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【目印を見つけるノート】520. 汚れを落とすこと、洗うこと

きのうは雨がずいぶん降っていましたが、今は止んでいます。今日は少しまとめて洗濯したいなと思います。

私は射手座です。イメージ的にひゅんと飛んでいく星座のようですが射手のケイローン(半身半馬の)は森の中で静かに暮らしていました。出典はギリシア神話ですね。他の射手座の方を見ても、インドアがぜんぜんOKだったりする場合もあるようです。
また、射手座は火の星座と区分されますが、私は流れる水の音がむちゃくちゃ好きです。それ系のBGMを聴けば間違いなく寝落ちします。

今日は洗濯をしていますが、実は私はしみ抜きが好きです。汚れはついて時間が経っていなければ、たいてい落ちます。マジックとかひどい泥汚れは厳しいですけれど、他はそれほど難儀ではないと思っています。

そのようなことを意識するようになってさらに驚いたのは、水に浸けて流し続けるだけでも結構汚れが落ちることです。ケチャップやしょうゆ、コーヒーぐらいならまったく問題なく。昔は川や水路でお洗濯をしていましたが、それはすごく理に叶っていたのだなと腑におちました。
厄介だったのは、ガムでしょうか。あれは時間がかかりましたね。どうしてあそこまでガムまみれにするのかという疑問は残りますが、べちゃーとくっついてしまって、水やうちの洗剤では歯が立たない。ひたすら氷で冷やしてへつり落としました。これは化学ですね😆ほぼへつり落としてからまた洗って、何とか現状回復しました。
時間が経った汚れはもう、ダメもとで取りかかります。ある程度は落ちるけれどそれ以上は厳しい。こうなると、漂白剤などケミカルを駆使するしかありません。綿棒を薄めた漂白剤に浸してひたすら撫でるように当て続けます。それでも、成功率は五分五分でしょうか。

このことから思ったことがあります。
汚れてすぐならば水で流して落ちるように、感情や気持ち、心のくすみも洗い流すことができるのかもしれないと。
神社などに行くとしばしば、「洗心」と手水に書かれています。手だけではなく、心を洗ってくださいということだろうと思っています。これは神道に限らず禅でも言われる言葉ですし、他の宗教でも反しない考え方だろうと思います。

心には汚れがつくものでしょうか。
不安、恐れ、嫉妬、憎悪、怒り、過剰な期待、慢心、他者に対する執着心、物質に対する執着心、利己心、虚栄心……そのようなものは人を惑わせ、幸せに生きることを妨げるものだなと思いますが、それがすなわち、汚れなのだろうと解釈しています。
「汚れを清めて、神さまに向かってくださいね」というのはしごくまっとうな約束事だと思います。

どれがケチャップでどれがしょうゆかは分かりませんが、自分もそのような汚れがついているのだろうと思います。しみを洗い流すように、心の中にもさらさらと水を流し続けていたいなと思います。
手水の『洗心』もそのような意味かもしれませんね。

さらさら、さらさら。
ざーっ、ざーっ。

あ、洗濯物ができた。
洗濯中の思考でした。

今日の曲はバンド名長い。
EDDIE BRICKELL & NEW BOHEMIANS
『What I Am』

哲学的な歌詞ですね。
[私は、私というもので
 あなたは、あなたでしょう]がタイトルのフレーズです。私はこの歌にShallow Water(浅瀬)という言葉があるところが好きです。水があって、自分のアイデンティティがある感じが。

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽

追伸 岡峰光舟さんがお城の本を出されたのですね。何て素敵。
追伸2 noteをされているShelk(詩瑠久)さんのご著書『アンティークコイン マニアックス』(インプレス)を眺めてニコニコです。オデュッセウスのコインは拝んでいます。専門的なお話ですがやさしく詳しく書かれていて、とても楽しく拝見しています。
いきなりですが最近のnoteを引かせていただきます。
アンティークコインの世界 | ザクセン三兄弟ターレル銀貨の魅力 

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