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もう味がないガムを噛み続けるみたいに

2023年12月、今年もあと1週間ちょっとの水曜日。

仕事帰り夫にLINEをした。途中駅にいた夫から「おんなじ電車になりそう」とLINEが返ってきて、少し嬉しい。

同じ電車になったって駅からのほんの10分弱の帰り道が一緒になるだけだ。だけなのに一緒はうれしい。
毎回毎回、なぜだか突然の一緒はワクワクするのだ。

唐突に一緒の帰り道、いつもの倍は饒舌になる私は、たぶん後ろから見たらはずんでいるだろう。相手はただ、夫なのに。

夫が乗り込む駅で本当に同じだと確認しあった、電車は流れるように、とはいかないけれど私たちの駅に着いた。(この駅の手前で電車はいつも少しだけがたつく)
ホームに降りて左右を覗いたら少し先で夫も降りていた。小走りで夫に近づく。出会った夫と向かい合いながら、ホームを抜ける冬の風に嬲られて首を縮める。2人で首を縮めながらお帰りと言い合う。

「寒いね」「明日はもっと寒いらしいよ」「昨日あたりからぐんと冷えたよね」「うん、昨日からだよね、絶対!」縮めていた首をもっと縮めて頷きあう。
意味のない会話中でも、私はいつもより心持ちはずんでいる。

「夕飯どうしようか」
さっきまで頭を巡っていた家の冷蔵庫の中で待つ昨日の残り物なんか記憶の彼方に吹き飛ぶ。いや、封印する。だって会っちゃったもの。年末だもの。
(いつもは大概一緒に家に帰るだけなのだけれど)

「餃子屋さんがいいな」エスカレーターを降りながら少しだけ顔が近くなった前に立つ夫につげた。

駅前の餃子屋さんに入り、「こないだはもう一品頼んで後悔したからこのぐらいにしておこう」とふたりで頷きあいながら餃子定食とチャーハン餃子セットを頼んだ。

「やっぱりここの餃子が1番だね」餃子を食べて頷きあう。
「ちょうどお腹いっぱいだね。」また、2人で頷きながら席を立った。

餃子屋の入口には冷蔵庫が並んでいて、テイクアウトの生餃子とかキムチとか生麺とか豊富な品物がいつも顔を見せている。会計をする夫の横でそれらをぼうっと眺めていたら、隅に置かれたりんごジュースが目に入った。

「ねえ見て、餃子は12個入りで300円ちょっとなのに、あの"青森のりんごジュース"ってやつ450円で売ってるよ!あいつすごいね。」ちょうど支払いを終えて振り向いた夫のそでを引っ張りながら指をさす。

「ほんとだ、すごいね。」私の指の行方を見て夫が頷づいた。

店を出て道を歩きながら言い合う。
「たっかいね」
「高いね」
「すんごく美味しいのかね」
「すごく美味しいんだろうね」
「今度買ってみようか」
「今度買ってみよう」
私の後ろ姿はまた、はずんでいるし。
私たちはまた、頷きあっている。

こんな時ふと幸せだなとおもう。
幸せってこれだったのか、と半ば大袈裟に気がつく。
若い頃に求めていた幸せとはだいぶん違うけれど、と。

若い頃、私は弁護士になりたかった。作家になりたかったし、医者になりたかった、はたまた伊東豊雄や安藤忠雄ほどに名の売れた建築家になりたかった。後世に名を残したいなんて壮大な夢を描き、結局そのどれにもなれなかった。
後世に名が残りようもない上になんなら血すら残りそうに無い。けれど確かに私は今幸せだ。それはとてもとても不思議だけれど。

青森のりんごジュースを次に買おうねと約束し合った、この約束は守られるかもしれないし守られないかもしれない。本当のところそこまで私達はこのりんごジュースを求めていない。高いし。

青森のりんごジュースを買おうねと頷きあった、この光景はきっと私の走馬灯には表れない、私の幸せベスト10には選出されないし、来年の今頃どころか来月の今頃にはもうきっと忘れている。けれど、今だけは強烈で。

日々は"いつも"のルーティンで、隙間なんてないみたい。けれど、不意にポロリと落ちてくる感情がある。いつの間にか髪の毛に乗っていた落ち葉みたいに、春ならば桜の花びらみたいに。

不意に落ちてきた感情が幸せだったなら、抱きしめる。反復する。なんどでも。

もう味がないガムを噛み続けるみたいに。
なんどでも。

12月は感情が落ちてきやすい。

最後までありがとうございます☺︎ 「スキ」を押したらランダムで昔描いた落書き(想像込み)が出ます。