日の名残り第59話1

「エミリー・エミリー&メリイ・クリスマス前篇」~『夜想曲集』#2~カズオ・イシグロ徹底解剖・第59話

やっと冒頭4曲の紹介が終わったね…

小説では、まだたったの5行目までなんだけど、実に濃厚で長かった…

「冒頭4曲」っちゅうのはコレのことやで。

驚きの連続だったな…

前回のロレンツ・ハートしかり…

そういえば肝心の「登場人物の解説」が、まだだったじゃねえか。

こいつらにサクッと説明してやれよ、おかえもん。

いったい「エミリー」「ぼく」「チャーリー」が誰なのか…

誰?

第1話の『Crooner/老歌手』同様に、第2話『Come Rain or Come Shine/降っても晴れても』の登場人物も「誰か」の投影になっているんだよ。

だけど第1話と違って第2話の構成は非常にシンプルだ。

これだけだからね…

エミリとチャーリーが神!?

しかも二人が同じ役割!?

そして主人公の「ぼく」ことレイが…

裏切り者のユダ…

第2話は、わかりやすいよな。

てか、どうしてこうなるのかが全然わからない!

「チャーリーとエミリ」のカップルなんだから、こうに決まってるだろ。

他に何が考えられるのだ?

そこが意味わからんっちゅうねん!

じゃあ説明しよう…

第1話の主人公ヤネクは「ギタリスト」だった。

そして第2話には「チャーリー」が登場する。

これはイシグロの「第2話もキリスト教の話ですよ」というサイン以外の何物でもない。

だって「チャーリー」といえば「クリスチャン」だからね…

Charlie Christian《Swing to Bop》

だ、駄洒落!?

てか、誰?

実質2年ほどのキャリアの中で、エレキギター奏法の基礎を築いた天才ギタリストだ。

ジャンゴ・ラインハルトと共に「ジャズギターの開祖」と呼ばれる偉大な人物だな。

第1話でイシグロはジャンゴやジョー・パスの名を出した。だが、この並びで出て来て当然のチャーリー・クリスチャンの名が出て来なかったのは、第2話への伏線のためだったわけだ。

Charlie Christian(1916-1942)

こんな駄洒落で登場人物の名前を決めちゃうのか、イシグロは?

いいのかこれで?

だって訳者の土屋政雄氏も「あとがき」で言ってたじゃないか…

イシグロは駄洒落や語呂合わせを多用しているって…

確かにそうだったけど…

チャーリーは百歩譲って許すとして、エミリのほうはどうなんだ?

なぜエミリも「主」になるんだ?

イシグロは、本当に大事なことは書かない主義だってことは前にも解説したよね?

『日の名残り』には「隠された歌」がたくさんあった。物語の秘密を「隠された歌」にして、こっそり流していたんだ。

わかる人にはわかるようにして…

いっぱいあったね。

ボブ・ディランとかニュー・オーダーとかジュディ・ガーランドとか…

この『夜想曲集』も、きっとそうなんだよ。

歌のタイトルはいっぱい出て来るけど、本当に重要なものは隠されている。決して直接的に語られることがないんだ…

この第2話で言ったら、サイモンとガーファンクルの『エミリー・エミリー』やボブ・ディランの『スペイン革のブーツ』とかね…

エミリー・エミリー!?

また駄洒落!?

だからイシグロ文学は、全編がダジャレだと言ってるだろうが。

ヒロインの「エミリ」は、この歌の「エミリー」のことなんだよ。

実にわかりやすいよね。

でも、あまりにもベタ過ぎて、皆がスルーしてしまうのかもしれない…

Simon & Garfunkel《For Emily Whenever I May Find Her》
by Glenn Willow

ちょ、ちょ、ちょっと待って…

この歌って、

主人公が恋人(エミリー)の夢を見てたら目が覚めて、目の前にエミリーがいたのでキスをする…

って歌でしょ?

