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「彼は鏡を見ない」障害福祉施設で考えたこと(序)

はじめに

新型コロナウィルスの発見がもたらした騒動が原因となり、わたしは8月で前の仕事を退職し、新しい職場で働き始めた。そこは、わたしにとって新鮮な出会いのたくさんある場となったのだが、その中でもとりわけ大きなものは、わたしがずっと考え、しかし、これまで決して出会うことのなかったような人たちとの出会いである。彼らは、所謂「障害者」と呼ばれるような人たちであった。このこと ー わたしが日々考え、その存在について夢想し、ときには理想的だとすら思えたような人たちとのそこでの出会い ー は、わたしには意外なことだったが、当然なことでもあるように思えた。わたしが今まで彼らと出会うことがなかったのは、彼らの生活がわたしから注意深く引き離されていたからであり、それゆえに、わたしの内的な問題は、あくまでも内的なものとして外部との出会いを妨げられていたのである。彼らの方でもまた、そうしてわたし(のこれまでの生活圏)から引き離されることによって、わたしとの明瞭な出会いを演出したのだ。わたしはこれまでもずっとわたしの内側で彼らと共に居続けていたのだが、今回初めて外に出て、顔を見合わせる機会に恵まれたわけである。彼らはわたしにとって他人ではなかった。
「障害者」とは、もちろん哲学者の考案した言葉ではない。人文学の世界には、そのような概念の居場所はないように思える。しかし、哲学がそういった概念の創出に無関係ではないこともまた事実だろう。哲学は、己を普遍的な学とするために、また「人間」という概念を案出するために、何かをそれらの外部に押しやったのである(※1)。
一般に、「障害」として指し示される性質/種差は、相対的なもの、あるいは対立的なものであり、それらはいずれもそれらが自ずから内包する矛盾/欠如によっていずれ力を失うものであるように思える。「障害」は、配列、配分、系譜によってその輪郭を見えるものにするために、そういった矛盾/欠如を使用しているのである。
少なくともこれだけは言えるだろう。「障害」とは、それそのものとして見出せる純粋な差異ではない、と。
今回、わたしはわたしが出会った彼らの一部について、簡単な論考を書いてみようと考えた。しかし、彼らのことを書くことには、前提として諦めから始めなければならない。なぜなら、言語という光は、常に影を作り出し、それはフーコーの言うような昼と夜の分割(※2)を描くことなしには、記述できないと思われるからだ。言語を使う以上、わたしは昼のものとならざるを得ないし、それによって、わたしはますます夜から遠去かるのである。
わたしは、この諦めをどうしようもないものとして持ちながら、しかし、この光を「わたし」の盲いた目に当て続けるようにして、ともかく書き始めたのである。

※1 ミシェル・フーコー『言葉と物』には、「人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明に過ぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ・・・賭けてもいい、人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろうと」という有名な一節がある。
※2 ミシェル・フーコー『狂気の歴史』



序論

0

「彼」は鏡を見ない。「彼」は時計を見ない。「彼」は恐らく、夢を見ない。なぜなら、「彼」は決して自分を確認することがなく、何一つ遅れることがなく、それゆえに、過去や未来など一顧だにしないからだ。
それは、鏡を見、時計を見、夢を見る「わたしたち」の生き方とは、何という違いがあることか。


