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人に与えられないから、強要しないことしか出来ない

道徳的な話。

人に何かを与えられる人ってすごいなーと思う。
勇気を与えたり、機会を与えたり、救ってみせたり。
与えるっていうのは大層な意味ではなくて、gift程度な考え方。

世の中はどんどんシェアリングに向かってて、
でも僕は人に何も与えられてないなーと思っちゃう。
というか与えられる人間ではない、と自己肯定感低め人間的には考えちゃう。

そうすると与えること以上に、何かを奪わないようにしようと考える。

自分の主義主張はいくつかあるけれど、それを誰にも強要しない。
主義主張が真っ向からぶつかる相手とは、合意形成が発生しないポジション取りをする。プロジェクトを一緒に進めないとか。
人を変えようなんて思ってないし、自分がこだわってる部分をわざわざ変えたくない。

自分を守るために、人に強要しないのかもしれない。

でも多様性ある社会においては、
共感することよりも、受け入れることよりも、
強要しないことの方が大事だし容易だと思ってる。

「僕の気持ちに共感しなくて良いから、強要だけはしないでくれ」
そう思える人が増えることが健全。
「君には共感できないけど、君が自由にする権利は尊重する」
これが健全。
場所や年齢を飛び越えて共感を呼べる現代だからこそ、
身近な人の共感よりも、共感する人が身近な人になる方がスムーズ。

だから、わざわざ強要しない。
強要しないながらも与えられる存在になれればベストだとは思う。

僕は人に何も与えられないから、
今は強要しないことしか出来ない。


学校の道徳の授業は空気を読む鍛錬みたいで嫌いでした。

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