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#人生を狂わせた古典4作品

Xのハッシュタグで、「人生を狂わせた作品5つ挙げる」を見つけた。私にとって古典は、人生のガイドブックみたいだ。

枕草子

画像:Amazonから引用

古典は他の言語を学ぶみたいに難しいし、古いから読む価値のないものと思ってきた。でも小迎裕美子さんのマンガ『枕草子』から古典にハマった。

『枕草子』に書かれている、

「香水はつけたてよりも、時間が経ってほのかに香るのがいい」
「誰も見てなくてもおしゃれをしたら気分がアガる」
「ある人の噂話をして、本人がうしろで聞いていたと知った時の気まずさ」

に共感した。これが1,000年前に書かれていたなんて。今も昔も嬉しい、悲しいといった人間の感情や本質は変わらない。

女が漢字を使う、キャリアを積み上げることに否定的な時代。作者の清少納言は、その常識を否定した。聡明で、勝ち気でかっこいい女性。古典は現代語訳の試し読みをたくさんして、自分の好みを見つけられると夢中になれる。

徒然草

画像:Amazonから引用

旅をするおじさんの日記みたいなもの。旅を続けながら思ったこと、出会った人について書き綴っている。人のふりみて、我がふり直せのような教訓がいっぱい。それらを現代風にアレンジして、私もお話を作ってみた。

論語

画像:Amazonから引用

何年か前の私は友達ができず、自分に全部非があると思っていた。そんな時、論語の「徳は孤ならず、必ず隣あり」という言葉に出会った。

徳=まっすぐな心で生きていくこと。そうすれば仲間ができる。という風に私は解釈している。

『モブサイコ100』の霊幻の言葉と同じ、「いい奴になれ」が大事なんだろう。ひとりは寂しくて、誰でもいいから友達になろうと思った時は孤立した。ひとりでも楽しく、こうして古典で勉強していくうちに、信頼できる友人ができた。

学問しぃや

画像:Amazonから引用

30歳になってから「学び」は大事だと思った。私は算数もできない、世の中の仕組みも知らない、人と環境のせいにして不満だらけだった。大人になったら幸せに生きる学びが大事。旦那さんにそう言われた。

そんな中で、福沢諭吉の『学問のすゝめ』の現代語訳(関西弁)『学問しいや』を読んで衝撃を受けた。

「知恵がないのが行き過ぎると、恥を知らんようになる。自分の無知ゆえに貧乏になって、経済的に追い込まれてるのに、反省もせんと、金持ちを恨んだり、ひどい時には集団で乱暴するていうこともある。」

私の親だ。学がない、知恵のないものは、自分が嫌っている金持ちに搾取される。そうやって不満だらけになり、社会や世の中を恨んで、自分では何もしない。そんな人間に幸せもお金も寄ってこない。

いろんなものの見方をできる旦那さん、紙幣にもなった偉人が「学び」について熱弁する。私が自分の親と同じにならないためには、学びを身につけなきゃと思った。少しずつだけど、算数の勉強、歴史を学び、いろんな方向から物事を見る練習をしている。結果的に不満が減り、自分の望む幸せは何かを考えるようになった。

「温故知新」という言葉があるように、古典から学ぶことはたくさんある。何かを成し遂げた人、残そうと頑張ってきた人たちがいるのだから、人が忘れてはいけないことがたくさん詰まっていると思う。

古典を読むと、「君はひとりじゃない」と言われているように感じる。悩んだ時、辛い時、勇気がほしい時に本を開く。

さいご:「#人生を狂わせたシリーズ」

これまで書いた、「#人生を狂わせたシリーズ」。最後は小説編を書いて終わりにしようと思う。


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