1

職場を変える。あるいは、部署替え、移動のような場合でも同じだろう。もしくは、引越しのような場合を考えても良いかもしれない。それも、海外に行くほどのことではなく、国内で、隣の県、隣町に。あるいは、普段歩き慣れた道をちょっと外れて、曲がったことのない角を入ってみるだけでも良い。知り合いの誰もいない住宅街の中に入ってみるのも良いかもしれない。もしくは、新しい恋人の部屋に初めて足を踏み入れるとき、など。
そうすると、途端に、わたしはわたしがこれまで統一してきた「わたし」というものと、まったく違った一つの統一的な何かに遭遇することになる。それは異質で、奇妙に見え、理解出来ないものであるが、他者性とはまた違う。わたしがこれまで統一してきた経験と記憶の蓄積としての、それらの融和としての、矛盾と対立の止揚と遅延としての、「わたし」が一つの別の塊りに出会うのである。
それは、「未知の何か」とは少し違う。対象として知らないものがそこに何一つなかったとしても、すべてが理解できないものとしてそこにあるのである。
例えば、新しい職場の、新しいデスクに置かれた、一つのハサミ。それは、わたしには異質なものとして、理解できないものとしてそこにある。書類の束、ファイル、ボールペン、電話器、コピー機、ファックス…。トイレの扉は、その先に何もないかもしれない映画のセットのようなものとしてそこにある。わたしにはその厚みは見えず、そもそもその扉は開きもしないのかもしれない(もちろん、そんなことはないということを、わたしの知性は予示しているのだけれど)。
それらの「もの」は、ある強度の場に置き直され、変容を被っている。しかし、同時に、変容は、それまでわたしが知り得なかった意識によって統一されている。それらの「もの」を理解する作業は、一つ一つのものの用途、機能、役割を理解しながら、同時にある統一された「塊り」を理解していく作業となる。明らかに、新しい職場に置かれた一つのハサミは、辞書によって説明されるその「意味」を超えたものとして、あるいは、そこからずらされたものとして、変容された姿としてそこにある。それはハサミに見え、またハサミと呼ばれ、一般的にハサミと呼ばれるものが持つ意味を十全に備えているのだが、しかし、それは一般的にハサミと呼ばれるものとは別の「何か」を持ったものなのである。しかし、それにも関わらず、それは決して分裂したバラバラの諸感覚の散種(※1)ではない。
そこには、ある統一された意識としての「塊り」が関わっている。ハサミはある統一された内的言語形式(※2)(ヴィルヘルム・フォン・フンボルト)の中で、様々な意味を付与されている。内的言語形式は、必ずしも国境や言語によってのみ境界線を引かれるものではない。壁があり、扉が閉められ、限られた閾の内側に複数の主観が活動しているのであれば、その作用は必ず見つけられるものとしてある。それは、Scissorsや、Les ciseaux、あるいはНожницыや가위などのように間言語的に翻訳され、保たれるハサミの同一性とは別に、翻訳され得ない言語の意味外の価値としてあるのだ。内的言語形式は、一つの言語圏の内側のみに表されるものではなく、それは、何かしらの閾が現れたときに必然的に表現され、流通する価値なのである。言語、さらにそれによって指し示される存在には、様々なコノテーションの階層があり、それらは幾つも折り重なり合うことによって意味を奏でている。そこには社会が、あるいは生活が、間主観的であろうとする意識が反響しているのだが、それらの複数性が、統一されたものとして捉えられようとするとき、それは塊りとして感じられるものになる。
問題はもちろんこの「統一」にある。すなわち、統一とは「わたしたち」の問題であり、「わたし」に関わるあらゆる問題を形成する源である。わたしは、「わたし」であろうとするがゆえにそれを統一するのであり、「わたし」が知覚するものもまた、「わたし」と同様に統一されたものとして、その同一的な対象の姿を現すのだ。
「わたし」 ー ヘーゲルが、欲望する意思と自閉しようとする意思として捉え、理論化したもの。観念論の立場から言えば、それを実現するための閾は、常に主体の側によって設けられるものとして記述される。すなわち、統一された主体としての「わたし」が、自分に似たものとしての統一を、自我の対岸として(わたし自身が)創造したものの中に見出すのである。
ある意味で、わたしたちの主体は、常に既に自閉的である。それは、否定に囲まれた肯定として、その内側に宿るものとして、外の世界を拒絶している。しかし、欲望するものは、いつも外側にあるものに手を伸ばしたがるとされる。ヘーゲルにとって、そしてまた現代を生きる主体にとって欲望とは、内と外の間に閾が現れたときに初めて生まれるそれを乗り越えようとする意思なのだとされる。欲望とは人間主体にとって普遍的であり、したがって閾が現れることもまた普遍的だとされる。この欲望と閾、自我と対象/他我の戯れが主体としての「わたし」を形成するのだと、ヘーゲルに代わり、現代社会は主張する。
わたしは、「わたし」に統一されざる新たな統一を理解しようと努め、閾にぶつかり、疑問を抱きながら、それを知性的な力を持って止揚しなければいけない。それは、すべての「わたし」にとっての内的な義務として、わたしが「わたし」という代名詞を使う権利を得るために要請される負荷として、与えられているものなのである。