まあ、そうだね。

で、第2話のヒロイン「エミリ」って、さっきの図によると、チャーリー同様に「天の父/主イエス」なんでしょ?

そうだよ。

でもって、第2話の「ぼく」ことレイモンドは「イスカリオテのユダ」なんでしょ?

その通り。

じゃあ、『エミリー・エミリー』の歌い手「ぼく」も「イスカリオテのユダ」ってことなの?

そうだよ。呑み込みが早いね。

あの歌は、ユダがイエスを思って歌ってるものなんだ。

えええええ!?

ゆ、ユダがイエスを!?

お前ら、歌を聴いて気が付かなかったのか?

てか、毎度毎度同じようなリアクションをしてるのを見ると、普段から歌詞を真剣に聞いてないんじゃないのか?

漠然と「いい曲だな~」と思って済ましてるんだろ、いつも。

ありえる。

芸術に対する漠然としたその姿勢が、そのまま人生にも反映しとるんや。

お前も一緒に驚いてたじゃんか!

じゃあ歌詞を見てみようか。

まずは表向きの意味で訳してみるよ…


『For Emily Whenever I May Find Her』

written by Paul Simon
日本語訳:おかえもん

What a dream I had
Pressed in organdy
Clothed in crinoline
of smoky Burgundy
Softer than the rain

なんて夢を見たんだ!
その夢の中の愛しい人は
昔ながらの膨らんだスカートをはき
くすんだワイン色のオーガンジーを着て
慈しみの雨よりも優しく
ぼくに微笑んだ

I wandered empty streets down
Past the shop displays
I heard cathedral bells
Tripping down the alleyways
As I walked on

ぼくは誰もいない商店街を彷徨い歩く
ショーウィンドウには見向きもせずに
大聖堂の鐘の音が鳴り響いた
ぼくが路地裏に差し掛かった
まさにその時に

And when you ran to me, your
Cheeks flushed with the night
We walked on frosted fields
of juniper and lamplight
I held your hand

君がぼくのほうへ走って来た時
夜の興奮に包まれて
君の頬は紅潮していたね
ぼくらは一緒に散歩をした
霜が降りて白くなった杜松と街灯の中を
君の手をしっかり握って

And when I awoke
and felt you warm and near
I kissed your honey hair
with my grateful tears
Oh, I love you, girl
Oh, I love you

目が覚めた時
すぐそばに君の温もりを感じた
君の甘い香りのする髪にキスをして
ぼくは泣いてしまった
君がいてくれることが
こんなにも素晴らしいことだとは…
ああ、ぼくは君を愛している
ああ、愛してるんだ


いい歌だなあ…

この歌は、作者のポール・サイモンが、憧れの詩人エミリー・ディキンソンのことを歌ったものだとされている。

エミリー・ディキンソン?

19世紀後半のアメリカ・マサチューセッツ州のアマーストで、無名のまま生涯を終えた伝説の詩人だよ。

死後に「発見」され、20世紀のアメリカ文学に大きな影響を与えた。

Emily Dickinson(1830 - 1886)

『エミリー・エミリー』の1番で描かれるのは、まさにこの写真の彼女のことだと思うよ。

昔ながらの膨らんだスカートをはき
くすんだワイン色のオーガンジーを着て

でしょ?

ありえる!

だけど…

天才ポール・サイモンは、そんな単純な歌なんか、わざわざ作らない…

彼の歌って凄くシンプルなんだけど、必ずと言っていいほど「ダブルミーニング」になってるんだ…

「裏の意味」があるんだよね…

そういえば、『四月になれば彼女は』もそうだった!

それが『エミリー・エミリー』では「ユダとイエスの物語」っちゅうわけか!?

