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「話せる人が書ける」に近づくのかもしれない

書くスキルと話すスキルは、似ているようで全く違う。かけられる時間も違うし使う語彙も変わる。アウトプットのために動かす筋肉も違い、人によって確実に向き不向きがある。

ただ、テクノロジーによって様相が変わり始めている。

「話した内容」が簡単にテキスト化できるようになった

音声認識の技術力が上がるにつれて、マイクに真っ直ぐ話すような環境であれば、日本語でも致命的な間違いが少ないテキストを作成できるようになった。語ったことがそのまま文字になる。手で書いたり打ち込んだりしなくても文章ができる。

書く作業が苦手だった人には朗報だろう。最近は多くの人が日々のメモやブログ、オフィシャルな文章でも音声認識を活用している。言い方を換えると書く作業が得意だった人の優位性が薄れ始めている。

もちろん、誤字脱字なくしっかりと読んでもらうための文章を作るにはスキルが要る。見直しのコツや読みやすい文に対する知識も求められる。

でも文章書きで一番労力を使うであろう「真っさらな空き地にゼロから文章を立ち上げる」のと比べ、その部分を「語ることでとりあえずひとまとまりの文章を作成する」に置き換えられるとしたら、文章作成のハードルはグッと下がる。

直せる人=書ける人

「ゼロから1」を実行するより「あるものを直す」ほうが簡単だ。一度ひとまとまりの文章ができてしまえば、かつ推敲の知識さえあれば、読んでもらうための文章への道のりがだいぶショートカットできる。出来上がりまでのスピードも速くなる。

きっとこれからは「バッと話してテキスト化されたものを的確に直せる人」も「=書ける人」になる。

作文のテストで真っ白な原稿用紙を渡されて「書いてください」と言われたら、その人はテストに落ちるかもしれない。でも日常や仕事で使う文章は、伝えたいことさえ伝われば作成プロセスは問われない。1時間かけて話した1万字を1000字テキストに昇華させて、傑作を書く人もいるだろう。

手を動かしてきた人はどうすればいいか

私はこれまで口よりも手を動かして文章を作ってきて、そのほうが慣れているし、今のところ作業も早い。ずっとこの手法で文章を作り続けるのも一つの道だと思う。

同時に、口を使って話すことで文章を構築するとどうなるのか、にも興味がある。冒頭で述べたように「書く」と「話す」はさまざまな面で違い、使う筋肉も神経も違う。だからこそ今までとは全く違った思考回路やフィルターを通って、自分では生まれないと思っていた文や視点にも辿り着けるかもしれない。

最初はたどたどしく、拙いところからのスタートになるのは分かっている。実際に試みて「あー」とがっくり来る結果もたくさんある。それでも何かしら挑戦してみるのは悪くない。やらないよりやってみて駄目だったほうがまだ納得がいく。

「手を動かしてきた人はどうすればいいか」に対する自分の答えは「口も動かしてみる」しかない。stand.fmやSpotifyなどの音声コンテンツ作りもその一環だ。せっかくの文章作りの新しいツール、ちょっと遊んでみよう。

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