2

精神遅滞とは、医学用語である(法律用語としては知的障害が採用された)が、アメリカ精神遅滞学会(AAMR)の1992年の定義(※3)では、対象者の社会的な能力、すなわち間主観性(※4)の度合をその判断基準としている。これは、医学的な診断が、社会的な意味からその根拠となるものを取り出しているということである。
アメリカ精神医学会の最新版(DSM-5)では、名称は精神遅滞(Mental Retardation)から法律用語と同じ知的障害(Intellectual Disability)が採用されている。ここでは、重症度評価の指標として生活適応能力が重視される。おもに学力領域、社会性領域、生活自立能力領域に関しての行動が判断の基準となる。こちらもまた上の定義同様、対象者の社会的な能力、振る舞いが医学上の判断基準を導いているということになる。この段階においては、医学と社会科学/人文学は、ともに同じテーブルについており、対話が可能である。と言うよりも、両者の対話は必然だろうと思われる。
医学がこれらの(社会的な「意味」によって規定された)定義・指標から出発して、その兆候と症候を探し集め、一つの「障害」というゲシュタルトを形作ろうとするとなると、それによって描かれるものは、どのようなものだろうか。その制作者となるべき人物のモンタージュは、どのようなものだろうか。
対象者の声(「頭が痛い」「胸が苦しい」「関節に違和感がある」など)を聞き、そこから出発しようとする医学がある一方で、その周囲/外部の声を聞き、外側を包囲しようとする権利を得る医学があるということについて考える必要がある。人間の身体に外側から介入するためには、それを手引きする主体が必要とされる(※5)。主体とは、ここで協力者、あるいは内通者の役を演じる。そこにはいつも必ず主体が、その権利と義務の担い手としての主体がいる。精神医学は、これらの協力者/内通者の意思を統一するものとしての主体同士が、対話を行うことが前提されている。それは間主観的なものとしての理想(フッサール)を実現するものとしての主体/自我による司法的な手順なのだが、その前提は必ずしも主題化されていない。

"正常な仕方では、自我の相対的な空間位置を交換する際に、その自我の方位づけもまた交換され、それとともにその自我の事物的な現出もまた交換される。私は、こうした統握の基礎に一つの理想があることを指摘したが、この理想に反して、「正常な知覚と異常な知覚」という題目のもとではいくらかの異常も可能である"(『間主観性の現象学 その方法』)

そこに主体/自我が不在の場合、対話は不可能になる。そこで、精神医は、"周囲の人"という代理を立てるのである。
しかし、医学と代理人とのその対話は、どのようにして医学的なものに辿り着くことができるのだろうか。いかにして、精神医は、外側から医学として、対象者にその力を行使する権利を手にするのだろう(※6)。

遅滞とは、遅れること、また、滞ることである。それは、いずれ来るものとしての遅れだろうか。またそれは、どのような進行を前提とした上で滞るということなのだろうか。
遅滞というその言葉には、知性と時間的進行の関係によって割り出される速度の問題が関わっている。正常な速度、正常な進行、その方向、標識に従って道を走れるのか、という問題が。それにより、精神医学と司法上の問題は、交通法規に似たものになる。精神医学と交通法規は、同じ司法上の問題として、同じ対象領域の上で処理可能になる。
しかし、遅滞として指し示されるそれが、実際には何一つ遅れておらず、滞っていることなど何もないとしたらどうだろう?
もし仮に、この医学用語としての遅滞retardationを人文学的に翻訳してみせるならば、すぐさま思い浮かぶ言葉がある。差延differance(仏différance)である。
差延とは、哲学者ジャック・デリダによって考案され、現前、性起、固有性のいずれも持つことのない、語でも概念でもない「語」である。
差延différanceは、différence (差異)のeをaに変えることによって造語された。différenceは動詞différer(異なる/遅らせ、先延ばしにし、留保する)に由来する。それは、「遅らせ、先延ばしにし、留保し、後にとっておく」という意味を持つ時間的待機であるとともに空間的間化でもあるような「諸差異の産出の運動」を表す(参照『現象学辞典』)。「わたしたち」が何らかの同一性を持ったものとして認識する対象は、この差延の効果なしではあり得ない。すなわち、「わたしたち」が何かを知ることは、その「何か」を遅らせ、先延ばしし、留保し、後に取っておくことによって生み出すことに他ならない。「わたしたち」の主体が行なうものとしての認識の誕生/現前(性起、固有化)とは、この差延によって行われ、しかしそれ自身は決して現前しないのである。「わたしたち」の意識を下支えするものとしての無意識とは、この「遅らせ、先延ばしされ、留保され、後に取っておかれたもの」の体積である。
ここで、遅滞と差延の関係について考えることは、実りあるものになるだろう。なぜならば、この一見無関係で、関係するとすればまるで真逆の方向を指し示しているような二つの語は、実際には同じものを指しているからである。ここで問題になるのは、医学用語における「遅滞」が指し示しているものにおいて、真に遅れているもの、真に滞っているものは「誰」なのか、ということである。それは、もちろん医学が「精神遅滞」として示した「彼」ではない。それは、「遅らせ、先延ばしにし、留保し、後にとっておく」ことをしているもののこと ー すなわち、「彼」を「精神遅滞」として示し、名指すもの ー 要するに、「わたしたち」ではないだろうか。
「わたしたち」は、遅れることによってズレdéplacement(※7)を持ち、それによって過去を把持し、未来を予持するような時間を創始する。「わたしたち」の時間はズレ続け、遅れ続け、また、反復されている。「わたしたち」は、このズレがなければ、何も認識することができず、存在を所有することができない。それは、知る主体としての「わたし」と「わたしたち」の消滅を表す。
「彼」は決して時計を見ない。それを見るのは「わたしたち」である。「わたしたち」はそのことを、「彼」を遅滞として指し示すまさにそのときに、知るのである。
こういった逆説、転倒は、人文学ではよく見かけられる記述だろう。わたしたちは、頻繁に鏡を用いている。わたしたちが見ているものは、往々にして鏡像のそれのように反転しているのだ。
ところで、「彼」は決して鏡を見ないのである。


