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辟易ちゃん

 私の職場には、「辟易ちゃん」というあだ名をつけられている女性がいます。私自身は仲間内でもそう口にすることはなく、仕事の時などで必要な場合はきちんと(当たり前だけれど)彼女の名字で呼んでいます。

 ともあれ、便宜的にここではあだ名で呼ぶことにします。辟易ちゃんはとにかく職場の誰もを辟易とさせているから「辟易ちゃん」と呼ばれています。そういう名前がついてしまうとそう見えてくるから不思議なものです。辟易ちゃんの眉毛はかなりの密度で鬱蒼としており、まるで顔にある熱帯雨林です。鼻はガシッとしたいわゆる鷲鼻で、口角はいつも下がっています。「へ」の字レベルを超えて、余裕でブーメランみたいです。黒目が大きいのですが(もしかするとカラコンかも)まつ毛は著しく短く、よくよく見るときれいな二重なのですがそんな印象を相手に与えることは皆無です。

 そんな辟易ちゃんですから、周りの同僚からも辟易とされています。打ち合わせの時などでも、話が噛み合わない、というかそもそも会話が成立しないことが多いのです。
「え、何でこのコンセプトになるんですか? え、そもそもコンセプト間違っているんじゃないですか? え、私はまるで共感できないんですけど」
「え、このコピーに英訳必要ですか? え、デザイン上? え、見栄えだけで入る英語喜ぶ人がターゲットなんですか?」
 いつも必ず話す前に「え、」が入るのが、また辟易とされる理由かもしれませんが、ともあれいつもこんな感じですから、辟易ちゃんは同僚たちからいっしょに仕事することを避けられるようになり、会社にもときどき顔を出すだけの日もあります。それでも、辟易ちゃんはその見た目からでは凹んでいるようにも見えません。

 とある昼休みに会社の屋上でサンドイッチを食べようとしたら、辟易ちゃんとばったり出くわしてしまいました。正確には、辟易ちゃんが先に屋上にいてそこにあった椅子に座っていたのです。
 辟易ちゃんは今までに見たこともないようなにこやかな表情をしていました。それなのでつい、あまり彼女のことが得意ではなかった私も話しかけてしまいました。

「なんかいいことあったの?」私は辟易ちゃんに聞きました。「何だかそう見えるけど」
 すると突然、辟易ちゃんは付き合っている彼氏の話をしはじめました。
「え、こう見えてわたし付き合っている人がいるんだけどね、え、ていうかどう見えてるかって話だよね、え、でもそんなことは超どうでもよくてわたしの彼氏なんだけどさゴミ収集車で働いてるの、え、いやゴミ収集車そのものじゃないよみんなゴミ出すでしょそれを収集する人それでね今日はじめて働いてるとこ見たんだ上下明るいブルーの作業着着てさ髪の毛は黒くて無駄に長いんだけどなんかそれ見たらさ音楽やってそうな人だなって思ったわけ自分の彼氏なのに」
 付け入る隙を一切与えない彼女の話し振りに、こちらの息が詰まって窒息するかと思いました。一気にそれだけ言うと彼女は階下に降りて行ってしまいました。気づけば、私が買っていたサンドイッチと辟易ちゃんが食べていたサンドイッチは同じ商品でした。私はそのことに気づいて、なぜかちょっとだけ損した気がしました。

 彼女は私に何を伝えたかったんだろう。そんなことも一瞬考えましたが、天気が良く風も気持ちが良かったので、辟易ちゃんのことを考えるのはやめました。辟易ちゃんは相手がどんな猛獣でも猛獣使いでも負けないとてつもなく強いメンタルをおそらく持っているので、彼女のエピソードには枚挙に事欠きません。でも辟易ちゃんのことを考えていると、こちらがとっても辟易としてきちゃうので、そういうところも含めて「辟易ちゃん」だなと思いました。

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