その通り。

今度は歌詞を「裏バージョン」で訳してみよう…

What a dream I had
Pressed in organdy
Clothed in crinoline
of smoky Burgundy
Softer than the rain

なんという夢を見てしまったんだ!
夢の中で私が読んだ本の中には
こんなことが書かれていた…
天の父により受肉された「あのお方」が
赤紫の衣を着せられ
「偽りのユダヤの王」と辱しめを受け
ゴルゴタの丘で十字架に掛けられる!?
しかもそれが私たちに与えられた
「はじめの雨」だったとは!

なんじゃこりゃ?

ユダの夢だよ。

この夢を見てユダは、「イエスがメシアであること」を成就させるために行動したわけだ。

「見た」というか「見せ(魅せ)られた」といったほうがいいかもしれないけど…

使徒の中の誰かがイエスを裏切らないと、預言は成就しなかった。救世主物語はフィナーレを迎えることはできなかったんだ。

それでユダに白羽の矢が立ったというわけだね。

そうゆう見方もあるのか…

普通に考えれば、そうだろ。

イエス自身が「裏切り」を予言してるんだから。

というか、誰もやりたくない「汚れ役」にユダを指名したとも考えられる。

考えようによっちゃ、一番重要な役割なのだ。

しかしポール・サイモンのソングライティングは天才的だよね。

ボブ・ディランがノーベル文学賞をもらえるなら、ポール・サイモンだってもらってもおかしくない。

「Pressed in organdy」なんてマジで凄いよね。

え?どうして?

普通に読むと「薄手の衣服に身を包む」なんだけど…

「organ」には「機関誌・業界誌」って意味もあるんだ…

つまり「聖書として印刷される」って意味にもなってるんだよね。

おお!

さらに「organ」には「肉体の器官」という意味もあるから…

「press in organdy」には「受肉される」って意味まで込められてる…

嘘!?すごくね?

マジでありえん!

そして「Clothed in crinoline」も凄いんだよ。

「cloth」と「cross」はすぐにわかるよね。

 「in crinoline」は、ちょっと知恵が必要だ。

「crinoline」って「crino(馬の尾)」と「line(丈夫な糸)」をくっつけた言葉なんで「CL」と略されることがある。

そして「ゴルゴタの丘」をラテン語では「Calvariae Locus」と呼ぶ。

こちらも略すと「CL」なんだ。

つまり「in crinoline」は「ゴルゴタの丘にて」って暗号になってるんだよね…

よく拾ったな、これ!

ポール・サイモンもビックリだよ、きっと!

「of smoky Burgundy」は、もう説明は要らないね…

ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスが、イエスの尋問の時に着せた赤紫の衣のことだ。

そして、この「イエスの磔」は、人にとって「はじめの雨」とされた。

イエスが人々の罪を背負って死んだことにより、人の心が「耕され」て、教えを受け入れる準備が出来た。

それが「後の雨」で「収穫」されるんだったね。つまり「最後の審判」だ。

ユダは、こんな夢を見てしまったばかりに「裏切り役」を演じることになった…

『For Emily Whenever I May Find Her』は、そういうことを言ってる歌なのだ。

夢を見て、「裏切り者」の役に指名されたユダは、行動に出る…

I wandered empty streets down
Past the shop displays
I heard cathedral bells
Tripping down the alleyways
As I walked on

恐ろしいほど静まり返った街を抜け
長老たちが待つ神殿へ向かった
先日師が破壊した露店を通り過ぎて
雄鶏の鳴く声が聞こえる
来た道を急いで戻り
ゲッセマネに辿り着いた

ユダがイエスたちのもとから抜け出して、長老たちのところへ「密告」に行って帰って来た場面だな…

「the shop」とは、「神殿内で金銭を授受するとは汚らわしい!」とイエスが暴れた店のことだったんだ…

なるほど…

「cathedral bells」が、ペテロの「ニワトリの鳴き声」なんやな…

そして、あの有名なシーンとなる。

And when you ran to me, your
Cheeks flushed with the night
We walked on frosted fields
of juniper and lamplight
I held your hand

