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美意識の底上げがクリエーターの生命線

ここ最近ずっと気になっているのが「美意識」「価値観」です。

今日のnoteは苦言というか老いの繰り言に近い感じで、常々思っているけどあえて口には出してこなかった事です。でもあえて書きます。

冷や水を浴びせるような内容なので出すべきか悩んだのですが、載せておきます。


フリーランスはもちろんなのだけれどデザイナーに憧れて毎日何かをアップしたりというのを見ていて、そもそも論でベースがないのにがむしゃらに作ってSNSで出しまくるのは効率悪くないか?と感じたんですね。

基礎理論や基礎技術であったり、何を持って良いものなのかの基準を自分の中で明確に持っていることはプロなら当然だと思うのですが、とにかく数を出す戦法ってある意味では残酷なまでに才能を表出しちゃう踏み絵だと思います。


まず、毎日続ける事で嫌が応にもそのクオリティにはその人の最低限の美意識が出ちゃう。

例えばなんだけれど、デザイナー(仮の人も含む)で何か発表する場合に、ホワイトバランスの狂ったままの素撮りの写真をそのまんまUPしちゃうっていうのは、そこ気にならないの?と思ってしまう。

ラフさを狙ったり日常感を出したいとかならわかるのだけれど、どう見ても意図してズラしたのではなくズレちゃった場合に、修正する一手間を惜しむのは「私は一手間をめんどくて省いてそのまんま提出するタイプです」って言っているようなもんです。

文字間隔とか、ホワイトバランスとか、構図とか、そういうムダ毛処理的なものっていうのは老練未熟に関わらずデザインのプロなら持つべき美意識なんじゃないの?

いや、わかっていて手を抜いているならダメなりにまだ救いはあるんだけれど、それが手抜き状態だという事すらもわからないとしたら、まずは何が良くて何が悪いかを自分で基準作りをしなきゃいかんと思うのです。


そういう美意識の底上げを日々繰り返しつつ調整していくのがプロがプロとして仕事をできる部分なんじゃないでしょうか?

まぁ、まさしく老いの繰り言だけれども。


育成は費用対効果が合わないという現実

日本ってOJT、つまり仕事しながら仕事を覚えるというのが一般的なのですが、転職市場がこれだけ活発化してくるとスキルが必要な専門職の入り口って未経験者には狭くなり続ける気もするんですよね。

体力のある企業なら新人研修にリソースさけるんだけれど、みんなどんどん合理的になってきてるから。

それに、ノンキャリア叩き上げでキャリア卒と同じラインまで行くっていうことは、不足するキャリア分を巻き返しでがんばるって事。

むしろ美大出身者とか膨大な学費を払って効率的に研究された基礎理論を学んでいるから、ノンキャリアで独学で追いつくって割と大変な道だと思う。働きながら時間のない中だし、なおさらハードモードな道。

トイアンナさんのこれとか、まさしくその通り。

結局ね、努力の総量は変わらない。むしろ人生進むほどに学習能力や自由な時間=掛率が下がるから、ベースの努力量を増やさないと結果に繋がらなくなってくる。

そして、育つ奴は勝手に育つ、っていうのはある種の残酷な現実でもある。


毎日挑戦するのは良いことなのだけれど、それって例え0.1%でも気づきがあって成長する場合で、一歩も前進せずに停滞している状況を垂れ流していても自己満足に過ぎないんじゃないかと思うのです。

あんまりこういう事を書くと冷酷で怖い人だと思われそうだから、書かないようにしているんですけどね。だって優しくて良い人に思われていたいじゃないですか?

それにね、伸びる人は勝手に伸びるし、ダメな人はこんなアドバイス程度では改善しないからね。みんな自由に好きにやれば良いとは思いますよ、結果を求めないのであればね。


なんて、我ながら辛辣すぎて書き終わりながらやっぱり消そうかと思いつつ、でもまぁせっかく書いたし残しておきます。そのうち見返して言っている自分自身ができてなくて、恥ずかしくなって消すかもしれないけど。

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