3

わたしは「彼」を「わたしたち」とは別のものとして、それに対立するものであるかのようにして記述した(※8)。その記述の仕方は、差別的立場の再生産ではないか、という意見が当然あるだろう。ところで、「わたしたち」とは、わたしを含めた多数の健常者と呼ばれる人たちにとっての代名詞ではない、ということを指摘しておかねばならない。「わたしたち」とは、間主観的に構成された「見る主体」としての統一体のことである。その意味で、「わたしたち」は、複数形ではなく、常に単数形でしかあり得ない(※9)。要するに、見る主体としての「わたしたち」は、間主観性であると同時に超越論的主観性でもあるのである(※10)。差別とは、「わたしたち」と「彼」を異化=分化することによって生じる体を取りながら、実は「わたし」が見えるものを対象化することによって戯曲化されている。「わたしたち」は、共に見ることによって、「わたし」が見るものを作り出し、また、「わたし」が見ることによって「わたしたち」の視線を作り出している。「わたし」の視線には、共謀者の署名が無数になされている。また同様に、「わたしたち」の視線には、「わたし」の署名が見つけられるだろう。それは、多くのキャスト・スタッフが関わった映画が、一本のフィルムに収められるのと同じように、単一体なのである。「わたし」が見るということは、既にして「わたしたち」が見るということであり、「わたしたち」が見ることのできないものを、「わたし」は見ることができない。
上に論じたように、「わたしたち」とは、間主観的な統一体としての主体を指すのであり、「彼」とは他者性の彼岸としての非主体的存在者を指している。したがって、それは当然(医学的、法律的のどちらであっても)「健常者/障害者」の区分とは一致しない。端的に言って、「わたしたち」の比率は「健常者」よりも遥かに高く、「彼」の比率は「障害者」のそれよりも遥かに低いだろう。
さらに指摘するならば、「差別」という観念は間主観的なものであり、「わたしたち」の間での使用に限定されるものである。したがって、「彼」は差別の対象とはなり得ない。
わたしがここで示そうとしたのは、人間というもの、あるいは文化というものに対する見方の一つの可能性である。文化とは正しく「分化」であり、また「文と化する」ことである。「分化」されたものとして「文と化」していないものは、文化の俎上には決して載せられない。「わたしたち」は決して「彼」のようになることはできず、むしろ遠ざかるばかりだが、そのようにしてアプローチしなければ、「彼」を理解することは到底できないのである。
「彼」は、決して「わたし」ではなく、「わたしたち」でもなく、「彼」として示されることしかできないがゆえに、「彼」なのである。


