深読み_スプートニクの恋人_第22話あ

『深読み 村上春樹 スプートニクの恋人』第22話「ラ・ボエーム後篇~私の名はミミ~」


前回はコチラ


スナックふかよみ にて


ロドルフォは自分の「自己紹介なぞなぞソング」をバッチリ決めた。

「僕は一言で言うとペトロです」とね。

そしてミミに向かって「今度はキミの番ですよ。キミは誰?」と煽る。

ミミといえば萩原よね。

日吉だろ。

わたしは戸山です。

何の話をしてんだよ。

春木、お前バカじゃねーのか?

わたしがバカなのではありません。

世の中がバカなのです。

なに世迷い言を言ってんだ?

ちょっと、ちょっと…

さっきから二人とも…

深代ママ、心配は無用。俺たちは別にケンカしてるわけじゃない。

口は悪いけど仲良しなんだ。

そうじゃなくてさ…

なんだか歌いたくなってくるじゃん…

あたし、もう我慢できない!


この歌詞…

去ってしまった恋人が帰ってきたかと思い深夜に目を覚ます主人公…

まるで…

おいおい。また脱線かよ。

プッチーニのオペラ『La Bohème』の代表的アリア『私の名はミミ』の解説だろ?

あ、そうでした…

ではまず曲を…

マリア・カラスの名演でどうぞ…



あらためて聴くと、この歌詞なんだかプンプン臭うわ…

いきなりこんな出だしだからね。

Si. Mi chiamano Mimì ma il mio nome è Lucia...

ええ、私はミミと呼ばれています
だけど本当の名前はルチーアです

これがロドルフォの求めた「ひとことで自分を言い表す」なんでしょ?

そう。

フランス語の「Mimi」は「無条件の愛を注ぐ存在」という意味。

そして「Lucia」は「光」という意味だ…

イエス・キリストじゃん!

「Poeta(詩人)」と「Petro(ペトロ)」の駄洒落にしたロドルフォより、とんちが効いてて遥かに巧いな。

そしてミミはこう続ける。

la storia mia è breve....
A tela e a seta ricamo in casa e fuori...
Son tranquilla e lieta ed mio svago far gigli e rose...

私の話は簡単です…
家でも外でも刺繍しています
私の人生は穏やかで幸せ
息抜きはユリやバラを作ること…

ここでのポイントは「ricamo in casa e fuori(家でも外でも刺繍する」というフレーズだね。

「ricamo」は「刺繍する」だけでなく「潤色・脚色する」という意味でも使われる。

つまり「ものごとに意味を与え、物語に色彩をつける」という意味だ。

天(神の家)でも地上(外)でも「ricamo」しているってわけね。

そしてこう続ける…

Mi piaccion quelle cose che han sì dolce malia che parlano d’amor, di primavere,
che parlano di sogni e di chimere, quelle cose che han nome poesia...
Lei m'intende?

私はこんなことが好き
とても甘い魅惑を持ったもの
愛について語ること
春について語ること
夢や幻想について語ること
そして詩と名付けられたものが...
私の言ってること、おわかりですよね?

さて、このミミの「なぞかけ」の意味、わかったかな?

「好きなこと」で羅列されるものは、全部イエスに当てはまるわよね。

重要なのは「詩と名付けられたものが好き」だ。

この意味がわかるかな?

詩人ロドルフォのこと?

思い出してほしい。

ロドルフォは自己紹介ソング『冷たき手を』で、自分のことを「詩人」としか説明しなかった。

自己紹介なのに本名を言わなかったんだよね…

変だと思わない?

そう言われてみれば、確かに変ね…

自己紹介で名前を出さないって不自然だわ…

それもそのはず。

Poeta(詩人)ことロドルフォは使徒ペトロだから。

Petro(ペトロ) とは本来「石」のことで、 これはアラム語の Kêpâ(ケファ)を翻訳したものだった…

あ…

イエスはガリラヤ湖の漁師シメオン・バル・ヨナと会い「ケファ」と名付けた…

それ以来シメオン・バル・ヨナは皆から「ケファ」と呼ばれるようになり、そのままギリシャ語やラテン語に訳されて「ペトロ」となった…

「詩と名付けられたものが好き」って、ミミ…

それって当たり前よね…

自分で名付けたんだから…

面白いよね、この二人のやりとりは。

今でいうラップバトルみたいなものかもしれない。

イエス・キリストと初代ローマ教皇ペトロのラップバトルだ。

「ヘイ、ユー!What's your name?」みたいな。

それじゃラップというよりブルースでしょ。

うまい(笑)

さてミミの自己紹介ソングは続く…

Mi chiamano Mimì il perchè non so.
Sola mi fò il pranzo da me stessa.
Non vado sempre a messa ma prego assai il Signor.

