机にも登れない程の高所恐怖症です。

この足先の恐怖にも、もしかしたらトラウマがキッカケ。という人も居るのではないでしょうか?

想像の範囲で書くと、布団から足を出していて踏まれた事がある。もしくは物が倒れてきて、布団から出していた為に足を怪我してしまった。ないわけはありませんが、理解ができないという方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

しかし、恐怖とはいつでも理解の外からやってくる。

そう、理解とはいわば常識とイコールになっているのではないでしょうか。
その人その人で常識や理解は異なりますが、基本的な常識の中に生きて居る人としては、"常識を理解し、非常識を理解できない。"ものです。
だから理解できないものに対し、非難や恐怖。好奇心や楽観を抱いてしまうのです。

鼻から?喉から?頭から?あなたはどこから?

私は過去の記憶から。

少しふざけてみましたが、僕の場合は過去の記憶から、足先の恐怖を意識し始めました。

恐らく、相当昔の幼少期。テレビか何かで心霊番組をやっていました。そこでは、霊が足を出して寝ている方の足を食べている?と言う、今思うと??が頭に浮かぶ様な内容だったと思います。
しかし、これが子供の頃の僕には衝撃かつ恐怖でした。それ以来、僕は布団から足をなるだけ出さぬ様に包まって眠る様になりました。
夏で、暑いのにもかかわらず薄い掛け布団に足を隠しながら。

もしかしたら誰かに足を引っ張られるんじゃないか。足をちょん切られるのではないか。なんて変な被害妄想をしていました。

しかし、これがまた曖昧なのです。なぜかと言うと、本当にそんな番組はやっていたのか?
本当にそんな内容だったのか?自ら作り出した記憶なのではないか?などと、今になって記憶を疑い始めました。
この世には某"BUMP OF CHICKEN"さんの
"カルマ"と言う曲の歌詞でも言っている様に、僕もきっと"記憶を疑う前に、記憶に疑われてる"んでしょうね。(やかましいわ。)

なんせ子供の頃の記憶なので、自信もなければ根拠もありません。子供はよく自分の頭の中に世界を作り、そこで起こった事を現実のものとして記憶してしまうとよく言いますからね。
寂しい事ですが、幼少の頃の記憶などは殆どが真に受けられないものです。

しかし、もしこの番組や、内容を知っていると言う方がいらっしゃいましたらコメント下さい。語りましょう。

ここまでは記憶やトラウマについて書いてきました。しかし逆にこの現象を自ら作り上げた無意識なものだとしたら?

恐怖と不安はイコールで結べる。

恐怖とは、読んで字の如く何かを恐れ、怖がる様である。
そして不安とは、これまた同じ様に読んで字の如く、安心ができない様である。

一見、微妙な違いはあると思われます。が!!
ここで僕なりの意見を述べたいと思います。

不安。それは先ほどの通り、安心ができないと言う事です。では、安心ができないとどうなりますか?頭の中でどうにか解決しようと考えますよね。
大抵の問題は対策や解決をすることにより、不安から安心へと昇華されるのです。

じゃあ、安心へと昇華できなかった不安はどうなるのか。

ズバリこれは"恐怖"へと変貌を遂げてしまうのだと思います。

だんだんと自身の頭や心、身体で"不安の種"に水を与えて大きくしてしまうのです。
何が起きるのか?もしかしたらこんなひどいことになるんじゃないか?そうしたらアレがこうなって、こんなことにまで?
この様に起こってもいないことや、有り得るはずのないものまでを連想してしまい、不安はその負のエネルギーを浴びて、恐怖になります。

つまり、恐怖とは不安の最上級。

調べたところ、足を布団から出せないと言う事は、無意識に自身の臆病さや身体を守ると言う意識からくるものでもあるそうです。

寝ている間とは誰でも無防備なもの。寝てる間に自分で自分を守る術などあってない様なもの。故に人は自身の身に起きるかもしれない"なにか"に不安を感じ、守る為に足を中に仕舞うのだそうです。

つまりは心が恐怖を感じるのであって、心がなければ恐怖を感じることもないと言う事ですね。まぁ特に困る事も、いけないことでもないので受け入れてあげましょう!

恐怖とは生きる上で大切な感覚です。人はいつだって恐怖と悔しさと憧れから、それを克服しようと進化し続けて来ました。
恐怖を感じぬものに生きる楽しみはない。なんて言っている人もいる程です。

今回!この現象に僕は名前をつけました!それは。。

そのまんま"臆病な足先現象"です!

はぁ?て思った方。ネーミングセンスを疑った方。
いいですか?僕は飼っている犬に、グー、チョキ。と名付ける男ですよ?パーを飼おうか迷ってる男ですよ?
不満なら受け付けません!!

最後に!!

臆病さとは常に自衛の糧。

しかし、それを克服してこその進化です。受け入れて自分のものにしましょう!

以上!ばいび〜

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