4

「彼」は、閾の向こう側に己を置くことは決してない。「わたしたち」が、「彼」を閾の向こう側に置くのである。なぜなら、「わたしたち」は、「わたし」を閾の向こう側に置くからである。「彼」は「わたしたち」の一員ではないゆえに、「わたし」の前にある閾に気づくこともないのである。なぜなら、閾とは、「わたし」が 「わたしたち」の一員であることによって表され、またその「わたしたち」は「わたし」の数だけあるからである。したがって、「わたし」は「わたしたち」によって閾を持ち、「わたしたち」でない「彼」を、閾の向こう側に置く必要があるのである。「わたし」は、「わたしたち」の成員であり、その間に閾はない。閾は、「わたしたち」と「わたしたち」の間にある。したがって、「わたし」は「わたしたち」によって区別されるのである。しかし、「彼」は決して「わたしたち」の成員ではないので、「彼」は「わたし」でもなく、またそれゆえに「わたしたち」でもないのである。したがって、「彼」は、「わたしたち」によって、「わたし」の閾の向こう側に置かれる。
「わたし」と「わたしたち」の関係は同時的にも、継起的にも描写される。いずれにせよ、「わたし」と「わたしたち」は時間的な発生と進行の中に身を置いている。一方「彼」は時間を超越するのである。
「彼」においては、現実が夢である。それゆえ、「彼」は恐らく、夢を見ないのである。

自覚的な神秘主義者であり、知性に絶対的な信頼を置く、現代におけるドイツ哲学の正統的な継承者であるマルクス=ガブリエルの有名な言葉に、「わたしの主張によれば、あらゆるものが存在することになる ー ただし世界は別である」(『なぜ世界は存在しないのか』)というものがある。「世界」というすべてを統一するものとしての概念の存在論的な成立を否定し、それによって、個別的、局在的、限定的、領域的なあらゆるものの存在を認めようというのがこの言葉の意味である。
「世界は存在しないという原則には、それ以外のすべてのものは存在しているということが含意されている」(同上)
しかし、ここで言う「すべてのもの」とは何のことを言っているのだろうか。知性の目に映るものとは、「わたしたち」にとっての存在のすべてのことではないか。「わたしたち」にとっての存在、「わたしたち」にとっての「見えるもの」とは、「わたし」が経験する間主観性としての「わたしたち」に署名され、その存在が現出するもの、表象=再現前化されるものだけなのだ(※11)。端的に言って、「彼」はその中に含まれていない。それゆえ「彼」は、障害者と呼ばれるのである。

わたしが、「わたし」ではないわたしとして、「彼」と関係を結ぶことができる可能性は、完全に断絶しているのだろうか。
ラカン派精神分析学における「鏡」の役割は、主観が鏡を見ることから始まる。ここで、鏡を見ることとは、要するに、自分の顔を見ることとして、見ている自分を見ることとして捉えられる。ここで、「鏡像≒自己像」の式を得ることによって、主観は鏡像に自身を投影することが可能になり、精神は「自分が閉じ込められている袋」(※12)である身体の外に出ることが可能になる。それにより、主観と、対象/他者/世界との対話が始まるのである。
しかし、それでは、鏡を見ないものは、この対話に参加することができないということだろうか?世界に接するためには、「見る」ということ以外にも、方法はあるのではないか?
「見ること」。「鏡」を介し、世界に自己を投げ入れること。しかし、それによって自己感受 ー 自分の身体が、内的に自己をそれとして感じていること ー は埋もれてしまう。わたしたちは、鏡を介した自己の幻によって他者の前に立ち、他者もまた同様に鏡を使い、また同時に鏡として機能する。
「わたしたち」の対話は、閾と閾の出会いである。この閾は、内側で統一されたものの価値の体系を成立させる。「わたしたち」の対話とは、この価値の交換に他ならない。それは、ある通貨が別の通貨と交換される際の作業、為替相場のやり取りと類推的である。閾の中で統一された価値は、しかし同時に絶えず行われるこの交換によって変容している(※13)。「わたしたち」は、往々にして、その作業 ー 対話 ーを、互いの鏡に映る共通のもの ー 例えば、言語 ー を使うことによって行う。概してそれは、全体と全体の関係、部分と部分の交換、閾の内側における体系の変容、という形を取る。
それは理性的な主体としての「わたし」と、自分と似たものとしての別の「わたし」とのやり取りである。それは、いわば、異化=分化(※14)されたものの経済である。異化=分化されたものは、全体すなわち統一されたものとしての「塊り」とのパースペクティブなしでは何物でもない。
「わたし」は、この(自由にはならない)間主観的な異化=分化の経済を、「わたしたち」の対話に参加するために受け入れる。それは、あたかも、貨幣(あるいはそれに準ずるもの)を持たなければ何も買うことができないがゆえに働かざるを得ない労働者のようだ(※15)。
しかし、このような話は、「彼」の見ているものに関する記述ではない。わたしの試みは、「彼」の視覚、「彼」の自己感受、理念としての差異とその強度、差異化=微分化の渦巻く混沌と自然について記述することである(※16)。

