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「何もしない」が遊びを火をつけ、「何もない」から実験しやすく、「暮らしをつくる」へつながってゆく。

バーというのは都会の文化だなあ、とつくづく思うわけです。

酔うため、だけではない、変わらないケ(日常)の中にハレ(非日常)を挟みこむような、ちょっとだけ特別な時間。集落のじいちゃんたちは「酔えればいいのに、なんでそんな一杯高いんか?」と言うわけで、これはその空間と時間の体感の問題だろうとも思うわけで、だからこそ田舎でバーが成立する瞬間ってどんなんだろうと今試行錯誤してたりするわけで、もう冬なので寒いわけで。

と、ちょっと話が逸れそうになったので本題へ。

ぼく自身、ときたまバーに行くのだけど、そして昨晩も知り合いに紹介してもらったお店に足を運んできた。バーでは何か大きな目的があるわけではない。格別飲みたいものがあるとか、店主と話をしたいとか、そういうのはない。強いていえば、「何もしない」「ぼーっとする」ためにその怪しい扉を毎度押すようにしている。

だから、スマホは極力見ないようにして、ただただ居座る。そんな過ごし方。すると、少しずつ五感が開いていくのか、バックバーのボトルに注意がいったり、他のお客さんの話もBGM的に心地よく聞こえてきたり、いつもでもあれば気にならないところに意識がいく。逆にいえば「いつもなんでこういう部分を気にしてこなかったんだろう?」と気づかされ、忙しさで見えなくなっていたものに恥じ、立ち止まって腰かける時間の大事さを痛く感じる。

バーはよく"止まり木"だと比喩されることがある。そこにずっといるわけでない、少し立ち止まったら、今風にいえば“ととのえて”から、また動き出すための止まり木。ぼくらは鳥のように立ち止まっては飛んでを繰り返す生き物で、飛び続けてるだけでは命が持たない。

大人になり、酸いも甘いもさまざまな経験が増えるほどに、その立ち止まることの意味を知り、立ち止まる時間をつくりきれない自身に悔やむんだりする。たいていの人間は、何もしない時間を飽きるまでやれれば、イライラ・モヤモヤ・ソワソワの9割近くは(整理して自己消化したうえで)吹っ飛ばせる。とぼくは思っている。

"いそがし"に憑かれてしまっている。特に都会の人は。だからこそ、止まり木が必要なのだろう。

とはいえ、そもそもネガティブ値をゼロ以上にするための止まり木がなくてもどうにかなる(憑かれない)暮らしがいいじゃんとも思うのだ。その暮らしの地としてどこがあってるかどうかの話として。

鳥取大山での暮らしはもう5年が経とうしてるが、立ち止まりやすい土地だと感じている。「何をしない」を実践・実験するには十分すぎるし、大山には動きまわって空回りしてこんがらってた人がゆっくりするためにすることもあり、そのまま移住して自分のペースで(この何かを進めるときのスピード感の相性はすげー大事)好き好きにやっている人もそこそこいる。特にその人の能力が変わったとかではなく、自分を生かす/活かすフィールドが変わっただけなのになぁ、という印象をつねづね受けてもいて。

つまり何が言いたいかというと、基本的には、つねに止まり木なんすよね。大山は。それを根拠づけられそうな要因はいくつかあるのだけど、ここでは割愛しつつ、とにかく伝えられることは、"時間持ち"になりやすく、「何もしない」がやりやすいからこそ自然と遊び心に火がつきやすく、「何もない」からこそ実験的に生み出せるものが多く、それが「暮らしをつくる」につながっていく、ってこと。

(そして、冒頭の「田舎でバーを」の話に戻せば、“止まり木”の中の“止まり木”をつくる意味もまた「地域の人に向けて」か、あるいは「外からくる人に向けて」かでちょっと変わるのだけど、総括すれば「立ち止まることの質を高める場」として機能させたいんだろうな、とここまでを書きながらに気づいたりもして)

そんな大山の求人(とサポート)に関わらせてもらっているのだけど、立ち止まりやすい地でスローに何を場(メディア)として育てていくのか、その展開はやっぱり気になるし、地域というやや広めのチームビルディングという意味ではどんな人が来てくれるのか楽しみでもある。

隊員としての活動が中〜長期と捉えるのであれば、立ち止まりやすく、ミニマムに学んで実践する機会としての「おためしツアー(2泊3日)」や「ローカルインターン(2週間〜1ヶ月)」も企画できたので、ぜひ体感してもらいたい。

あまり大きな声では言えないが、止まり木であるからこそ、大山にずっといてください、とは全然思ってなく、「あそこで立ち止まれたからこそ」と思える地域としての付加価値/ポテンシャルはめちゃくちゃあるはずなんで、そこは信用してもらえると嬉しいです。

ああつまりはこういう文脈もあるよね、ということ。

とりあえず、学生から社会人まで、何かに追われちゃってるかもなあとうすうす感じてて、でも何をどうしたらいいか悶々としてて、それでいて大山来れそうなかたは、いっしょに焚き火でもしながら飲みましょう。

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