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【古陶磁の逸話⑨:山上宗二と備前焼】山上宗二が、茶会で使った備前焼を徹底検証!千利休の高弟、山上宗二記の著者、山上宗二と備前焼の関係とは?

古備前研究・鑑定の古陶磁鑑定美術館です。

みなさんは、『古美術品』という言葉を聞いた時に、どんなことをイメージしますか?

古備前種壺 古備前壺 古備前波状文壺 古備前窯印壺

古い壺や掛け軸や茶道具などを大金で取引しているような風景を想像される方もいるでしょうし、美術館や博物館に陳列されている優雅な屏風や襖などをイメージされる方もいるでしょう。

それらの古美術品に共通することが、作品の『時代背景』です。

もちろん、作品によって、作られた時代や産地や用途が異なりますので、それぞれの時代背景は別々なものですが、どんなものであっても、『作られた当時』の景色を面影として残しているという点では、古美術品は同じと言えます。

そして、この「時代背景を愉しむ」ことこそ、古美術品の醍醐味であり、数寄の真髄なのです。

なぜなら、古美術品を通して「悠久の時間を超えて歴史の当時に思いを馳せられる」ことこそが、数寄者の最大の面白みであり、悦びだからです。

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とは言え、それを言葉で説明してもイメージが湧きにくいかと思います。そのため、このコラムシリーズにて、古美術品が「現役」で使われていた時代の風景を紹介して参ります。

具体的には、主に「戦国時代(安土・桃山時代~江戸時代)」にかけての、茶の湯や茶会の記録や、大名や武将の逸話をベースに、当時の古陶磁や古備前焼についてのエピソードを解説します。

古美術品や骨董品に興味がある方は、ぜひこのコラムで、歴史の面影を感じてみましょう。

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今回ピックアップする逸話は、「山上宗二と備前焼」です。

【コラム①:「豊臣秀吉と備前焼」を読んでいない方はこちら

【コラム②:「千利休と備前焼」を読んでいない方はこちら

【コラム③:「明智光秀と備前焼」を読んでいない方はこちら

【コラム④:「古田織部と備前焼」を読んでいない方はこちら

【コラム⑤:「小堀遠州と備前焼」を読んでいない方はこちら

【コラム⑥:「荒木村重と備前焼」を読んでいない方はこちら

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山上宗二は、千利休の一番弟子とも称された茶人で、「薩摩屋」という屋号の堺商人です。

「山上宗二記」という、1580年代の茶道具の名品をまとめた秘伝書を記した人物でもあります。

山上宗二記は、織田信長や豊臣秀吉や千利休が活躍した天正年間の茶の湯の実態が分かる貴重な時代資料として、現代でも重要視されています。

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そんな山上宗二の茶の湯は、室町時代に流行した「唐物主義」の影響を強く受けていました。

宗匠である千利休は、唐物主義の茶の湯から「わび茶」へと、自らの創造性を加えて茶の湯を進化させましたが、高弟の宗二は、あくまでも室町時代に流行した茶の湯にこだわっていたことが、山上宗二記などから伺えます。

師匠の利休に対して、「山を谷、西を東と茶湯の法度を破り、物を自由にす」との批判的な意見も記しているのです。

今回は、そんな頑固一徹な山上宗二が、茶会で使った「備前焼」を考察してみましょう。

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山上宗二が茶会で使用した備前焼一覧(茶会記より)

【建水】
1582年11月 堺  備前水下
1583年 1月 堺  備前水下

【水指】
1581年10月 堺  備前水指
1582年11月 堺  備前水指
1583年 1月 堺  備前水指
1583年 2月 堺  備前水指
1586年 9月 郡山 水指ハ小型ナル備前

【花入】
1579年12月 堺  備前物花入
1580年 1月 堺  床 備前花入、薄色椿、生而
1581年 7月 堺  備前物花生ニあさかほ、生而

山上宗二が備前焼を使ったのは、1579年から1586年までですが、その中でも特に1583年までの間に多用していたことが、茶会記から分かります。

古備前緋襷波状文建水 古備前建水 古備前火襷建水 波状文様 古備前 桃山時代 ひせんもの みずこぼし

その頃は、1582年に本能寺の変が発生し、時の権力者が織田信長から豊臣秀吉に移り変わった激動の時代です。

そんな最中で、山上宗二は、「建水」だけでなく、「水指」や「花入」などの器種にも備前焼を用いていました。茶会記を見ると、同時代の他の茶人から見ても、かなり早い段階で取り入れていることが分かります。

古田織部が備前焼の水指や花入を愛用するのが1600年頃ですから、それよりも20年も前にそれらに注目した、宗二の審美眼の高さが伺えますね。

山上宗二の人生は波乱万丈でした。

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最後は、秀吉の怒りを買い、打ち首にされてしまいます。そんな一面も、頑固で信念を曲げない宗二らしい人生だったのではないでしょうか。

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このような「時代背景」を知っていると、当時の大名や武将を身近に感じたり、歴史の遺物(伝来品)に愛着を感じたりできるようになります。

そんな、安土・桃山時代の備前焼を通じて、山上宗二が生きた戦国時代に思いを馳せて見ませんか?

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古陶磁鑑定美術館のホームページでは、書籍「古備前焼の年代鑑定」の出版記念展覧会として、山上宗二が生きた安土・桃山時代から江戸時代にかけての古備前焼の名品を、オンラインで特別に公開中です。

戦国時代の茶人や大名は、一体どんな備前焼茶道具を使って、茶の湯を行っていたのか?

その答えを、実際の「伝来品」を通じて観ることができます。

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ぜひ、ホームページをご覧ください。また、書籍「古備前焼の年代鑑定」を宜しくお願い致します。


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