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【目印を見つけるノート】1260. 「感謝」ではちょっと足りない気持ち

はあ、ようやく一息ついてnoteに移動です。まだひとつしなければならない作業があるのですが、明日にしました。
『福山ご城下開端の記』の見直しにかかりきりでした。あれ、推敲だったのでは? いつから見直しに? 🤔いずれにしても済ませておきたい部分が夕方までかかるとは……ていたらくです。

明日更新します。
『福山ご城下開端の記』

こちらがその前段のお話です。
『天下無敵の居候 六左衛門疾る(水野勝成報恩記)』

お話にはときおり自分で撮った写真も挿入して入れています。明日更新の部分もそうです。ただやはりどうにもお借りしたい写真なども出てきまして、閉館間際の博物館にお電話したりもしてしまいました。すみません。他にも質問したりしていますので、すっかり084(福山の市外局番)が染み付いてしまいました😅

つくづく、不思議だな~って思います。
水野勝成さんと福山のお話は、ずーっと前に私が抱いた小さな小さな疑問から始まっています。
その頃は、柴田勝家を知らなくて笑われましたし、日本史は劣等生で興味もなかった。戦国時代にも「天下を取るって人をたくさん殺めることじゃない?」と非常に懐疑的でした。記事を書いたり編集する仕事をしていましたが、小説を書くこともまだまだ現実ではありませんでした。

それからだいぶ経ったある日、水野勝成さんの生涯をざっと見て、
「この人、面白~い😆」と心から思ったのです。それをエッセイにしたのですけれど、結局小説にしなければダメだということで書き始めたのです。ですので、小説を書くというよりは「この人を書きたい」というのが原動力でした。それは今でも同じかもしれません。

今は知りたいと思えば、どこにでも電話しますしメールします。仕事の取材でそのような経験はしていますが、自分の小説のためにするとは夢にも思っていませんでした。だいたい、どこの馬の骨かも分からない人間が聞いてもまともに相手をしてもらえると思っていなかったのです。
でもそれは小さいことでした。あらかじめ調べた上で本当にもっと知りたいのであれば、探す道は必ず開けると今では思っています。
で、図々しく電話しています🙏

何はともあれ、ずぶの素人はそのように書き始めました。

『福山ご城下開端の記』には水野勝成の家臣として上田さん、中山さん、神谷さん、小場さん、藤井さん、三村さんという方々が出てきます。さきの4名は古参(譜代)、あとのお2人は備中から赴いて勝成に仕えた方々ですね。
去年福山に伺ったとき、現・水野家当主の水野勝之さんの講演会を拝聴しました。そこでなにより新鮮に感じたのが藤井さん、三村さんのご子孫がいらっしゃったことです。それも前にnoteに書きました。藤井さんのご子孫がお話をされていましたし、三村さんのご子孫は失礼ながらたいへんチャーミングな方で、とても印象に残りました。
そのときのnote

そのときは私、さすがに気後れして名乗ったりできなかったのですけれど、不思議な感覚を覚えました。
ずっと書いていた人のご子孫が目の前にいらっしゃるというのは、本当に、天に感謝したいぐらい有難いことでした。

七月には、徳川家当主の徳川家広さんをシンポジウムで拝見することができました。家康さまもしばしばご登場いただいていますので、有難いと重ね重ね思うばかりです。

書かせていただいてありがとうございます。
本当に言葉にできないぐらい、感謝しています。

最初のきっかけになった小さな疑問からずいぶん進んできたようにも思いますけれど、私の原点がその小さな疑問であることに変わりはありません。後でどのような展開になっても、変わらないなと、今はしみじみ思っています。

何かお礼ができたらいいのですけれど、結局書き続けることしかないのかなと今は考えています。

それが私の「報恩」かなと思います。

Doris Day『If I Give My Heart To You』

これからまた見直します。
お読み下さって、ありがとうございます。

尾方佐羽

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