見出し画像

2回目の復職。すべての有給休暇が消えた。

周りの協力を目いっぱい借りて次男を出産した私ですが
いよいよここから2回目の復職です。

このnoteの題名になっている限界ワーママ生活が始まります。

さあ2回目の復職だ


2回目の産休・育休を終えて、次男が1歳の時に
2回目の復職をしました。

長男がすでに保育園に通っていたので、兄弟枠もあり
次男は1歳児クラスにすんなりと入園出来ました。
(住んでいる自治体では子育て人口がどんどん増えていて、
 今は兄弟がいても1歳児クラスは難しいらしい…..)

4月1日に復職していないと
6月のボーナスが出ないので
今回も長男の時と同じく4月1日に復職することにして
慣らし保育の期間は夫とともに有休を消化することで対応しました。

長男育休明けの第1回目の復職についてはこちら↓↓↓

同じ会社で働く夫は、この頃人事部で勤務しており
労働組合に加入できなかったので
残業のルールが緩く、毎日遅くまで残業がありました。
また全国への出張も頻繁にあり
本当に姿をみることが少なかったのです。

そんな状況で始まった2回目の復職は
1回目の恵まれた復職時とは異なり、
片道1時間20分に位置する、会社のビルに毎日出社するスタートでした。

フルタイムで戻ることは体力的にも生活的にも難しく、
5時間の時短勤務での復職でした。

復帰早々に追いつめられる


復職したプロジェクトは1回目の復職時にお世話になった
Nさんがリーダーを務めるプロジェクトでした。
気心しれた優しい先輩が近くにいることに安堵しました。

しかし保育園の洗礼はすぐにはじまり、
慣らし保育終了後も、頻繁に鳴る発熱お迎えコール。
夫には頼れず、100%自分が対応する日々。

次男発熱→次男解熱→長男発熱と、
兄弟になるとお互いがお互いに移しあう悪循環。。。

今でこそ我が社はリモートワークがメインなのですが
当時はそんな制度がなかったので
子どもの体調不良の時は有休を使わねばならず
どんどん減っていく有休。。。

Nさんを含め、プロジェクトの皆さんは本当に優しく
そんな私に文句ひとつ言わずに
いつも子育てを応援してくれていました。


そんな中でお客様へ大事なプレゼンをする機会がありました。
私が資料を作成して、Nさんにチェックしてもらって
ずっと準備してきたものです。

忙しいお客様の予定も合わせてもらって
いよいよ説明する日の朝。
次男のおでこが熱い、、、、

夫も出張でおらず、どうしようもなく
結局プレゼンはNさんに任せて、私は子どもの看病をしました。

誰も悪くないし、どうしようもないことですが
やっぱり心がズーンとなりました。
しかもこのような事態はこの1回ではなく
この後も似たようなことが数回起こるのです。

復職から約半年で、私はすでに追いつめられていました。

子どもの体調不良は誰も悪くはないけれど
お客様にも職場にも迷惑をかける自分の立場が辛くて
いっぱいいっぱいになっていました。

ギリギリで生きてた


その頃の毎日はこんな感じでした。

5:45   起床
7:30   保育園(通勤経路と真逆)送り
8:00   電車に乗る
9:20   出社
15:30 退社
16:50 帰宅
17:00    保育園迎え→園庭遊びに付き合う
17:45 帰宅→風呂
19:00 夕飯
20:00 歯磨き→寝かしつけ開始
21:00    子ども寝る
     そのあと家事など

こう文字に書くと、
なーんだ意外と余裕じゃん
と感じるのですが
これを毎日毎日一人でやっていると
いくら時短勤務とはいえへとへとでした。

貯めてあった有休は子どもの看病ですべて使い果たし、
「看護休暇(子ども2名なら10日)」も使いました。

自分がインフルエンザにかかってしまったときは
診断書をもらって病気休暇を申請しました。

そして、
看護休暇が1日だけしか残っていない
というギリギリの状態でなんとか過ごしている中で
復職から約1年がたった頃、私は限界を迎えました。

当時の上司(1回目の復職時とは別の男性上司)に
以下のことを訴えました。

・お客様対応の仕事が精神的につらい
 (いろんな方に迷惑をかけている)
・今の営業組織で今後やっていける自信がない
・有休は無くなりさらに看護休暇もなくなりそうでヤバイ
・体力気力ともに限界が来ている

上司はとても親身に話を聞いてくれました。
そして、以下のような改善策を出してくれました。

・今の営業組織に居ながらも
 お客様対応が少ないプロジェクトをメインにする

・Nさんのプロジェクトには引き続き残るが
 資料作成などNさんのサポートにとどめる

・事前に申請すれば月数回まで在宅勤務できる制度があるから
 子どもの体調が怪しい時にはすぐ申請して
 在宅勤務を利用してみる

こうして私はお客様対応最前線から少し離れて
違うプロジェクトにも参加することになるのです。


次回は最前線から少し離れた後の日々について書いていきます。

それでもまだまだ地獄は続いていきます~~~~~。


この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?