私に近づいてくる「あのお方」の頬は
来たるべき瞬間への興奮で紅潮していた
私は凍りつくような思いで歩み寄る
樹々の間に揺れる松明とランプの灯り
私は「あのお方」の手を取った…

And when I awoke
and felt you warm and near
I kissed your honey hair
with my grateful tears
Oh, I love you, girl
Oh, I love you

私はしっかりと意識を持ち
「あのお方」の温もりをこの体で感じた
私は「あのお方」に口づけし
喜びと畏れで涙を流した
師よ、あなたを愛しています
ああ、心から…


こ、これか…

《The Kiss of Judas》

すげえ!

ポール・サイモン△~!

実に見事だよね。

きっとポール・サイモンのファンは「ハイハイ。ホントに彼ってエミリー・ディキンソンが好きなのね(笑)。好きさの余りこんなストレートな詩を書いちゃったもんだから、恥ずかしくてアートに歌わせてるんでしょ?」って思ってしまう。

だけど本当は全然違うことを歌っていたんだ。

まさか「ユダがイエスを思って歌った歌」だとはね…

だからあの「冒頭の4曲」だったんだな…

『チーク・トゥ・チーク』の出だしの歌詞「Heaven, I'm in heaven…」で「主の昇天」を暗示し…

『ビギン・ザ・ビギン』の出だし「When they begin the beguine…」で「聖書」を暗示し…

『ヒアズ・ザット・レイニー・デイ』の出だし「Maybe I should have saved 
those left over dreams」
で「成就されるべき預言」を暗示し…

『イット・ネバー・エンタード・マイ・マインド』の出だし「Once I laughed when I heard you saying that I'd be playing solitaire」で「指示される裏切り行為・汚れ仕事」を暗示したんだ…

そうゆうことか…

たったの五行に、とんでもない仕掛けをぶっこんできたな、イシグロは!

しかし信じられん…

これは本当のことなのか?

イシグロといいポール・サイモンといい…

なぜ「ユダ」にここまでこだわるんだ?

「裏切り者ユダ」という存在が「物書き」には、とてつもなく魅力的な存在だからでしょう…

あの太宰治だって『駈込み訴へ』という小説を書いているくらいだから…

かけこみうったえ?

ユダが役人にイエスを売るときに「イエスへの熱い思い」を延々と語る、異色の小説だ。

いかに自分がこれまでイエスを支えてきたか、いかにイエスを愛しているかをユダは滔々と訴える…

そして仲間たちの面前で「裏切り者扱い」されたことに悔し泣きし、最後は愛する思いが憎しみに変わり、いっそのこと命を奪ってしまいたいとまで訴える…

愛するが故の憎しみ…

青空文庫で読めるよ。

朗読動画もあるから、時間がある時にでも見るといい。

朗読カフェ《駆込み訴え》by 西村俊彦

そういえば、イシグロは『日の名残り』で三島由紀夫の『仮面の告白』を物語のベースに使っていたよね。

主人公のミスター・スティーブンスに「同性愛志向」があったのも『仮面の告白』と同じだし、ラストの「ローズガーデン・ホテル」と「桟橋」での描写なんてモロ『仮面の告白』だった…

それが今回、太宰治になったわけだ。

へ?

第2話『Come Rain or Come Shine/降っても晴れても』のベースになっているのは、太宰治の「とある作品」なんだねよ…

ハァ!?

前に「この小説にはレイ・カーヴァ—作品のキーワードが色々入ってる」とか言ってたじゃんか!

あれは「ダミー」なんだよ…

イシグロ作品に実名で登場するものは、すべて「ダミー」なんだ…

読者を惑わすためのものなんだよね…

物語の根幹やテーマの核心部分に関するものは、決してその名を明かされない…

ありえん!

それが「有り得る」のだよ…

その「とある作品」とは…

『メリイ・クリスマス』…


——つづく——



『夜想曲集』(@Amazon)
カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳


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