こういった試みには、芸術がその先行研究として力になるのではないか。わたしはセザンヌのことを思い出している。晩年の彼と親しく付き合った友人(※17)が、彼の貴重な肉声を書き留めている。そこには、彼が「わたしたち」に署名した一人の「わたし」であることを自覚しつつ、それとは異なる「プリミティフPrimitif」な表現を求め続けた努力を読み取ることができる。わたしは、彼が追い求めたのは「わたし」の表現ではなく、「彼」の表現だったのではないかと推測する。それは、署名されざる超越論的主観性、全き他者以前の身体が、世界に接することである。
「われわれは、らくらくとものができる才を持って生まれてきました。それを壊さなければだめだ、芸術の死なのですから」
とセザンヌは言う。
「生まれたときから、自分のメチエを吸っているんだ。悪いふうに」
と。
彼が表現しようとしたものとは、彼が呼吸する「世界の処女性」だった。彼の言う「わたしたち」とは、主観の複数性が構成する間主観的=間身体的な「わたし」ではなく、「絵と私」のことである。それは、彼にとって限りなく「彼」に接近した知覚の表現を志向することだった。
「ニュアンスを受けとめる鋭い感覚が私をさいなむ。無限というものにそなわったすべてのニュアンスに私は彩られる。その瞬間、私は自分の絵と一体になる。われわれは虹色に輝く一つの混沌をなすのだ」
「実は、絵を描いているときは何も考えておらぬ。色が見える。その色をだ、苦心して、見えるままに画布の上に運んでゆくのを楽しむ。勝手気ままに自分たちで場所を決めてゆく。ときには、それが一枚の絵になる。私は野蛮(※18)な者だ。ああ、野蛮なものであればいかに幸せか……」
セザンヌの表現に対する志向は、ドゥルーズが、無人島、あるいはロビンソン・クルーソー(『フライデーあるいは太平洋の冥界』)について論じながら、他者性の彼岸を目指して書かれたテキストと、偶然とは思えぬ類似が見られる。今度はそちらを引いてみよう。
「ロビンソンの目的、最終目標とは、「脱人間化」、リビドーと自由な元素の出会い、コスモス的なエネルギーや〈元素的な大いなる健康〉の発見であって、これは、島の中でしか出現しえないし、島が空や太陽になる限りでしか出現しえない」(※19)
人間の知覚において、異化=分化と差異化=微分化、強度を分離して論じてみせたドゥルーズにとって、「わたしたち」の知覚と「彼」の知覚は絶対的に別のものであったはずだ。
「世界の構造の中で他者が欠けたときには、何が通り過ぎるであろうか。太陽と大地の剥き出しの対立。堪えられない光と暗い深淵の剥き出しの対立だけが支配する」(※20)
一方、セザンヌはこう言う。
「私は長い間、サント・ヴィクトワール(※21)が描けずに、どうして描けばよいかわからずにおりました。ものを見ることを知らない他の人たちと同じに、陰影が凹だと想像していたからです。ところが、ほら、見なさい、陰影は凸です」(※22)
ドゥルーズにとって、問題は常に他者だった。なぜなら、彼は他者こそが「わたし」を作り出す「わたしたち」の源泉であることに気付いていたからである。「らくらくとものができる才」、「生まれたときから」吸っている「自分のメチエ」とは、「わたし」が「わたしたち」から取り入れているもの、間主観性=間身体性(※23)に他ならない。彼はそうではなかった人間、それ以前の人間を想像しようとする。
「絶対的に分離され、絶対的に創造的な人間だ。つまり、人間の観念、原型、ほとんど男神ともなる男、女神ともなる女、偉大なる記憶喪失者、純粋なる芸術家、大地と大洋とが持つ意識、広大な嵐、美しい魔女、イースター島の立像である」(※24)
無人島とは、他者なき島に住む一人の人間である。その人間は、自らの全知覚をもって、島そのもの、世界そのものになる。
「ただ彼らが、充分に、つまり絶対的に分離され、充分に、つまり絶対的に創造的であるとするなら」(※25)
セザンヌが目指したものとは、「らくらくとものができる才」を壊すことであり、言うなれば、「彼」の見ている世界を描写することだったのではないか。
「私には見える。斑紋が。地層や準備の仕事や素描の中の世界はへっこみ、災害にでも遭ったようにくずれ落ちている。激変がそれを持ちさらって、更生させた。(中略)すべてが同時に濃密で、流体的であり、そして自然である。(中略)もう色彩の数々があるだけで、その内に光明があって、色彩を思考する存在と、太陽へ向っての地球の上昇と、愛へ向かっての深奥からの発散がある」(※26)

