マイブルーベリーナイツ

マイブルーベリーナイツという映画を見たことがありますか?
恋人に振られた女性が、「振られたことに理由はない。選ばれなかっただけなのだ。」と気づく物語。
ちょうどカフェのガラスケースの中で売れ残るブルーベリーパイのように。

ブルーベリーパイは美味しいし、売り切れたアップルパイやチーズケーキに劣ることはない。
ただ選ばれなっただけなのだ。

なぜカフェ店主はブルーベリーパイを作り続けるのか。
それはブルーベリーパイを好きな人もいるから。

私は幼少期にトラウマがある。
学校で友人達に選ばれず仲間外れにされている夢を大人になっても時々見る。

恨んでいることはないが、大人になってそういった人々が家庭をもって幸せに暮らしている噂を聞くと、心につかえる物がある。

マイブルーベリーナイツという映画を見て、この記憶 を掘り起こすのは、映画の意図とは外れるかも知れないが、「選ばれない」ということは深く心を傷つけるものだ。

学友に選ばれない
入学試験で選ばれない
就職試験で選ばれない
恋人に選ばれない
結婚相手に選ばれない
仕事で選ばれない

多くの人が気づいているように、選ばれなくても死にはしない。
人生は続くし、なんとか乗り越える。

しかし心の傷は消えない。
付き合っていくしかないのだ。

心の傷を抱えた人同士は分かる。
それを持っていない人よりも強く優しくあるからだ。

ブルーベリーパイは選ばれなかったと卑屈になってはいけない。
なぜ選ばれなかったのか問うてもならない。
大切なことは、自分の魅力を理解し、選ばれる工夫をしていくことだと思う。

選ばれる工夫とはなにか。
それは、選ぶ人の中に行くこと。
幼少期にいじめに合っていたた時、自分が選ばれないことに深く傷付き、先が見えなかった。
しかし、大人になってあの小さなコミュニティで、選ばれることに価値はないと気づいた。

ブルーベリーパイたちよ、ガラスケースを飛び出そう。