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もしも全員が同じ言語を喋ったら

世界のどこに住んでいる人も
同じ言葉を使うなら、この世界はどうなっちゃうのか。
意外とデメリット方が多いと考えていて思った。


メリット

意思疎通に困らない

世間話とかも全員とできるし、
ジョークとかも誰にでも伝えられるし、
助け合いやすいから
コミュニケーションのストレスは減りそう。

旅行に行きやすい

旅好きにはたまらない。
旅の道中で喋れる人も増えるだろうし、
目的地までも人に聞いたり看板が完璧に読めたりするから迷いにくい。

外国語の勉強がなくなる

外国語という教科がなくなって
その分勉強時間が減って自由時間になってほしい。

もしかしたらその分、古典とか古代文字の授業が増えるかもしれないけど。
でも、「昔使われていた言語」だけが「理解できない言語」
という概念になる。

論文とかも他の言語を経由しなくても読めるようになる。
研究自体に時間を費やせる。

友達が増える

意思疎通ができる人の数が増える方が
気の合う人と出会う確率も上がる。
恋人もできやすくなるのならいい世界。

偏見がなくなる

言葉が通じないことによる偏見や勘違いが減る。
分かり合える世界になってほしい。


デメリット

異世界感ある場所が減る。

旅のメリットとして、
自分が住んでる場所との違いに感動したりすることがあるけど、
どこへ行っても同じ言語で歓迎されるから
全く違う場所に来たんだという感動が減る。

文化が一つになる

もし地球にいる全員が日本語を喋るとすると、
みんな日本人ということになる。
ってことは習慣とかも日本人っぽくなって
ってことは文化も日本文化しかないという世界線かもしれない。
ワクワクが減る。

消える仕事がある

通訳、外国語の先生とか外国語という概念がなくなるので
消えてしまう職業がある。
駅の案内板とかにも外国語の案内を足すが必要ない。

多様性がなくなる

みんなと違うということが起きにくいから
違うことをしている人が余計に認められなくなってしまいそう。

留学がなくなる

異文化理解のための留学がなくなってしまう。
コミュニケーションから苦戦するという経験が得られない。

平和に近づくとも限らない

みんなに違いがあるから争いが起きるのかもしれないけど、
逆にみんなが同じ文化で同じ価値観を持ったとしても
窮屈で不平や不満は結局生まれる気がする。

だから、国や地域によって
違う言語を喋って、ちがう文化の中で生きる方が
違いを認める力とか、感謝できる力がつくのかもしれない。


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