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選ばれる人

 学生の頃ならクラス委員、生徒会の委員、部活のキャプテン。作品や作文で賞を獲る。社会に出て勤めると、その会社での様々な賞があったりする。早く昇進していく人。
 その役が取りたくて、欲しくて努力する。努力の結果、それが叶う。さらに『選ばれる』と感じるのは誇らしい気分になるだろう。
 小学校の頃推薦をされてクラス委員をしたことはあったが、内気で表に積極的に出ていくタイプでないため、苦手だと感じながら終わった。何となく周りから認められている、と感じることが出来ると自信がついて頼もしくなってくるのかもしれない。あと絵や作文で何度か賞をもらったが、中学校に上がる頃からは、それもなくなった。
 社会に出てから実感したのだが、昇進が早かったり社内で賞をもらったりする人は、優秀というよりは選ぶ人に好かれているという理由が大きいのではないか。同僚とは仕事内容が違うのに、仕事の作業時間を比べられて評価を下げられたという人がいた。その人は社員の成績を比較するとき、いいように使われているようだった。同じ年に入社した人の間で比べられるときは、たいてい「下げ役」だ。何か意見を出すことになると、発言の内容ではなくて、誰が発言したかで採用する所がある。ミスがあると、「下げ役」の人は余分に罰を与えられているかのような目にあっていると感じる。そうして、辛い目にあった人が続いて辞めていった。そうなると、新たに「下げ役」を探し出すのだ。
 こんなことをするのは、この会社だけだろうと思っていたが、程度の差があるだけで、どの場所でも似たようなことはあるのかもしれない。
 連絡事があったので報告しにいったら、そのことを忘れられ、叱られそうになったことがあった。事務的な連絡内容だが、報告する用紙がなく、メモと口頭で伝えただけなので証拠は残っていない。私が覚えていたと言っても、報告されてないと強く言われると、何故かこちらが悪いことになってしまう雰囲気があった。一度そういう事があったので、何か連絡をした時は日時を自分で覚えておくようにしていた。すると、今年も同じ事があったのだ。このようなことは、私以外にも何人かあったらしい。嫌なことは、しばらくたっても、何かにつけて思い出してしまう。ただ、運が悪かったというだけだろう。これも、良い意味ではないが『選ばれた人』にはなるのではないか。嫌なことには、選ばれるのは御免だ。
 選ばれると言えば、私は懸賞が割と好きだ。割と当たる方だと、自分では思っている。忘れた頃に商品券や、何かの詰め合わせが送られてくる。その品を見ると、働いている場所では選ばれないが、それ以外では持っていると言うか、いいことに選ばれる人なのではないだろうか。そう考えると、気が楽になった。

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