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【目印を見つけるノート】1435. 記録から記憶に遷移するもの

このまえ、駒場の『日本近代文学館』に行った話を書きました。あれもライヴの日だったなあ🤔最近はライヴに行く前に立ち寄ることが多いかな。
これまでは、少なくとも去年までは、ライブハウスにまっすぐ向かって、帰りに軽く食事をして帰ってくるのがほとんどでした。何か今年は、もっと有効に使いたいなあって思ったのです。おとといの都合6ヵ所は行き過ぎかも。

民藝館、行きたいな(まだ言ってる😅)

もとい、
その時のnoteはこちらですね。筆跡探偵のようで、すごく楽しかった。

そのときにもうひとつ企画展がありましたが上の記事には出しませんでした。
今日の記事にしようと思ったからです。
企画展『震災を書く』(3月30日まで)

こちらは関東大震災、東日本大震災について「文学は何を書きとどめているか」という趣旨の企画展です。スペースはそれほど広くはないけれど、たいへん強い印象を受けました。そうですね……このことは3月11日に書こうと思うぐらいに。
なお、この企画展は2013年から毎年行われていて、内容をまとめたものが書籍として刊行されました。本当に最近です。私はまだ見ていないですが、手に取ってみようと思います。
『慟哭 3・11 ー東日本大震災 文学館からのメッセージー』(青土社)

さて、展示ですが、
『1 関東大震災と文学者たち』にはそうそうたる人々の名前が連なります。秋田雨雀、竹久夢二、萩原朔太郎、川端康成、丸山真男、高見順、谷崎潤一郎、鈴木三重吉、北原白秋……お名前を見たことのある方ばかりです。この方々が皆、直撃を受けたかそうでないかという違いはあっても、震災をリアルに体験して、そのことを書いているのです。

今はそこから100年経ちますが、作品はテキストになり著者の姿はアイコンになっているように感じます。その方々が生きていて、東京に駆けつけたり、燃える町を見ていたり、家を引っ越したりしているというのを想像する機会はなかなかないと思います。随想、日記、スケッチという「個人の記録」は出来事の記録でもあり、故人の生を再生することでもあるでしょう。また、「それぞれの創作、小説の中にその共通体験が生きているかもしれない」と想像の枝を伸ばすことも可能だろうと思います。

そのように感じながら、次に進んでいきます。
『2 東日本大震災に寄せる言葉』の方では一目で圧倒される言葉がずらりと並んでいました。こちらでは自筆(原稿、あるいは揮毫)のものが展示の中心だったからかもしれません。
いくつか、『震災を書くー出品一覧ー』の書から引用します。行ったときに展示されていたものです。

馬場あき子(2014年)
沈下した河口ものともせず上る
鮭のいろくねるいのちそのいろ

長谷川櫂(2021)
何もかも奪われている桜かな

照井翠(2017)
別々に流されて逢ふ天の川

逢坂みずき(2023)
失くすって押入れの奥のランドセルさえも
うしなうことだよ、みんな

書は短詩型なのですが、どれもずしりと胸に迫ります。それはあの日の自分の記憶と重なって、しっかりとした像になっていくようにも感じます。

あの震災で犠牲になられた皆さまのたましいが安らかにあることを静かにお祈りし、
今も生活に困難を負っていらっしゃる皆さまに安心が一日も早くやってきますよう、心から願っています。

どちらの震災も記録やドキュメント、後者については映像がたくさん出ています。それも後世のために欠かせない重要なものであることは間違いがありません。それでも風化していくのを止められない場合もあるのですが……そうならないためには個人の心情や周囲のありさま、目にしたものを書き留めることも併せてしていくべきだと私は思います。詩でも小説でも直接的でも喩えでも、文学という手段ならば長く読んだ人の記憶となって残り、のちのちまで伝えられていくのではないでしょうか。そんなことを思いました。

個人的に、
文学、という言葉はあまり使わないようにしています。歴史の小説などを書いていると「それは文学ではない」と否定されることが多いからですが、人の営みを描くという視点があれば「記録」とはまた違った解釈になるのではないかとも思います。「スタンダールはどうなのですか」と聞いてみたい気もしますけれど。
今日はそのような趣旨で「文学」という言葉を使いました。

明日はまた、そのようなテーマの文になるかと思います。金曜日のことをまだ書いていませんので。

今日は祈る日です。

そういえば、
おととい吉祥寺で武蔵野についてのテーマをもうひとつ見つけました。まだまだ自分に視点が足りないなと反省したことはいうまでもありません。ちょっと調べたり、フィールドワークをするのが必要になりそうですが、夏にかけてのんびりやっていこうと思います。

あと、月報は組版作業(パソコン作業)がずれ込んでいるので、よくて中旬、最悪月末かなと見込んでいます。今は誰も見ないでしょうから、説明しなくてもいいのですが。

今日はこれぐらいで。
お読み下さってありがとうございます。

尾方佐羽

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