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自分探しは無意味だから自分なくしの旅

「自分探しは無意味です」の後に「自分なくしの旅」
妙に説得力がある

全てではないが養老先生独自の世界観は共感できる部分がある
みうらじゅんさんは昔から好きで書籍もいくつか読んだ

3年半前に亡くなった親父は40代で糖尿病
50代半ばで悪性リンパ腫を患い「今日が峠」という日もあった
奇跡の復活を遂げたが2020年2月に76歳で人生の幕を閉じた
大腸ガンであった
2017年9月に余命半年の宣告を受けていた

そんな親父を思うと自分もいつそのようになってもおかしくない年代

そんな身近な人の「死」をきっかけに
「死」について考えることが多くなった

仮に親父と同じ年で人生を終えるとするとあと22年
正直「あと22年しかない」と思う
オリンピックがあと何回見れるだろうか
仮の話だとあと6回
そんなことも考える

「死」について考えることが多くなったが
現時点で「死」に対する恐怖や不安はない

「死」は自分だけに訪れるものではない
どんな人にも必ず平等に訪れる宿命
心理カウンセリングの勉強でも学んだ

親父のように「長い闘病の末」だけは勘弁だけれど
それはわからない

ノエルより先に...なんて思うけれど
それもわからない

余命宣告されとしたらどうだろう
現時点の「死」に対する思いは変わるかもしれない

「人間っていつか死ぬらしいよ」
みうらじゅんさんがある女子大学の授業で仰った言葉
生を享けた以上 人は必ず「死」を迎える
それを少し考えるようになったというだけの話
重たい話ではありません

「自分の死は確認できないから考えたってしょうがない」
養老先生が仰る通りかもしれない

仮に残り22年だとしたら残りの人生をどう過ごそうか
最近そんなことをよく考える

少なからず計画性をもって進めていかないと
あっという間に時は過ぎ去ってしまう
「死」に向かって

必死に生きようとは思わない
必至なのだからつまらないよりはそうでない方がいいだろうなとは思う
その為には多少なりとも環境を変える必要がある

会いたい人に会っておかないと
行きたい所に行っておかないと
美味しいもの食べておかないと
息子2人と飲みに行っておかないと

メメント・モリ

愛犬と暮らす54歳男の死生観


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