問題になるのは、他者と塊りをなすことによって「わたし」が構成する「わたしたち」という統一であり、「わたしたち」は逆に、「彼」を問題として指し示す。しかし、「わたしたち」によって指し示された問題は、またもう一度逆側から、「わたしたち」の問題を指し示しているのである。



※1 哲学者ジャック・デリダの用語。意味の同一性を逃れるその場限りで生み出される非連続的な意味の生成消滅のこと。本文中では、本来散種として生み出されるはずの意味の運動が、統一されたものとしての姿をとって現れる、という意味で否定している。

※2「文化の全体像を決定付ける主要なる要素、内的言語形式とは、文化のコンフィギュレーションconfiguration(輪郭)と呼ばれるものである。 それは、民族が必ず保有する一定の文化の枠組である。 この内的言語形式とは民族の文化をひとつの色に染め上げていくものである。」(芝垣哲夫『文化における内的言語形式』)

※3 アメリカ精神遅滞学会(AAMR)の定義
①知的機能が明らかに平均以下で、通常よく用いられる個別知的検査の一つ以上で、知能指数が70〜75以下が条件であるが、その限界の判断は診断する人の臨床的判断を優先している。
②以下の重要な適応機能領域の二つ以上の領域で制限が同時に存在する。すなわちコミュニケーション、身辺処理、家庭生活、社会的技能、コミュニティの利用、自己志向性、健康と安全、実用的学業、レジャーおよび仕事。
従来の適応行動における障害の表現を改め、その人の生活の場で、例えば家庭・学校・職場などのコミュニティで制限があり、何らかの支援が必要であることを明らかにしなければならない。
③精神遅滞は18歳までに発症する。

※4 間主観性(独intersubjektivität)とは、後期フッサールの重要概念で、複数の主観がそれぞれ主観のままで(他の主観の対象としてではなく、共通の「わたしたち」として)共同で築きあげる相互関係としての主観性のこと。接頭辞〈inter〉に「相互」という意味もあることから、「相互主観性」とも訳される。

※5「主体」は、人文学用語としてsubject(英)/subjekt(独)/sujet(仏)の日本語訳として一般的に知られているが、実際には「主体」「主語」「主観」らに訳し分けられてきた。語源であるsubiectumは、ギリシャ語のhypokeimenon(「下に置かれたもの」)のラテン語訳で、「根底に置かれたもの、根底にあるもの」を意味し、アリストテレスの哲学における、「実体」「基体」に対応する言葉である。近代以前は、原義の通りさまざまな性質の根底にあってそれらを支える「基体」という存在論的な意味と合わせて、命題中でさまざまな性質によって述語される「主語」という論理的な意味を持っていたが、これは現代のsubjectの主体/主観的な意味とは反対に、精神や意識から独立に存在する実体、意識の外に独立に存在するものを指しており、現代における「客観的なもの」にむしろ近かった。それに対し、ラテン語のobjectum(「〜に向かって投げられてあること」)は、外的事物が心に対して投げ与えられている状態、つまり現代における「主観的なもの」を意味していた。これを有名な"コペルニクス転回"によって現代における意味に転換したのがカントである。カントによれば、主観が感覚与件を己のアプリオリな(経験に先立つ/経験に由来しない)形式によって整理し秩序づけることによって初めて「客観」が成り立つ。これをさらに推し進め、いっさいの存在者が形式的にも内容的にも絶対的主観によって生み出されると説いたのが、ヘーゲルをその代表的な論者とするドイツ観念論である。ここで主張されているのは「主体」と「実体」の同一性である。すなわち、何かが存在するとされるためには「主体/主観」による証言が必要とされる。これが、現代的な意味における「権利」「権力」「義務」「罪」「罰」などの意味の場を根底的に支える基礎理論となっていると思われる。フッサール現象学における「志向性」の概念は、この主観による客観に対する絶対的優位を乗り越える可能性があるが、現代社会の法規においてその可能性は保留されており、ここでは深く立ち入らない。