私はミミと呼ばれています
それがなぜかは知らないけれど
私は一人で昼食を食べます
ミサにはあまり行かないけれど
たっぷり神様にはお祈りしてる

わざわざ「私は一人で昼食を食べます」ってアヤシイ(笑)

つまり「晩御飯」は「そうじゃない」ってことでしょ?

その通り。これのことだね。

『最後の晩餐』レオナルド・ダ・ヴィンチ

おもろいよな。

そしてミミはミサに行かない。

これも当たり前だ。キリスト教が出来たのはイエスの死後のこと。

そのぶんイエスは天の父にはたくさん祈っていた。

完璧な歌詞です。

そしてミミは、こう続ける…

Vivo sola soletta,
là in una bianca cameretta; guardo sui tetti e in cielo.
ma quando vien lo sgelo il primo sole è mio...
il primo bacio dell’aprile è mio…
il primo sole è mio.

私はひとり
ひとりで人生という道を歩む
あそこの白い小さな部屋で
屋根や空を眺めている
だけど雪解けの季節になれば
最初の太陽は私のもの...
四月の最初の口づけは私のもの…
最初の太陽は私のもの

この歌詞の意味、わかるかな?

「春の最初の太陽」をやけに強調してるわね。

そして「四月の最初の口づけ」?

何のことかしら?

ここでの「太陽」とは「満月」のことなんだ。

え?

「春の最初の太陽」とは「春分の後の最初の満月」のことを言っているんだよ。

春分の後の最初の満月?

それって…

ユダヤ暦、ニサンの15日…

イエスの処刑された日だ…

じゃあ「四月の最初の口づけ」は…

これのことだね。

『ユダの接吻』ジョット・ディ・ボンドーネ

まあ…

・・・・・

そしてオチに向けてミミのテンションは上がってくる…

Germoglia in un vaso una rosa...
Foglia a foglia la spio !
Così gentil il profumo di fior !
Ma i fior che io faccio ahimè !...
i fior che io faccio ahimè, non hanno odore !

花瓶のバラが芽を出す...
私は花びらを一枚一枚めくる!
バラの香りは、なんて優美なんでしょう!

でも、私が造るバラは… あぁ!
私が造るバラは あぁ…
香りを持たないのです!

なんかちょっとエロチックね。

だね。「女性器」のことを「バラの花」に喩えているようにも聞こえる。

そしてミミは「私のバラには香りがない」と嘆くんだ。

意味わかる?

フェロモンが出てないってこと?

そうじゃなくて…

ミミの「バラ」には「香りを放つ花がついてない」ってことなんだ。

つまり「トゲトゲの茎の部分しかない」ってこと…

『イエスの凌辱』カール・ブロッホ

ああ!そっか!

そしてミミは、こんなオチで締め括る。

Altro di me non le saprei narrare:
sono la sua vicina che la vien fuori d’ora a importunare.

私のことで他にお話し出来ることはもうありません
私はあなたの隣人
こんな夜遅くに面倒を起こしてしまう、あなたの隣人です

「隣人」といえばイエスよね。

しかも「夜遅くに面倒を起こす」って、そのまんま(笑)

プッチーニの歌詞はセンスの塊だよな。

特にこの『私の名はミミ』は、ユーモアとウィットに富んだ傑作だ。

「聖」と「性」を同時にダブルミーニングの歌詞にしてしまうところなんて、まさに『THE CATCHER IN THE RYE(ライ麦畑でつかまえて)』…

サリンジャーは『ラ・ボエーム』に相当影響を受けたんだと思います…

それが村上春樹の『スプートニクの恋人』に受け継がれ、五十嵐大介の『海獣の子供』が生まれた…

本当に『ラ・ボエーム』は偉大な作品です。

もっとさかのぼればシェイクスピアがいます…

ですね。

シェイクスピアの時代は村上春樹みたいに「セックスした」とは書けなかった。

だから様々な手を使って「セックス」を描きました。

アナグラムやドイツ語などを駆使して…

そのへんのことも聴かせてもらいたいですね。

いつか、ゆっくりと…

あ、カズオ・イシグロのことを忘れてた。

彼もこの系譜に連なる作家ですよね。

あれはどうでもいい。

ネーサンみたいに耳つねられたいのか?

だけど面白かった。

今度時間がある時に『ラ・ボエーム』をゆっくり観るわ。

では『スプートニクの恋人』に戻ろうか。

次は「ぼく」と「すみれ」の出会いのシーンだ…



つづく





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?