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【目印を見つけるノート】720. シャープもいいけれど、フラットでいたい

袴姿の女性とスーツ姿の男性をよく見かけました。スーツを着なれていない感じのグループはたぶんそう。

ご卒業、おめでとうございます。
この2年間、学びつつ(あまり遊べず)就職活動などをするのはたいへんだったでしょう。
よく頑張りました🌸
桜がいい感じでした。
学生街の夕陽です。

今日はRayさんの学校の給食も最後で、年度末感が増しましです。
私はといえば、初めての作業が怒濤のようにやってきて、ひええええ😱
いずれにしても、春ですね😄

晴れですので、ばらに水をあげないと。トモさん(正式名は鞆の浦)の葉が大きくなっていて、これはどうしたものかとしばし思案。春の花が終わるまで葉の剪定を待ったほうがいいのか、後で調べてみます。

Rayさんが、タイムマシンがあったらという話をしていました。「アニメがこうなっているよ」と過去の子どもに言いに行きたいそうです。いわゆる、ネタバレですね😅
それを聞いて、「20年前の人にこれこれこんなことがありましたよ、と言ったらビックリするだろうな」と私がつぶやくと、うなずいていました。
確かに21世紀になって以降の20年は想定のできないことばかりだったように思います。

私もあなたも、みんなよく頑張ってきていますね。

一方、Louさんはツイッターの騒ぎを教えてくれました。うーん、コメントするようなこともないのですが、「いろいろな意見を持つことは自由だけれど、ひとさまに迷惑をかけてはダメ」というごくごく至極の道理しかいえません。

「自由とは、異なった意見を持つものの自由のことだ」と書いたのはローザ・ルクセンブルグさんでしたか。その点は同感です。

「ロオザは薔薇よ、薔薇なれど……」という詩を書いたのは生田春月さんでしたか。うろ覚え😓



あまり、「絶対にこうだ」ということはないと思っています。
だって、メートル原器だって変わっちゃうのです。見方や捉え方でいくらでも変わって不思議ではありません。

自分の考えを作ってきた素地が他の人とまったく同じとも思わないですから、違ってあたりまえ。
「凝り固まってるなあ」というお手本をたくさん見てきていますので、余計そうなりました。

ですので最近は、自分の首をほぐしています😄

すごくすごく前ですが、下北沢の占いカフェに占い師の面接に行きました。タロットとホロスコープと手相と姓名判断ぐらいしかできないのですが😅
面接は「占い」。面接相手の方を占うというものでした。
占った、いえ面接の結果は、「電話占いなら」ということでした。対面の場合、ズバッと断言しないのはあまりよくないようです。もともとが、「絶対にこうだ」と言わないタイプですので、無理な感じです。弁も立たないし😅
電話ならば、話を聞くほうが多いので向いているのではないかと言われましたが、それはお断りしました。

ということで占い師になるのはあっさり諦めたのです。

面接の相手の方へのリーディングでは、胃の調子がよくないようだと出ましたので、それだけは気にかけていてくださいとお伝えしました。

そう、占いはよくないことも出ます。そこをどう伝えるかというのが難しいのです。それを回避するのにはどうしたらいいのか考えてから、それがまったく起こらない可能性と抱き合わせて話します。

まあ、過去のエピソードです。
ただ、そもそもの占いはフラットな前提でするべきだと思います。

フラット、とはどのようなことでしょうか。

例えば、いろいろなことが起こって、いろいろな意見や情報が出されます。
SNSなどは情報のるつぼですね。
それをいろいろ見て自分なりの判断をするわけですが、自分の場合、何かや誰かを敵として根っこに置いていると思ったものはまず見ないです。批判的でも公平で、筋道が立っていて、アドバイスになると思えば読んでいるように思いますが。

フラットでいるということは、誰かや何かを敵味方に分けないところから始まるように思います。それと、「絶対にこうだ」というのはないということ。

私はまだそのように考えられるよう、修行中です😊
というお話でした。



今日の1曲はこちらです。
アンジェラ・アキ『サクラ色』

『手紙~拝啓十五の君へ~』は鉄板の卒業ソングになりましたね😄
私はその少し前の、この曲が好きです。

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽

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