※6 こういった議論は、ミシェル・フーコーが俎上に載せたもの(『狂気の歴史』『臨床医学の誕生』)に近いものがあるだろう。フーコーは、近代以降にらおけれ医学的な言説の構成が、司法上の手続きと密接な関係を持つものであることを指摘した。

※7 déplacementは、デリダの著作における重要概念であり、「現前性の場に席・居場所を持たないこと」「場違いなこと」「現前性の場から逸脱すること」さらには「現前性の場自体をずらすこと」等を意味する。(高橋允昭/藤本一勇訳『哲学の余白』)

※8 subject(主体/主観)を三人称に還元するという試みにおける先行研究には、レヴィナスの『全体性と無限』が挙げられるだろう。しかし、本稿における「彼」には、主観性はあるが主体性はない。その意味で、本稿はsubjectの日本語的な解体なのである。

※9 仮にこの文章を英訳するのであれば、"「わたしたち」は〜"は、"We are 〜"ではなく、"We is 〜"とされなければならない。また、「わたし」は人称代名詞ではなく、普通名詞なので、"「わたし」は〜"の訳は、"I is 〜"とされなければならない。この文体は、常に偏った見方の再生産に立ち会うのである。

※10 モーリス・メルロ=ポンティによる有名な言葉に「超越論的主観性は間主観性である」というものがある。(『知覚の現象学』『意識と言語の獲得』『人間の科学と現象学』参照)

※11 「他者の最初の効果は、私が知覚する各対象や私が思考する各観念の周囲に余白[=欄外=識閾]の世界、継ぎ手、背景を組織化することである」(ジル・ドゥルーズ『ミシェル・トゥルニエと他者なき世界』)
ここで言われていることは、世界が奥行きを持つものとして、あるいは対象の対象性を実現させるものとしての空間=余白を持つものとして現出するのは、「わたし」が「わたしたち」としての他者を持つからだ、ということである。

※12 この言葉は、メルロ=ポンティ『見えるものと見えないもの』から借用した。

※13 ここでの議論は、当然ソシュールの『一般言語学講義』が参照されている。ソシュールにおいて、閾の中における統一的な価値は共時性、その変容にらおける記述は通時性とされる。

※14 ジル・ドゥルーズ『差異と反復』参照

※15 ここでは、マルクス主義に関する議論を思い起こしてもらいたい。マルクス主義の議論とは、この異化=分化、それに伴う反弁証法的な拒絶反応(バタイユを参照)の具象的な差異と反復であると捉えることができる。

※16 ※9に同じ

※17 ジョワシャン・ガスケ『セザンヌ』
以降、この抜粋が続く。

※18 野蛮または野生と訳されるフランス語のsauvageの語源は、ラテン語のselva、もしくはsolivagusに由来すると言われる。後者の意味は「一人で行く」あるいは「政治体の外にあるもの」。
また、メルロ=ポンティの概念に、「野生の存在」というものがある。

ジル・ドゥルーズ『ミシェル・トゥルニエと他者なき世界』

※19 同上

※20 セザンヌ作品の有名なモチーフ。

※21 ※14に同じ

※22 間身体性は、メルロ=ポンティの概念。フッサールの間主観性を身体性の次元でとらえ直したもの。間主観性においては、思考する主体「我思う」が、他者としての「我思う」との共存関係を結ぶことによって、「我々は思う」へと変容する。しかし、思考する「わたし」は、実際には他者の思考を直接に捉えることはできない。それは、必ず互いの身体を媒介にして行われているはずである。
「論理的客観性は、身体的間主観性がそれとしては忘れられているというかぎりで、身体的間主観性から派生する」(『哲学者とその影』)
メルロ=ポンティはこの概念から出発し、より根源的な主観理論を作り上げるのだが、そこにはあくまで知覚認識における正常/異常の区別が働いている。

※23 ジル・ドゥルーズ『無人島の原因と理由』

※24 同上

※25 ※14に同じ

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