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粋である、自由

完全な日没が、ジャズを自室のスピーカーから掛けさせた。スタン・ゲッツが演奏する「アーリー・オータム」が流れ、秋深まる10月に文字通り「音色」を添える。哀愁と美、そして豊かさの色だ。痛切すぎる冬とも違う、ごく短い秋だけの格別な色。
秋が来た。今年も四季の順番通りに秋が来たことに歓びを感じ、同時に秋という特別な季節が年々短くなっていくことに輪をかけて切なさを抱く。こうして、生活をあと何回繰り返して死に至るのだろう?確実でいて、実感の伴わない形而上学的な「死」や「終末」に思考を漂わせながら、ハイボールを注いだコップを漠然と眺めた。ぼんやりと意識が陰り、このままでいいのだろうかという輪郭のない不安がうらぶれた気持ちにさせる。
曲がフリーのパートに入った。静かで優雅なサックスの音と、紳士が時に魅せる子供らしさのような無邪気な音が心地よく交じる。そして同時に思い出した。ジャズが一定の規則の中で自由であるように、自分自身も一定の規則の中で自由であることを。悲観的な運命論の内側では、自由意志の可能性が残されていることを。いや、試されていることを。
曲がまたテーマに戻った。まるで、死という結末が公平に用意されているように。終末の対極、具体的な地平にこそ自由が広がっているのだ。手帳を開き明日の欄に一瞥を投げて確認した。明日も生活だ。ただし、どのような生活になるかは、意志に基づく行動によるのだ。音楽を止め、着替えを持って風呂場へ向かった。

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